2.少女を助ける三人
「はぁ。街へはまだ着かないのかしら……。やはり馬車を使った方がよかったのでは?」
なだらかな上り坂が続く街道の真ん中を、三人の旅人が歩いている。先ほどから不満を口にしているのは、すらっとした長身の少女だ。
年は17、8歳くらいだろうか。その身長に負けないほどの長い髪は、太陽の光を赤茶色に反射している。すっと通った鼻筋に目元は引きしまり、凛とした顔出ちに多くの男たちが見とれるだろう……が、今は疲れているからか口元は垂れ下がり、緊張感のない表情をしている。歩くたびにカチャカチャと装備している防具が音を立てるが、その音色も心なしか元気がないように聞こえるほどだ。
「悪かったよリズ。手持ちが心もとなくて、節約した方がいいかなと思って」
少女をリズと呼んだのは、隣を歩く少年だ。リズよりも頭ひとつ背は低く、すこし幼い。顔つきもまだ無邪気さを残しているが、あと5年もすれば周りの女性が放っておかないだろうと言えるくらいに整っている。歩くたびにつやのある黒い髪がさらさらと揺れて、普段から良い暮らしをしているのが一目でわかるようだ。
「いえ、ウィルフォード殿下を非難しているわけではありません。それにしても私やアルフレッド様がいらっしゃるというのに、当座の資金どころか殿下の魔杖まで置き引きされてしまうとは……。面目ありません」
リズは疲労困憊の上に、がっくりと肩を落とす。昨日立ち寄った小さな町で、少し目を離したすきに持っていた旅費をあらかた盗まれてしまった彼らは、残った資金で何とか目的地までたどり着くため、こうして徒歩で歩いている。
それどころか、ウィルフォードの装備である魔杖までも、その泥棒に持っていかれてしまった。これではウィルフォードは思うように魔法が使えない。身を護るためにも、魔杖を取り戻さねばならない。
「まぁまぁリゾルテ殿。かわいい子には旅をさせよ、というではありませんか。ウィルフォード殿下が外遊にお出になるのは初めてですし、帝都以外の景色をじっくり見て回るのも、よい経験になるでしょうな。」
そういってがはは、と笑ったのは、リズやウィルよりも格別大きな体躯をした、壮年の男だ。短く切りそろえられた金髪とあごひげは、体躯に似合わない本人の几帳面さを感じさせる。
体格だけではなく年齢も二人よりも一回りほど上のようで、余裕のある話し方は人生経験の豊富さを表しているのだろう。装備は動きやすそうな革鎧に、背中に戦斧を担ぎ、左手には盾を持っている。
「頼りにしているよアルフレッド護衛騎士。僕もリズも帝都から出るのも、旅をするのも始めてだ。フェブリア姉上が貴君を派遣してくださったことに感謝しないとね。」
ここ、エスタリア帝国は大陸西部を領土とする大国だ。皇帝アウグストゥスを頂点とする君主制で、皇帝の直系の子供の一人が、この少年、ウィルフォード第四皇子だ。
ウィルフォードを含め次の帝位を継ぐ可能性のある皇族たちは、各々帝国内から選りすぐられた護衛を配下に持っている。護衛たちは並の兵士ならば数百人と渡り合うほどの実力を持ち、護衛騎士という名で帝国内ならず大陸全土に知れ渡っている。
「リゾルテ殿も護衛騎士ですから、殿下をお守りすることに不安はありませんが、旅というものは何が起こるかわかりませんからな。いや、我々護衛騎士の目をかいくぐって盗みを働くなど、もはやあっぱれですな」
再びわははと笑うアルフレッド。護衛騎士は特定の皇族に仕えていて、一度主君が決まれば一生そのままだ。アルフレッドはもともとウィルの姉フェブリアに仕える護衛騎士で、帝都で奥さんと暮らしている。
直系男子から皇帝を擁立するしきたりのあるエスタリア帝国では、女性皇族であるフェブリアは、もとから王位継承権はない。このため悠々自適に帝都暮らしができると思いきや、初めて遠征に行く弟ウィルフォードが心配になったフェブリアが、一時的にアルフレッドを護衛として貸し出すことにしたのだ。
「アルフレッド様はのんきですね……。アルフレッド様にご協力いただいた上に、主人の持ち物を盗まれるなんて。帝都に帰ったら私、騎士団長にどれだけどやされるか……」
はぁ、とさらに疲れた様子のリズは、街道の先に目をやった。今日は天気は良いが風もなく、乾いた街道から土埃が経つこともない。ずっと先まで景色がよく見える。
「ん?あれ、何かしら……?」
両腕をだらんと下げてへたへたと歩いていたリズが、突然全身を緊張させる。坂を上り切ったあたりに小さく人影が見えた。
「向こうから誰か走ってきますな……」
アルフレッドも怪訝そうな顔つきで坂の上を見ている。何か剣呑な雰囲気を感じ取ったリズが、すっとウィルの一歩前に出る。先ほどまでのだらけた気配はなく、いつの間にか右手には剣が抜き放たれていた。
走ってくるのは女性のようだが、何かから逃げているように見える。足がもつれているが必死だ。こちらに気づいたらしく、手をあげて助けを呼んでいる。
「リズ!」
ウィルが叫ぶと、リズはすぐさま走り出した。
「アルフレッド様!殿下をお願いします!」
アルフレッドが返事をしようとしたときには、リズははるか向こうへ走り去っていた。
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「助けてください!!!」
私がそう叫ぶと、一番最初に走り出したのはなぜか少女のようだった。なだらかな坂の向こうに見えたのは三人組で、男女二人の子供を大人が連れているように見えたから、助けを呼べるなら大人だと思ったのだ。関係のないものを危険に巻き込んでしまったかもしれない。そう考えているうちに、少女は想像もつかない速さで走り寄ってくる。
近くまでくると、この少女も武装していることが分かった。軽装鎧にロングソードと円盾。オーソドックスな冒険者といったいでたちだ。
「大丈夫?」
「はぁ……はぁ……と、盗賊に追われて・・」
私は走ってきた少女に助けを求めようと話しかけたが、少女はスピードを緩めず私のすぐ横を走り抜ける。赤茶色の髪が目の前をふわりとかすめた。思わず目で追いかけると、少女は腰の後ろからロングソードを抜き放ち、そのまま振り抜いた。
キン、と金属音が聞こえ、私が振り返った時には盗賊の放った矢が撃ち落されていた。助けを呼んだことで、盗賊が少女を仕留めにかかったのだろう。少女に防いでもらえなければ背中に直撃していたことだろう。
「あ、ありがとうございます。」
「問題ありません、仲間が来るまで私の後ろに隠れてください。」
少女は凛とした声でそういうと、近づいてくる盗賊を注意深く確認している。私はというと、限界まで走ったせいでめまいがひどい。息を吸い込みすぎてのどが痛いが、自分の肺ははぁはぁと呼吸を落ち着かせることを許してくれない。
くらくらしながら、私は少女の後ろにそそくさと移動する。追いついてきた盗賊は5人だ。四人はロングソードを持ち、最後の一人は弓使いだ。弓使いは近接戦闘用にナイフに持ち替えている。
「おっ?そっちの嬢ちゃんも俺たちの相手をしてくれんのかぁ?」
「どこのメイドが知らねぇが、たっぷり奉仕してもらおうか。」
下品な笑い声をあげながら、じりじりと包囲を広げていく盗賊。少女は周囲を警戒しているようだが、手に持った剣はだらんと垂らしたまま、脱力しているように見える。やがて、道の後ろからあとから走ってきた二人が追い付いてきた。
「けがは?」
「はい、大丈夫です。」
話しかけてきたのは年も背格好も私と同じくらいの年の少年だった。おそらく裕福な家庭なのだろう、町民の服装ではあるが身ぎれいな格好をしている。その後ろには革鎧を身に着けた見上げるほど大きな体格の男。おそらくこの少年の護衛なのだろう。
「リズ、いけるか?」
「問題ありません、ウィル殿下」
少女の名前はリズ、金持ちそうな少年はウィルというらしい。真剣な表情のリズに対して、ウィルは散歩でもしているかのような緊張感のなさだ。裕福な家で何不自由なく生きている人間というのは、こういう緩んだ顔つきをしているものだ。
「それでは私はお二人をお守りいたしましょう。」
大男がそういった。リズは同時に5人も相手にできるのだろうか?
「最初に死にてぇのは嬢ちゃんってか?」
「死ねや!」
へらへらと意地の悪いにやけた顔をしながら、盗賊は同時にリズに襲い掛かる。……と同時にリズも地面を踏み込んだ。
ドン、と大地を蹴る音と主に土埃が立ち上る。リズはまず五人のうち真ん中の盗賊に矢のようなスピードで近づいた。
「なっ!?」
突然間合いを詰められた盗賊は狼狽して持っていた剣を振りぬいたが、リズはわかっていたかのように一歩手前で立ち止まる。空を切った剣によってバランスを崩した盗賊の顎に、リズは膝を食らわせた。意識を失いそのまま崩れ落ちる盗賊。
驚いた他の盗賊が体勢を立て直すより早く、リズは方向転換し、右側の2人に狙いを定める。隣にいた盗賊の武器を持っていた剣で跳ね上げると、みぞおちに掌底を一発、その間に剣を振り上げていた一番端の盗賊は、剣を振り下ろす間もなく回し蹴りを受けて昏倒した。
「くそっ!」
リズが残った2人に視線を向けると、勝てないと踏んだのだろう、武器を捨てて一目散に逃げだそうと背を向けたところで、瞬時に追いついたリズに後頭部を殴られ、気絶したのだった。
リズの手際よい動きばかりに意識を向けていたところに、空気を切り裂く不吉な風切り音が聞こえてきた。その直後、ウィルの後ろに控えていた大男がぬっと手を伸ばし、何かをつかみ取る。見るとどこからか飛んできた矢のようだ。街道に姿を現した5人に気を取られている間に、森の中から奇襲を仕掛けてきたのだろう。
「森にあと3人ほどいますな。左手に二人。右手の一人は私が」
「はぁぁっ!」
リズは気合の声とともに、とっ、と地面を蹴りこむ。リズの体は街道沿いの森に向かって高く舞い上がり、木々のてっぺんくらいまで到達した。
「ブレイド・インパクト!」
急降下したリズが持っていたロングソードが振り下ろされる。爆発のような轟音とともに放たれた衝撃波が、周囲の木もろとも隠れていた盗賊に襲い掛かる。大男が言った通り、二人の盗賊が森の中から吹き飛ばされて街道に飛び出してきた。ごろごろを何度か回転して、二人とも仰向けになったまま動かない。どうやら、衝撃で気絶しているようだった。
「終わりましたな」
大男の方も、いつの間に森に入ったのか、右手で盗賊のベルトをつかんで引きずって出てきた。こちらも意識がないのか、大男に雑に放り投げられるまま、街道の真ん中に横たわった。
「皆さんは、いったい……?」
思わず、そう口に出してしまった。
助けを求めておいて失礼ではあるが、自分たちより人数の多い盗賊をいとも簡単に退治してしまうこの護衛と、金持ちそうなこの少年はいったい何者なのだろう。
「無事でよかった。とりあえず、盗賊を縛り上げてから、お話します」
顔の整った、世間知らずそうな少年はそういって、にっこりと笑った。




