2.「子」守り
「よし、今日の分の魔力はこれくらいでいいかな?ルクス」
「クェ」
今日もウィルはルクスに魔力を与えている。ルクスの大好物のクッキーは部屋に常備されるようになった。クッキーをかじっている時だけは元気に見えるルクスだが、日に日に動きが鈍くなってきている。生命力が弱っているのだろう、とリンドグレーン王室付きの獣医は言っていた。
「ふぅ」
大きく息を吐く。実のところ、ウィルも疲労を感じていた。ルクスの世話にではなく、魔力の消耗だ。
ルクスの元気がなくなるにつれ、ウィルはだんだんと与える魔力量を増やして、何とかルクスの生命力を持たせようとしていた。魔法的な存在であるルクスならば、魔力さえ十分であれば虚弱なアルビノとはいえ生き続けてくれるだろうとウィルは考えている。今でもそれは変わらない。
ただ、朝を迎えるたびにルクスの調子は、万全から遠ざかっているように見える。クッキーを求めて歩き回っていた時期もあったが、最近は一日中籠の中でうずくまっている。
与える魔力が足りないかもしれないと、ウィルは毎日とんでもない量の魔力をルクスに注ぎ込むようになっていた。これ以上増やしてしまえば、ウィルの一日の魔力の回復量を超えてしまうだろう。限界が近づいているのだ。
膨大な魔力を持つ皇族のウィルは、一日で魔力を使い果たすことなど、これまで一度もなかった。そもそもリズやアルフレッドがいてくれたから、障壁の魔法は最低限しか使う必要はなかったし、攻撃魔法も連発する必要もなかった。
「まさか自分が魔力量で悩むことになるとはね……」
そんな独り言を言っていると、扉をたたく音が聞こえてきた。どうぞ、と答えると、入ってきたのは予想通りシェリルだった。
「ルクスの様子を見に来ました」
シェリルは女王としての職務で忙しい中、時間が空くとこまめにルクスとウィルの様子を見に来てくれる。彼女も新しい家族のことが心配なのだ。ただ、最近はオリエンス王国側に何か動きがあるらしく、外交官やら軍部の指揮官たちと何やら忙しく会議をしているようだった。
「シェリル。ルクスは今日はクッキーを3枚食べたんだ」
「そうですか。元気なようで良かったです」
そういってウィルの隣に座ると、テーブルの上の籠の中で休んでいるルクスを優しく撫でる。ルクスは重たそうに片目を開けたが、すぐに閉じてしまった。
「最近あまりルクスの様子を見に来られずに、すみません」
シェリルはしゅんとした様子で謝る。そんな負い目を感じることは何もないはずなのだが。彼女は血のつながった家族はいない、天涯孤独の身だ。せめてウィルや、その使い魔を大切にしたいと考えているのかもしれない。
「いいよ。僕がいるんだから。それより、最近忙しそうだね」
このままだと息抜きに来たはずのシェリルが全く休めない。そう思ったウィルは話題を変えようとしたのだが、シェリルから帰ってきた反応は、あまり良いものではなかった。
「はい。最近、オリエンス王国がまた侵攻の準備をしていると情報が入ってきました。どうやらこれまでよりも大規模らしく……」
「やはり、僕がシェリルと結婚したからかな?」
「あ、その、、」
シェリルは言い淀む。ここで肯定してしまえば、ウィルに責任の一部を転嫁してしまうことになる一方、夫にあからさまな嘘をつくわけにもいかない。少し逡巡して、シェリルははい、と答えた。
「ウィルのせいではありませんが、私とウィルの結婚が大きな要因となっていることは否定できません。
私こそ、あなたを巻き込んでしまう形になってしまいました」
「もう、それは良いってことになっただろ?僕だって自分で望んで結婚を受け入れた。オリエンス王国と対決することになるのは、最初から分かっていたことさ」
「はい」
「兄上や父上も、こうなることを見越して僕をリンドグレーンによこしたはずだよ。軍事的な支援も、僕からお願いしてみるから」
実のところ、軍事的な支援については、ウィルとの結婚を申し込みに帝都へ向かった時点で、皇帝アウグストゥスと話はついている。シェリルが申し訳なく思っているのは、ウィル本人をリンドグレーン王国の政治に巻き込んでしまったことなのだ。
しばらく二人が沈黙していると、部屋の外からウィルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「リズだ。入っていいよ」
「失礼します……っ?!シェリル女王陛下。これは失礼いたしました……」
ウィルとシェリルが二人で休んでいたのを見たリズは、慌てて部屋を出ようとする。
「いいよリズ。入って」
「しかし……」
「入ってください。リゾルテ卿」
「はぁ……」
リズはシェリルに恨めしい視線を送った。もちろん、ウィルにはわからないようにだ。ウィルが試練の森へ入ったあと、女王シェリルに対して偉そうに発破をかけてしまったリズは、気まずさで彼女とあまり会わないようにしていた。
ついでに言えばウィルとも、必要最低限の事務的な話しかしないように、距離をとっていた。リズはまだ、ウィルに対する感情の整理ができていないからだ。
「定期報告です。まず、デューン皇子殿下からの書簡ですが……」
リズは毎日の日課になっている報告を淡々と行う。ウィルとシェリル女王は横に並んで、革張りのソファに座っている。前のテーブルにはウィルが試練の森から連れてきたドラゴンだ。籠の中に敷かれた布団にくるまって寝ているが、見ようによっては二人の子供をあやしていたようにも見えてくる。
報告を続けながら、中のよさそうな二人を見て、胸にちくりと痛みを感じる。だが、それは片鱗すら表情には出ていないだろう。感情は心の奥底へ深く沈め、今はウィルフォード第四皇子の護衛騎士としての自分に徹しきっている。
「ありがとう、リズ」
報告を終えると、ウィルがねぎらいの言葉をかける。ふとウィルを見ると、彼の魔力がほとんど尽きかけていることに気づいた。
「あの、殿下……」
「ん?」
「……いえ、何でもありません。失礼します」
余計なお世話なのではないか。二人の邪魔になるのではないかと、ウィルの体調について口まで出かかっていた言葉を飲み込み、リズは部屋から出た。
バタン。扉が閉まると、少しひんやりとした廊下の空気がリズの頬を撫でる。
「はぁぁ。何やってるんだか。私って、こんなに女々しかったのね」
いまだに気持ちを切り替えられない自分が情けなくなってくる。自分のことながら、思わず笑ってしまった。
「あっ!リゾルテ様!失礼いたします!」
急いだ様子で走ってきたリンドグレーンの兵士が、リズへの挨拶もそこそこにシェリル女王とウィルの部屋へ入っていく。何か緊急事態だろうか?部屋を出たばかりのリズは、その兵士の報告を聞いてしまった。
「報告いたします!ラストフォート砦周辺へオリエンス王国が軍を展開しつつあると情報が入っております!ラストフォート砦警備隊長より、緊急支援要請を受けました!」
それを聞いたウィルとシェリルの動きは早かった。こういったところで素早く行動を開始できるかどうかは、上に立つ者の重要な資質の一つだと、リズは思う。
「まだそこにいる?リズ!シェリルと一緒にラストフォート砦へ向かうよ!」
「はっ!」
戦いになれば、余計なことを考えずに済む。しばらくは問題を先送りできそうだと、リズは思った。
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