12.シェリルの初めての経験
シェリル女王がウィルとの一方的な婚約を発表してから数週間後。出立したウィルとシェリル女王は、馬車で帝都を目指していた。
戴冠式からというもの、ウィルとの婚約がらみでリンドグレーン貴族や周辺国家を大変驚かせたシェリルだったが、首都ベルフライを発ってからは逆にシェリルがいくつもの驚きを経験していた。
まず移動。最初ウィルフォード皇子に移動手段について相談したところ、徒歩で移動するつもりだなどと言い出した。
シェリルの同行を嫌がった皇子が体の良い断りのために言っているのかと考えたシェリルだったが、どうやら本当に帝都からリンドグレーンまで徒歩で来たらしい。
まさか帝国の皇子ともあろう者が、馬にも乗らず移動するなど、シェリルには考えもつかなかった。
王宮育ちのシェリルが徒歩で長距離の移動ができるはずもなく、皇子の分も含めリンドグレーン王国が費用を出すことで、馬車で移動することにさせてもらった。
そもそも皇子の取り巻きもシェリルの理解を超えていた。
護衛騎士の二人はともかく、出自のよくわからない盗賊くずれと、神聖教の神官が付いてくると言う。
戴冠式の際には身分を隠しているのかと思っていたが、本当にただの平民だと言うではないか。
暗殺とまでは言わないが、何かたくらみを持って皇子に近づいてきているのではと遠回しに注意したが、皇子は全く疑ってはいないようだった。
そして今日は移動の一日目。道中の町の宿屋に宿泊すると聞いて、またしてもシェリルは驚愕していた。
「こ、ここで一晩を過ごすのですか……?」
”町で一番良い宿に泊まる”と聞いていたのだが、想像の数段下だ。
外からの見た目は庶民の家と大差なく、入り口の扉を開くとギィギィと不快な音を立てた。
中に入ると一歩踏み出すたびに床がきしむ音を立て、どこかカビ臭いのは気のせいではないだろう。これまで王宮住まいだったシェリルには、初めて見る世界だ。
一方、リンドグレーン以上に豊かな帝国の皇族であるはずのウィルフォード皇子は、慣れているのか全く気にならない様子だ。
しかし、シェリル女王の戸惑いは理解できるのだろう。ウィルフォード皇子は謝罪してきた。
「申し訳ありませんシェリル女王。やはり馬車で過ごしていただいた方が?」
「い、いえ!ウィルフォード殿下に無理を申し上げたのはわたくしですから……。
殿下は、普段通りお過ごしください。」
帝都に着くまでにある程度ウィルフォード皇子と親しくなっておきたいと考えたシェリルは、道中なるべく一緒に行動すると伝えていた。移動については馬車を使うことを譲ってもらった手前、これに関してはこちらが合わせるべきだろう。
以前帝都まで移動したときは、寝台付きの馬車で寝泊まりしていた。今回も引き連れてはいるものの、ここで行動を共にしなければ同道を希望した意味がない。
それに、ある程度時間がたてば、油断して帝国の秘密の一つでもこぼすのではないかという、下心もあった。
何か情報を得ることができれば、帝都での皇帝との婚前交渉が有利になるからだ。
「こういった市井の宿は、食事処を兼ねていることが多いです。この宿も、あちらで食事を提供しているようですね」
ウィルフォード皇子がそう言って指さした先の部屋は、確かにゆがんだ丸テーブルがいくつか並べられ、形のそろっていない椅子が無造作に並べられていた。
****
荷物を置いて休憩の後、ウィル達一行とシェリル女王は先ほどの丸テーブルを囲んでいた。
皆が座っている中で唯一、メイドのマリアはシェリル女王の少し後ろで待機している。
どこから集まってきたのか、他のテーブルはほぼ満席で、周囲はがやがやと話し声や食器の音で騒がしい。時折、身なりの良いシェリル女王やウィルフォードをちらちらと見る視線を感じるが、その程度だ。
この二人の身元が分かれば、それこそ大騒ぎだろうが、意外と他人を気にする者はいないものなのだ。
「シェリル女王は、何か苦手なものはありますか?」
「いえ、とくには……」
「苦手なものは」と聞かれたシェリルだったが、なんと返答すればよいか困惑する。
実際に特に食事に好き嫌いはないのだが、こんな未知の食堂から出てくる食べ物に、苦手なものがあるかどうかなどわからない。
「それでは、何かお食べになりたいものなどは?リクエストしてまいりますよ」
「し、市井ではどのような食事があるのかわかりませんので、ウィルフォード殿下にお任せいたします……」
消え入りそうな声で何とか返事を返したものの、ウィルフォード皇子の気遣いが逆に心苦しい。
首都ベルフライにいるうちは女王としての威厳を保っていたシェリルだが、王宮から外に出ると、あらゆるものが初めてで、いつの間にか女王の体面を保てなくなっていた。
生まれた時からあらゆる教養を身に着けてきたはずが、ここでは食事の仕方すらわからない。あまりに住む世界が違いすぎる。
「発言をお許しください、シェリル女王」
口を開いたのは、アルフレッド護衛騎士だ。
発言を許すも何も、全員丸いテーブルを上座下座もなく囲んでしまっている。許可します、と伝えるとアルフレッド護衛騎士は続ける。
「こういった物流の限られた地方では、その日とれた海や山の幸を使って、毎日違った料理を作っているものです。そのような場所では……」
「『おすすめをください』って言っとけば間違いないんスよ。
おーいそこのダンナ!こっちのテーブルにおすすめの料理を六つ出してくれ!
あっ、メイドさんの分もだから、七つかな!」
「ちょっとサイラス、シェリル女王陛下に軽々しく言葉をかけないで」
発言の許可もなく会話に割り込み、リゾルテ護衛騎士にたしなめられたのはサイラスというらしかった。ウィルフォード皇子の配下で斥候役をしているのだという。
この男ともう一人、ずっとフードをかぶっている神聖教神官の二人は、ただの平民らしい。帝国の皇位継承権を持つ人物が、貴族位すら持たない者を配下にしているなど、シェリルには理解しがたかった。
とはいえ、今はウィルフォード皇子に取り入るのが先決だ。
「いえ、王宮を出たら普段通りにとウィルフォード殿下にお願いしたのはわたくしですから。
皆さまも普段通りにお過ごしください」
ひきつった笑顔でそう返す。そうこうするうちに、注文した料理が運ばれてくる。
「お待ちどお!今日はいい魚が捕れたからな!新鮮な魚は焼きが一番!」
「ひっ!?」
出された皿には、一尾丸ごと焼いた魚が置かれている。
王宮での料理といえば切り身の状態でしか魚を見たことのないシェリルには、なかなかのインパクトだった。
「これは、どうやって食べれば……?」
「きれいな嬢ちゃん!もしかして魚は初めてかい?さては山の方の出身だろ?」
戸惑うシェリルに、店の主人が話しかけてきた。
「ご主人、この方は高貴なお方なんです。丁寧にお願いしますよ?」
ウィルフォード皇子がたしなめるが、主人は気にしていないようだった。
「焼いた魚は頭と尻尾を持って、ガブっといくのがうまいんだぜ?」
「主人、それよりナイフとフォークを……」
「いえ、大丈夫です。はむっ……!」
ウィルフォード皇子に気を使われたままでは、帝都到着までに親密度を上げるのは難しい。
シェリルは思い切って目の前の魚にかぶりついた。
「これは……!素朴な味ですが、悪くはありませんね」
こんな、貴族的な言い方をすれば下品な食べ方に忌避感があったのだが、言われるがままにしてみると意外と悪くない。改めて考えてみると、自分はいったいこんな場所で何をしているのだろうと、少し滑稽に思えてきた。
「嬢ちゃん、いい食べっぷりじゃねぇか!お代わりが欲しくなったら言ってくれよな!?」
そう言って店の主人は行ってしまった。
「シェリル女王。ご無礼をお許しください」
「ふふ……」
「シェリル女王?」
「いえ、たまには悪くありませんね。ふふふ」
本人の願いとはいえ、女王をこんな場所に連れてきてしまったことを後悔したウィルだったが、思いのほかシェリル女王の表情は柔らかかった。
****
翌日の夜。
「そういえば、改めて皆さんのお名前をお聞きしても?」
少し余裕が出てきたのか、食事の席でシェリルはそう切り出した。今日の夕食は干し肉と野菜のスープだ。余裕があるのは、魚の丸焼きよりは食べ方がわかりやすいせいもあるかもしれない。
「これは失礼を。私がウィルフォード・エスタリア。右隣からリゾルテ護衛騎士、アルフレッド護衛騎士」
「リゾルテです」
「アルフレッドと申します」
座ってはいるが、二人は騎士の礼をとる。
「続いて、サイラスと、ユーベル・マクナイトです」
「よろしくお願いいたします。シェリル女王陛下」
「よろしくっス」
「サイラス。何度も言わせないで。失礼な言動は殿下の評判を下げることになるわ」
まだ二日足らずではあるが、ウィルフォード皇子と配下の関係性が見えてきた。
斥候であるサイラスは、貴族的な礼儀作法はないものの、逆に平民の中に溶け込むには重要な存在だ。
そして神官のユーベル。多少の治癒の奇跡が行使できるらしく、ウィルフォード皇子がこれほど少人数で旅ができているのも、この治癒の能力が大きいのではと感じられた。
さらに護衛の二人。二人の戦闘面での強さは心得のないシェリルには測ることはできないが、二人のうちどちらかが必ずウィルの周囲を警戒している。
帝国の皇族がなぜこんな面々と行動を共にしているのか?と最初に感じた疑問は、今ではほぼなくなっていた。
ウィルフォード皇子が皇族とは思えない軽いフットワークで神聖都市やリンドグレーン王国に訪問できるのも、少人数で必要十分な人員がそろっているためなのだろう。
自分のような王族が移動するとなれば、護衛やら身の回りの世話やらで、何台もの馬車を連ねて進んでいくことになる。必然的に移動は遅くなり、補給のために大きな町を経由しつつ進むしかない。
逆にたった五人であれば、今のように宿に泊まりながら最短距離を進むことができる。それに、身分に大きく違いがあるはずなのに、五人は仲が良いように見えた。
「この度の同道は、わたくしがウィルフォード皇子に無理を言って許可をいただきました。
これから夫となるお方のことを、よく知ろうと考えたためです。
ぜひ、わたくしのことも仲間とお思いください」
「これはこれは、大変光栄なお言葉ですな」
「ほらリズ姉さん、やっぱり普段通りでいいってシェリル女王様も言ってるじゃないスか?」
「そうだけど……」
思った以上に、五人は気安い。そして、お互い信頼しあっているのだろうことが、会話の中から感じられた。
王宮で周囲の貴族たち全員を疑いながら暮らさなければならないシェリルとは、正反対だ。
「よいのです。私のことはシェリルとお呼びください」
「それはさすがに!一国の王なのですから」
自分のことを名前で呼ぶように言ってみたが、ウィルフォード皇子は遠慮しているようだ。
「皇族とばれるのはよろしくないのではないでしょうか?ウィルフォード皇子?」
「それはそうですが。……わかりました。では僕のこともウィルフォードとお呼びください」
「シェリル女王のおっしゃることも一理ありますな。
我々護衛騎士がいるとはいえ、身分がばれないよう用心に越したことはありません。
これからはわたくしどもからも、シェリル様とお呼びいたしますかな」
「ありがとう、アルフレッド卿」
シェリルをどう思っているのかはわからないが、彼らはシェリルに対しても必要以上に警戒することもなく、王宮であれば無礼ともとれる距離感で接してくる。
父である前王が崩御してから、メイドのマリアやごく一部の見知った貴族の前以外では、気の休まる時などなかった。
シェリルの言葉は慎重に慎重を重ねなければ、貴族に拡大解釈されるか、上げ足を取られていいように扱われてしまうからだ。
それが何の皮肉か、他国の皇族しかいないこの場では、逆に神経を張り詰める必要も無く、だんだんと心地よさを感じている。
「リゾルテ卿、サイラス、ユーベルも。よろしくお願いしますね」
天蓋も装飾もない、硬いベッドに寝ることなど今までなかったが、緊張から解放されたシェリルは旅の間よく眠ることができた。
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