11.最悪な夜
陰鬱な気分で、真夜中の都市を屋根から屋根へと飛び移る。
紺色の法衣は、暗闇に自分を溶け込ませてくれる。まるで自分が夜になったかのようだ。
ユーベルはクレイグ主教の命令を遂行すべく、宿屋へと向かう。すなわち、第四王子ウィルフォードの殺害だ。
今から私は、人間を殺すのだ。大聖女ダイアナが、生涯かけて癒し続けてきた人間を。彼女の崇高なる活動に、人生に、名誉に泥を塗ることになる。
「頭がぐちゃぐちゃでどうしたら良いかわからない……」
独り言を言っても、受け止めてくれる人は誰もいない。ダイアナに助けを求めることもできない。心を深く闇に沈めよう。とにかく、あの四人だけだ。もう、これ以上は罪を重ねられないと、帰ったら主教に伝えよう。
無理矢理自分を納得させて、ウィルフォードが止まっている宿屋の屋根から、3階の窓を覗き込む。人間ではない私は、脚力や握力も人のそれではない。少し力を入れて握り込めば、壁に指がめりこんでゆく。凹凸のない垂直な壁も掴んで張り付くことだってできる。
ユーベルは右手で壁をつかみ、自分の体をぶらりとおろした。
窓を覗くと、ウィルフォードは寝ているようだった。よかった。すぐにすみそうだ。
「その紺のブレスレット……大聖女様が夜這いですかな?」
声を聞いて視線だけを向けると、隣の部屋の窓から大柄の男が顔を出していた。こいつはおそらく護衛のアルフレッドだ。まずい。一番面倒な相手に見つかった。
「……」
顔はフードに隠れて見えていないだろうが、この法衣はまずかったか。相手が自分を人間だと思いこんでいるうちに、一撃で殺すべきだ。そう決めた私は、本当の姿を少しさらけ出す。
ビシュッ!!
法衣の下からニュルリ、と突然現れた触手が、アルフレッドの頭蓋目掛けて矢のように伸びる。通常ならば回避不能の至近距離からの攻撃。しかし、アルフレッドはすでに頭を部屋の中に引っ込めていた。いくら速さがあっても、あまりに攻撃な直線的すぎたのだ。触手を伸ばした勢いで、アルフレッドが顔を出していたところに飾られていた植木鉢が下に落ちていった。
陶器の砕ける大きな音が響いて、驚いて眠りから冷めたのであろう近所の犬が吠え始めた。
「しまった!」
暗殺に失敗するのは最悪だが、神聖教の神官が王族の寝込みを襲う姿を見られるのはもっと最悪だ。時間がない。戦い慣れていない私は、焦りで視界が狭くなる。まずはウィルフォードを殺さないと。もう多少の音が出てもしょうがないと、無理矢理窓をこじ開けてウィルフォードの部屋に入ると、そこにはすでにもう一人の護衛がいた。
「はあぁぁっ!!」
こいつは確かリゾルテという女の護衛だ。突き出された剣を咄嗟に触手で防ぎ、「呪い」を与える。
「ぐっ……」
リゾルテは倒れ込んだ。今頃強烈な脱力感に襲われていることだろう。よし。これで一人は殺ったも同然だ。
「殿下!ウィルフォード殿下!!」
叫びながらドンドンと扉を乱暴に叩く音が聞こえる。アルフレッドがやってきたのだろう。一人倒したことで落ち着いてきた心がまた焦りを感じ始める。周囲を見やると、物音に異変を感じて一部の部屋に灯りがつき始めている。ウィルフォードも飛び起きてしまった。まずい。まずいまずいまずい。
「リズ?大丈夫か?リズ!!!!」
睡眠から意識が覚醒し、倒れている護衛を見つけて突然大声をあげるウィルフォード。驚いた私は、ウィルフォードに向けて触手を突き立てる。アルフレッドのように逃げられないよう、四方から同時の攻撃。
ギィィィン!
大音量の不快な音が周囲に響き、触手に強い抵抗を感じる。私の触手は、後数センチのところで皇子の頭に届いていない。
「まさか、僕の障壁をここまで破るとは……!?」
ウィルフォードの魔法か何かなのだろう。彼は驚いているようだが、それは私も同じだ。私の触手を正面から防げる人間がいるとは。
バタン、とドアが開かれ、アルフレッドまでもが部屋に入ってくる。ちらりとリゾルテに視線を送りながらも、すぐに私とウィルフォードの射線上に割り込んできた。
もう泣き出したい。これ以上は誰かに私を目撃されてしまう。誰も殺すことはできなかった。それともこれは自分の心の奥底で、人を殺すことを躊躇っていたからなのか。
数瞬、アルフレッドとウィルフォードを交互に確認した。完全に失敗した。私は窓から出て屋根へ飛び移ると、また屋根を飛び越えて大聖堂へ向かった。
クレイグ主教は、この失態への報復に大聖女様へ私の秘密を暴露してしまうかもしれない。最悪の気分だが、人を殺さずに住んで安堵している自分もいた。
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