8.狙われたウィル
衣装替えのために自室に戻ったシェリル女王は、ふぅ、と大きく息を吐いた。
まる一日主賓として気を張っていたので、さすがに疲労がたまっている。それでも今のうちに少し頭を整理しておかなければ。
「マリア、帝国の第四皇子のこと、貴女はどう思ったかしら?」
シェリル女王が問いかけた相手は、一日中ずっと女王に付き従い、着替えや飲食など身の回りのあらゆる世話をしている、マリア・ソールズベリーだ。
彼女は単にメイドとしてだけではなく、女王の側近としての役割も果たしている。
女王に取り入ろうと侍女を送り込む貴族はほとんどいなくなってしまったため、人材不足なのだ。その理由は、リンドグレーン王家の弱体化にある。
前王が崩御されてからというもの、リンドグレーン王族の力ははるかに弱まってしまった。
王家の血筋はシェリル女王ただ一人になってしまったし、シェリル本人といえばまだ成人したばかりで、貴族たちと社交界で強固なつながりがないためだ。
本来王家を支えるべき貴族たちは、たった一人の若すぎる女王を無視して、自らの権力を拡大するためだけに奔走している。
それでも、忠義にあついわずかな貴族や文官たちが、今のシェリルを支えている。
その中の一人がマリア・ソールズベリーというわけだ。幸いマリアは非常に優秀で、まだ王女の役割に慣れないシェリルの相談相手にもなっている。
「頭は悪くないようですし、表面上は穏やかな性格のように感じられました。
……扱いやすいのではないでしょうか?」
一介のメイド風情がしてよい物言いではないが、ここにいるのはマリアと、主人のシェリル女王だけだ。
そしてシェリル女王が望んでいるのも、こうした忌憚のない意見なのだ。
女王は非常に孤独だ。それこそ、女王に忠誠を誓う貴族たちにすら、おいそれと相談できないほどに。
女王が中途半端に貴族に相談でもしようものなら、あるはずのない裏の意図を探られ、たとえ貴族が味方だったとしても良い影響はない。そういう意味でも、王族がシェリル一人になってしまった現状はとても厳しい。多少でも意見を求めることができる相手は、シェリルにとって非常に貴重だ。
「そうね、私も同意見です。
結婚相手としてであれば、できることなら帝国の第一皇子が来てくれたらよかったのですが」
帝都でエスタリア帝国皇帝と謁見した際に同席していた、長男のデューン皇子。彼は主に帝都内を活動範囲として皇帝の執務の大半を代替しているらしいことが、前回の訪問時にわかったことだった。ほかの兄弟たちは大なり小なり地方へ周遊している。
対外的には、今は皇位継承権をめぐり、兄弟で功績を競い合っているのだという。
だがシェリルの読みでは、デューン皇子が皇帝を継ぐことが決まっているのだろうと思われた。次代のエスタリア皇帝と婚姻を結ぶことができれば、これほど後ろだてとして心強いことはない。
「戴冠式に列席することと、シェリル様と結婚することとのつながりが分からないのですが?」
マリアは疑問を口にした。彼女は帝都訪問時には同行していかなかったので、皇帝との謁見時の出来事をまだ知らないのだ。それに気づいたシェリルは説明する。
「帝都で皇帝と謁見したときに、こちらから婚姻を持ち掛けたのです。
リンドグレーンに対するオリエンス王国の影響を減じ、帝国の影響力を保ちたいのであれば、女王であるわたくしの王配を用意するように、と」
「シェリル様……」
マリアは表情には出さないが、まだ成人したばかりのこの少女が、すでに王族として自らの結婚すら政治のカードとしていることに憐れみを感じた。せめて先代の崩御があと数年でも遅ければ、ある程度心の準備もできただろうに。
「そしてやってきたのがあの第四皇子です。
末っ子とはいえ、皇族を派遣してきたということは、ある程度は我が国を重要だと認識しているようですね。悪いことではありません」
「シェリル様、本当によろしいのですか?
まだお若いのですから、結婚相手くらいは、社交界で気の合う相手をお探しになればよいのに……」
マリアは残念そうにそうつぶやく。
この言葉は側近としてではなく、シェリルが王女だったころから身の回りを世話してきた、メイドのマリアとしての意見だ。いくら王族だといえ、わずか数分の会話だけで、彼女の生涯の伴侶が決まってしまうとは。
「よいのです。父上から受け継いだリンドグレーンを次代に受け継ぐためですから。
そういう意味では、見るからに頭の切れそうなデューン皇子より、ウィルフォード皇子の方が御しやすく役に立つでしょう」
マリアの心配をよそに、シェリルの表情は淡々としている。彼女にとって自分の結婚相手など、もはや自国を安定させるための一手に過ぎないのだ。
最後にシェリルは決意するように言った。
「明日の王国議会で、計画を実行に移します」
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