17.喚び出された悪意
地下では儀式の最終段階に入っている。魔法陣に魔力が注ぎ込まれ、部屋全体がほのかに光を放ち始めた。何か異様な気配が漂ってきているのが、主教たち全員にもわかった。
「おぉ……」
クレイグ主教は瞬きもせず、魔法陣を食い入るように見つめている。他の主教たちも、魔法陣から少し離れて思い思いにその瞬間を迎えようとしていた。
白い光がいっそう強くなる魔法陣から、パチパチと稲妻が地下室の天井へと走り抜けていく。
おそらく「あちらの世界」との扉が開いたのだろう。魔法陣の中央から、風が吹き始めた。最初は僅かな空気の揺れだったものが、徐々に勢いを増す。
「さぁ!現れよ!魔族よ!」
クレイグ主教も、ウォーレス主教も、他の主教たちも、魔法陣に目を奪われている。風はいよいよ強くなり、地下の壁に準備されていた燭台の火をことごとく消し去った。しかし魔法陣の強い光で、むしろ昼間のような明るさだ。
「ハハハハハ!女神シーラの恩寵により、我ら神聖教は比類なき力を手に入れる!」
魔法陣の中央に、真っ黒な何かが姿を表した。召喚は成功したのだ。
興奮したクレイグ主教が、魔法陣に向かって一歩前に踏み出したその時、
ドスッ
真っ黒な何かから伸びた触手が、クレイグ主教の胴を貫いた。
「……っ!?ごぼッ!」
クレイグ主教は膝のちからが抜けたが、倒れることはない。触手がその力で体を持ち上げている。さらにずりずりと魔法陣の中心に向かってクレイグ主教を引きずっている。
「……」
ほかの主教たちはまだ何か起こっているのか把握できないようで、呆然と立ち尽くしている。そのあいだにクレイグ主教は真っ黒な何か……魔族のところまで引きずられ、ついにはその中に取り込まれてしまった。
「ひっ!」
我に返った一人の主教が、思わず手にしていた金属の杖を落とすと、地下室内に甲高い音が響く。その音が合図となったのか、クレイグ主教を貫いた触手とは別の触手が、金属の杖に巻き付き、またしても中心へ引きずられる。
「ひぃぃっ!」
声が出ないほどの恐怖に駆られて、触手に杖を取り込まれた主教が出口に向かって走り出す。しかしまたしても足音に反応したのか、次の触手は主教に巻き付いた。
「やめろ!やめてくれ!うあぁぁぁあああ!!」
手足を振り回して主教はもがくが、触手の圧倒的な力で引きずり込まれていく。ここに至って主教たちは、この魔族が制御不能であることにやっと気づいた。主教たちは我先にと地下室の出口に向かって押し掛ける。
「ひっ!!」
「早く!!早く登れ!」
「わあああああ!!」
一人、また一人と、触手に巻き取られて取り込まれる主教たち。魔法陣の中心だけだった、真っ黒な異界の存在は、どんどんと巨大化し地下室の天井に届きつつある。まるで溶けた金属のような黒い塊は、触手で周囲のものを取り込みながら、膨らんでいく。
ぼこっ……ぼこっ……
水中の泡がはじけるように、黒い塊が膨らみ、体積を増し、ついに地下室の天井を破ってブリストン大聖堂の中央塔をその巨体で満たしていく。聖堂に向かって階段を上っていた残りの主教も、全員黒い塊に取り込まれ、もはやこの存在が何なのかを知るものはいなくなった。
さらに膨張をつづけた黒い塊は、大聖堂を破壊し、そこにもともと立っていた中央塔と同じくらいの高さにまで成長した。
まるで円錐を逆さまにしたような形をしていて、上に行くほど体積がふくらんでいる。周囲は何か生き物の顔のようなものが浮かび上がっては消え、つぎつぎと叫び声をあげているようだった。
大聖堂が崩れた音を聞いて、奥屋の守衛や周囲の住人が集まってきた。黒い塊は中央塔を崩してから、しばらくその動きを止めている。
「おいおい、なんだこれは?」
「女神様……お助けください……」
「主教様をお探ししろ!大聖堂にいたはずだ!」
「逃げろ!これは悪魔だ!」
得体のしれない黒い塊からは、神官ではなくても直感的に邪悪な気配を感じ取ることができた。初めて見る邪悪な存在に、逃げ出すもの、女神に助けを求めるものなど、さまざまだった。
その中で一人、酒に酔っていたのか、正義感からか、黒い塊に無謀にも挑もうとする者もいた。
「おい!ざけんなよ!!大聖堂を壊しやがって!」
男はその辺に落ちていた棒を拾い上げて、黒い塊の足元へ振り下ろす。棒が当たると、べちゃっ!と水に濡れた洋服をたたいたような音が聞こえてきた。
「くそっ、効いちゃいねぇ!」
今や大聖堂と同じくらい巨大になった塊からしてみれば、その男が振り下ろす棒の一撃などなんのダメージにもならないのだろう。それでも男は何度も棒を振り下ろした。
「この悪魔め!」
べちゃっ、べちゃっ、と音が周囲に響く。少し遠巻きに、恐怖と、少しの好奇心で男の様子を眺める住人もいる。最初は数人だったが、10人、20人と増え、今は100人を超えるほどまで数が増えていた。
「おらおらぁっ!」
周囲に自分の勇気を見せたかったのか、男がとりわけ大きな声をあげながら棒を振り上げたとき、黒い塊から羽の生えたゴブリンが生み出された。
いや、ゴブリンと呼ぶには背は高く痩せていて、人間の大人くらいの身長をしている。体は黒く、黒い塊と同じく邪悪な気配を漂わせている。
「あ……悪魔……」
突然目の前に現れた「悪魔」に、それまで威勢の良かった男は呆然としていた。宙に浮いているのか、足を動かした気配はないのに移動できるらしい。悪魔はするすると男のところへ近づいてきて、男へ向かって枯れ枝のような手を突き出した。
ドスッ!
「あ……」
心臓を貫かれた男は、振り上げた手から力が抜け、すぐに死んだようだった。周囲で様子を見ていた者は、わずかにあった好奇心を一瞬で恐怖に変えられ、大声をあげて逃げ始めた。
「逃げろ!」
「うわぁぁっっ!!!」
「やばいぞ!!」
大声に反応したのか、黒い塊からは次々と悪魔が生み出され始めた。悪魔は近くの住民に向かって飛び回り、襲いかかる。
最初の男のように、体を貫かれて死ぬ者、悪魔に噛みつかれて激痛に叫び声をあげる者……大聖堂だった場所の周囲は地獄と化した。パニックになって逃げる住民同士がお互いを踏みつけ合い、怪我をするものも出ている。
「おとーさーん!」
「俺のことはいいから早く逃げろ!」
「いやあぁぁぁ!!だれか!手当を!!」
「大聖女様をお呼びするんだ!神官はどこだ!?」
「悪魔がこっちにも来てる!」
「くそっ!冗談じゃないぞ!!」
「武器をもってこい!衛兵を呼んでくれ!」
悲鳴を聞きつけてさらに周囲から人があつまり、集まった人間を悪魔が襲う。その様子を見て悲鳴が上がり、新たな悪魔を生み出す。
伝染病が移ってゆくように、恐怖とともに悪魔が都市内に広がっていく。逃げ惑う人々とは逆向きに、紺色の法衣をまとった人物が大聖堂へと向かっていったが、気づくものはいなかった。
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