2.絶対防御の魔法使い
誘拐犯が連れて行った妹を追って、少年と少女は急ぎながらもお互いの身の上を明かしていた。
「では、あなたは……」
「デリアです」
「デリアは、領主の娘さんなんですね?」
「はい。妹も一緒に連れ去られて……。父に身代金を要求したと言っていました」
「なるほど、それで帝都に要請がきたのかな。まさか犯人と偶然居合わせてしまうとは……。妹さんがいるとは知らず、軽率でした」
少年と、デリアと名乗った少女は妹を助けるべく森を進む。風槌を放った隙にもう一人の人質をつれて逃げた、髪の長い男の後を追って。
「こちらこそ、帝都からおいで下さった方とは知らず、申し訳ありません。貴方様は……?」
「まって、行き止まりだ」
しばらく進むと、目の前に崖が現れ、二人は行き止まりになってしまった。崖には人の背丈の倍ほども高さのある洞窟がある。洞窟の中は暗く、奥までは見通せない。
「よくきたな魔法使いさんよォ!」
その、十メートルほどの崖の上に、あの男がいやらしい笑いを浮かべて立っている。人質ーー少女の妹は両手を縄で縛られ、近くに立たされていた。
「おねぇちゃん!!」
「ネリー!」
妹の方はネリー、というらしい。誘拐犯の男がピッタリとネリーから離れないので、ここから魔法でなんとかするのは難しそうだ。
「お前!その子を離すんだ!」
少年が手を出せず、隙をうかがっていることに気づいた男が余裕をみせる。
「おっとぉ!てめーの相手は俺じゃねぇ。そこのモンスターとでも遊んでな!」
男がそう叫ぶと同時に、洞窟の中から野太い唸り声が聞こえてくる。現れたのは、少年の身長の二倍以上もあるトロールだった。どうやって用意したのか、棍棒のようなものを手にしている。
「ネリーを返して!」
「待って!危ない!」
トロールが目の前の少年に狙いを定めたことで満足したのか、誘拐犯の男はネリーを連れていなくなってしまった。追いかけようとする二人にトロールが立ちはだかる。
ぐるるると唸り声をあげながら、トロールは棍棒で真横から殴りつける。巨大な丸太を振り回しているようなものだ。回避する余地はない。
「きゃぁっ!」
思わずデリアが叫び声をあげる。だが圧倒的な重量を持っているはずの棍棒は、二人を薙ぎ払うことなく、少年の体近くでゴン、と大きな音を立てて跳ね返った。思わず目を閉じたデリアがおそるおそる目を開けると、まだ二人は棍棒の餌食にはなっていないようだった。
「……?」
トロールも困惑している。これまで自分の力で壊せなかったものなどなかったからだ。この小さな生き物に自分の得物が通用しないのは、理解し難い。トロールはムキになって連続で棍棒を打ち付ける。
「ひぃっ!」
「大丈夫。これくらいじゃ僕の障壁魔法は破れないから。」
二度、三度と人間の胴回りもある棍棒が打ち付けられる。よほど自信があるのか、少年は全く恐れる様子はない。実際、トロールがいくら打ち据えても、棍棒が二人に届く様子は全くない。
「とはいえ、このままだと妹のネリーを助けに行けない。一瞬だけ障壁を解いて攻撃するから、少し後ろに下がっていて」
そういうと少年は、トロールがひときわ大きく振りかぶったタイミングで障壁を解除し、作戦通り別の魔法を唱え出した。……想定外だったのはトロールが、棍棒を持っていない方の手を振り回して攻撃を繰り出してきたことだ。
「!?」
とっさに身をよじったものの、少年が持っていた魔杖にトロールの指があたって吹き飛ばされる。魔杖は近くの木にぶつかって、カランと乾いた音を立てた。恐ろしいほどのスピードで目の前を通り過ぎた腕に驚き、少年は尻餅をついた。
「……まずい。」
少年の頬を冷や汗が伝う。魔杖がなければ魔法を唱えることができない。
トロールが大きく振りかぶった棍棒に力を込める。余裕を見せていた小さな生き物が、初めて焦っている様子に、トロールは本能的に今がチャンスだと理解した。ひときわ力を込めて棍棒を振り下ろす。
「いやーーーーっ!」
デリアが叫ぶ。少年も思わず目をつむった。
「…………」
「…………」
「ギャァアァァァ!!」
振り下ろされたはずの棍棒は二人を襲うことはなく、トロールの悲鳴が響く。ドシン、と何かが地面にぶつかる鈍い音が聞こえてきた。
目を開けた少年の前には、赤い髪の騎士が立っている。
あの鈍い音は、棍棒ごと切り飛ばされたトロールの右腕だったのだ。右腕を失い怒り狂うトロールを油断なく見据えて、騎士は叫ぶ。
「殿下!ウィルフォード殿下!ご無事ですか!?」
「……リズ!よかった!」
「まったくよくありません!!こんなところで何をしているのですか!」
「だ、だって道に迷って……じゃない、この子が誘拐された領主の娘なんだ。」
「えっ、えっ?そうなの……ですか?」
勝手な行動を咎めようとものすごい剣幕だったリズだったが、領主の娘までここにいると聞いて混乱しているようだ。
リズは状況把握に努める。娘のデリアは放心状態で話を聞ける状態にない。さきほどから身の危険に晒されては間一発で生き延びているため、状況の把握が追いつかないのだろう。
「リズ!領主の求めに応じて、誘拐犯の放ったこのモンスターを討伐するんだ!」
「で、ではとにかく、このモンスターを始末してしまいます」
主人の命令とあらば、是非も無い。怒りに暴れ回るトロールだったが、リズは難なくもう片方の腕と、首を落とした。
「終わったようですな」
崖の上から、大柄な男が声を掛ける。
「アルフレッド!」
「殿下、ご無事でなによりです。領主の御令嬢もこの通り」
アルフレッドはネリーを右肩に乗せ、左手には意識のない誘拐犯の男を引きずっていた。いつの間にか救出したようだ。
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「まさかウィルフォード第四皇子殿下においていただいていたとは……。重ね重ね、御礼申し上げます」
姉妹を連れて帰った三人に、地方領主は床に頭を擦り付け、まるで呪文のように繰り返し礼を言った。領主の奥さんはここにはいない。帰ってきた娘たちに付き添っているのだ。
「それに、護衛騎士のアルフレッド卿とリゾルテ卿におかれましては……」
もう何度目かのお礼が始まったところで、リズが口を挟む。
「ええと、もう十分礼は受け取りましたから。それよりお願いしたいことが」
「もちろん!何なりとお申し付けください!」
「今回の顛末……領主の御令嬢お二人の奪還と誘拐犯の捕縛を、帝都中央に報告してください。それが、ウィル殿下の功績ーー皇帝の資質を示す証となります」
皇帝の資質、と聞いて、領主はピクリと肩を震わせる。
「……では、我らがエスタリア帝国の次代皇帝の選別が始まったというのは、本当だったのですね」
帝都へ向かうことのほとんどない地方領主にはあまり馴染みはないが、少し前に皇帝陛下から帝国全土にお触れが出されたことくらいは知っている。
陛下の血を引く数人の皇位継承権を持つ皇子たちの中で、最も帝国に貢献したものーー数多く、そして大きな功績をあげたものが次の皇帝に指名されるのだ。選別とは言うものの、別に後継者同士で殺し合うわけではない。そんなことをしたら貴重な皇帝の血筋が途絶えてしまう。
代々皇帝の血統に連なる者たちは、おのおのが強力な固有の魔法を使うことができる。その強力な魔法の力で、初代皇帝以来数百年もの間この帝国を統治し続けているのだ。
「その通り、僕も皇帝候補の一人なんだ。……と言っても、末っ子の僕はまだなんの実績もないんだけどね。今回の件も、実のところはデューン兄上に譲ってもらったようなものだし……」
ウィルは少し気恥ずかしそうに頭を掻く。
「それでも、実績を上げることができてよかったではないですか。このまま、次の任務へ向かいましょう。」
後ろで控えていたアルフレッドが発言する。ウィルとリズより一回り年齢の高いアルフレッドは、まるで保護者のようだ。事実、保護者的な役目もあるのだが、それは二人には秘密だ。
「じゃ、領主よ、帝都への報告頼んだぞ!」
ウィル、リズ、アルフレッドの三人はそういって地方領主の館を後にした。




