1.次代への想い
聖教都市に現れた異界の魔物を無事倒し、元・聖女の娘、ユーベルを仲間にしたウィル一行は、大陸の中央南部に位置するリンドグレーン王国へと向かう。
広い部屋にコンコン、と扉をノックする音が響く。深夜の訪問者を待っていた部屋の主人、リンドグレーン王国国王ニコラス・アーロン・リンドグレーンは、威厳のある声で「入れ」と入室を許可した。
「失礼いたします」
清流のような澄んだ声とともに入ってきたのは、ニコラス国王の一人娘、シェリル・ローズ・リンドグレーン。
今日、15歳の成人の儀を終え、この王国のたった二人の成人王族となった。
そう、ニコラスは子供に恵まれず、リンドグレーン王国の直系の王族はニコラス本人と、娘のシェリルだけになってしまっている。
シェリルは父に似た黄金のような金の髪を揺らしながら、部屋に入る。
この国の15歳にしては背は低い方で、美しくも幼さの残る顔立ちも相まって、初対面の相手には年齢よりも幼く見られがちだ。しかしその容貌から想像されるイメージとは逆に、目の奥の光からは深い思慮と王族としての威厳が感じられる。
幼いころから、将来の女王として政治経済から市民の暮らしまで、あらゆる教養を叩き込まれてきた証だ。
その歩き方、立ち居振る舞いも、一目見れば高貴な生まれであることが即座にわかる。
「さあ。もっとこちらに来なさい」
ニコラス国王はシェリルに近くに来るよう促した。
先程入室を許可した時よりも、声には家族へ向ける愛情が滲み出ている。そして、多少の疲れも混じっていた。
ニコラス国王はここ最近体調が良くない。執務中に集中力は続かず、式典などではふらつくことも多い。
診察をした宮廷医師は「問題ありません」と言っていたが、自分の体のことは自分が一番よくわかる。王はもう死期が近いことを感じていた。
「今日は素晴らしい成人の儀であった。これで国内貴族のみならず、周辺諸国もお前のことを一人前のリンドグレーン王族として扱うだろう」
「ありがとうございます。お父様」
ふわっと微笑むシェリル。
洗練された所作の中に、国王に対する敬意だけでなく、父への、唯一の家族への親しみが込められている。さらには、深い悲しみも。
最近の国王の体調悪化はシェリルも知ってはいた。
成人の儀が終わった当日に、人払いをしてまで呼ばれたシェリルからすれば、想像以上に父の体調が悪いのだろうと考えてしまう。
そしてそれは、当たっているのだ。
「成人となったお前は、いつかこの国の国王となる。
その時がいつ来てもいいように、しばらく先のこの国の目指すべき方向を話しておきたい」
「……」
シェリルは伏し目がちに国王の言葉を受け止めている。
ニコラス王の言った「いつか」は、もうそれほど遠いことではない。ニコラス王本人も、シェリルも感じ取っていることだ。
「わがリンドグレーン王国は、もう何世代にもわたって帝国と王国の勢力争いに翻弄されてきたことは、知っているな」
「はい、お父様」
大陸の西に覇を唱えるエスタリア帝国と大陸の東方を支配下に置くオリエンス王国。長らくこの2つの大国は勢力争いを続けている。
ちょうど大陸中央を縦断する山脈のおかげで、恒常的な衝突は避けられているものの、一部には例外がある。
その最たるものがこのリンドグレーン王国だ。大陸を縦断している山脈は中央部を少し南下したところで終わっていて、そこから海までは平野が広がっている。
リンドグレーン王国の国土は、ちょうどその平野を中心とした、大陸の南部中央に存在している。大規模な軍隊は大陸を縦断する山脈を超えることが現実的に難しい。帝国と王国は、お互いに相手を攻めるために必然的にリンドグレーン王国を通る必要が出てくる。
すなわち、リンドグレーン王国を押さえることは、相手を攻めるための橋頭保を築くことになるのだ。
このためリンドグレーン王国は、古来より帝国と王国による硬軟織り交ぜた勢力争いの場となっていた。
「それでも大国に挟まれた我が国が今まで生き残ってきたのは、代々のリンドグレーン王が両国とうまくバランスをとってきたからに他ならない。
王国から侵攻を受ければ帝国から軍事協力を引き出し、帝国と我が国の有力貴族で婚姻があれば、王国の貴族とも縁談を進めてきた」
「これからも、2つの大国との距離を慎重に測りながら国を治めるということですね」
「うむ。しかし、わしはもう限界ではないかと考えている」
「……」
聡明なシェリルは父の言わんとすることを先読みしようと考える。リンドグレーン王国のバランスを崩しかねない要因……
「領土拡大をもくろむ、オリエンス王国でしょうか?」
「そうだ。近いうちに、リンドグレーン王国自体が立場を明らかにするしかなくなるだろう」
近年、東方のオリエンス王国による領土侵略が激しさを増している。
以前までは小競り合い程度の戦闘で、それももう一方からの武器や資金の援助を受けてリンドグレーン王国自体はそれほど疲弊することはなかった。
ところがここ数年、オリエンス王国側からの侵略行為は回を追うごとに規模が大きくなり、小競り合いではすまなくなっている。
「オリエンスと協議を行うのですか?」
ニコラス王は答えない。それを決めるのは、次の王の役割だからだ。
「すでに国内の貴族たちも、オリエンス王国に取り込まれた者と、エスタリア帝国に従う者に二分されてしまっている。
王が力を持たなければ、我が国は2つに分かれてしまう」
「ですが、どうやって王族の力を……?」
それも、次代の王への宿題なのだろうか。
ニコラス王はふっと父親の顔に戻ると、シェリルを抱きしめた。
「シェリル。わしのせいでお前を一人にさせてしまって済まない。
わしがいなくなったら、せめて自分が信じられる伴侶を、頼ることができる王配を探しなさい」
「父上。しかし……」
国内の貴族は、ニコラス王が言う通り帝国貴族の言いなりか、オリエンス王国貴族に弱みを握られた貴族たちばかりだ。
そんな中から信用に足る人物など探せないではないか。
そう言おうとしたシェリルに、父親としてのニコラスがそっと諭す。
「自分で見て、感じたことを信じなさい。良いね?」
それからしばらくして、リンドグレーン王国 国王ニコラス逝去の報がエスタリア帝国とオリエンス王国にもたらされた。
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