17.主のもとへ
めまいと同時に、世界が暗転する。魔法による転移の感覚に近い。閉じた目を開けると、周囲が霧に覆われているのは変わっていなかった。
変わったのは地面だ。森の近くということもあり、丈の長めの草が生えていた地面が、乾いて固まった大地の広がる荒れた場所になっている。
そしてもう一つ。
「……殿下」
アルフレッド、サイラス、ユーベルがいなくなった代わりに、目の前にはリズがいる。
「リズ」
「はい」
久しぶりに見たリズは、すこし晴れ晴れとした表情をしているように見える。
「殿下、私は護衛騎士の資格はないかもしれません。でも」
リズはまっすぐウィルを見据える。
「殿下をお守りするのが、私の役目ですから!」
そう、力強く宣言する。帰ってきたのだ。ウィルの唯一の護衛騎士が。
「うん……うん。これからも、よろしくね」
二人は歩み寄る。思わず抱き着こうとしてしまい、我に返ったウィルは広げた手を所在なく降ろす。そのまま視線をリズの顔から下ろすと……
「ん!?リズ、服が」
「殿下も」
「えっ!?本当だ!?」
二人とも来ていた防具や、持っていた装備やらアイテムを全く失っている。着ているのは麻で作られた粗末な服を、腰ひもで結んだだけの代物だ。これもあの声の主の能力によるものだろうか。
「僕の魔杖もなくなってる!」
魔杖がなければ障壁も構築できない。これではあの時と同じではないか。リズが体を張って自分を助けてくれた時と。今回は輪をかけて状況は最悪だ。リズも装備を持っていない。
「装備を取り返したいけど、望み薄かな」
魔法でこうなったということは、対象の持ち物を無効化してしまうような効力を持っているのだろう。
転移したのであればここは試練の森の入り口ではないだろうし、おそらく周囲を探してもウィルやリズの装備は見つからないだろう。
それにアルフレッド、サイラス、ユーベルと分断されてしまった。近くに気配がないということは、別々の場所に転移させられてしまったのかもしれない。
となると……
「まずは、この魔法を打ち破る方法を見つけよう」
「はい。では力づくで?」
リズはこぶしを握り締める。どこを殴るつもりだろう?
「あ、いや、そういう意味ではなく」
「冗談よ。フフ」
リズは笑っている。
「えっ!?そっ、そうなの……?本気かと思ったよ……」
「本気にしないでください!」
「ふふっ」
「あははっ!」
久しぶりに、二人で笑った気がする。……ラストフォート砦から帝都に向かう、二人旅ぶりだった。
***
「では、この空間は、敵の魔法使いが生み出したものだと?」
「うん、おそらく。本当に別の場所に転移させられるなら、僕だったら海の底にでも転移させるだろうから」
「確かに、それなら必勝ね。でも、そうなっていない」
「そうなんだ。物理的に転移させたというよりは、魔法使いが作った空間に閉じ込めた、というほうが正確かもしれない」
ウィルとリズは、歩きながらこの攻撃のからくりについて話し合っていた。
「とはいえ空間を生み出すのだって、簡単じゃない。その空間の核となる、何かが必要なんだ。」
「何か……?」
「例えば、魔力を帯びた宝石、とか。それが失われれば、空間が維持できなくなるはずなんだ」
「つまり、この魔法攻撃を破るには、その核を見つけて破壊すればいいのかしら?」
リズはまた右手をぎゅっと握っている。素手とはいえ、護衛騎士の一撃なら宝石くらいなら砕けるだろう。
「そう!だから急いでその”何か”を探そう」
「了解」
二人は周囲に注意をしながら、歩いていく。周囲は依然として霧に覆われていて、この空間がどれくらい広いのかはわからない。そもそも、この空間に端があるのかもわからないが。
「グルルル……」
遠くに獣の唸るような声が聞こえる。リズはピクリと体を反応させると、ウィルの前に立つ。
「聞こえた?」
「……うん」
かすかに聞こえたと思った唸り声は、どんどんと大きくなっていく。いや、声が大きくなったのではない。声の主が、どんどんと近づいてきているのだ。
「殿下、敵よ」
「敵、か。確かに、そうだね」
ウィルはよくわからない返事をする。
「何言ってるの?丸腰じゃかなわないわ!逃げないと!」
ウィルの手を引こうとするリズに、ウィルは難しい顔をして答える。
そうこうしているうちに、唸り声はすぐそこまで迫ってきた。視界をふさいでいた霧のなかから、まずは巨大な足が現れる。ウィルが両腕を広げてやっと抱えられるくらいの大きさの蹄の上には、針山のような毛におおわれた大木のような脚が伸びている。
「グルルルル……」
やがて霧を押し分けて、唸り声の主の全身が見えてきた。蹄を持った二本の脚、右手には巨大な両刃の斧、そして頭部には血走った目をした……
「牛頭の巨人……ミノタウロス」
リズがつぶやく。
「リズ、どうやら僕らはアレを倒さないといけないみたいだ」
リズはのそりのそりとこちらに寄ってくるミノタウロスの動きを警戒しながらも、ウィルに抗議する。
「なんであんなのと!?逃げられないってわけ?」
「いっただろ、この空間には核があるって。核を破壊しないと出られないって」
「まさか……」
この亜空間を維持している核を勝手に石か何かだと思っていたが、都合のいい解釈だったようだ。
「あの、ミノタウロスがこの空間の核だ。」
「……最悪」
ミノタウロスは斧を振り上げた。
***
「やっぱり、丸腰じゃきついわよ!」
そうはいっているが、リズの体さばきは見事なもので、ミノタウロスが振り回す斧をことごとくよけている。だが武器が無い分、攻めあぐねているのも事実だ。
「ウィル!障壁は出せそう?」
「今やってる!もう少しまって!!」
装備を……魔杖を持っていないウィルは思うように魔法を使えない。自分の最も得意とする障壁であればおそらく、といった程度だ。
その障壁魔法も、杖があるときのように一瞬で展開など難しい。心を凪のように沈め、集中しないと発動できない。その間にも、間合いに踏み込むリズと、斧で牽制するミノタウロスの攻防が続いている。
「素手でどこまで行けるか、試してみるわね!」
そういってさらに間合いを詰めるリズ。ミノタウロスは逆上して斧を振り切る。その隙をねらって、リズはミノタウロスのみぞおちのあたりに全力でこぶしを叩き込んだ。
「はぁっ!!」
ドン、とリズのこぶしがミノタウロスを打つ衝撃が周囲の空気を揺らす。ミノタウロスは多少ダメージがあったようにみえたが、間合いに入った敵を容赦しなかった。即座に斧を持っていない左手を握りしめ、リズを横殴りにする。
「ぐっ」
ミノタウロスのこぶしはリズの胴体ほどもあり、真横から衝撃を食らったリズが吹き飛んだ。倒れこんだリズにミノタウロスは走り寄り、斧を振り下ろそうとする。
「リズ!」
リズはまだ横になったままで体勢を立て直せていない。だがようやく、ウィルの障壁が発動する。ミノタウロスが振り下ろした斧は障壁にはばまれ、空中で弾かれる。
「ゴォォォォ!」
二度、三度と攻撃を加え、どうやら無駄らしいと理解したミノタウロスは、この不可思議なバリアがおそらくもう一人の獲物によるものだと感じ取ったらしい。ふと斧を振りあげるのをやめると、ウィルの方へ向き直った。
「ぐ……ウィル……逃げて……」
リズは膝に手を突き、体を起こす。殴られた衝撃でまだ息を吸えないが、そんなことを言っている場合ではない。ウィルが危ない。
ミノタウロスは完全に標的をウィルに切り替えたようで、のしのしとリズから離れていく。
「ど、どうすれば」
あの時の記憶がリズの脳裏をかすめる。
ヴェンパーの護衛騎士二人に襲われた、あの時の記憶だ。
ウィルは障壁を使えない。
あの時も、護衛騎士がウィルへと襲い掛かった。
一瞬一瞬、敵が一歩進むごとに、ウィルに死が迫っている。
「ウィルを、守らないと」
リズの思考がめぐる。あの時と同じく、痛めつけられた体が危機を主張している。
それでもリズは立ち上がり、ウィルの方へと走る。今のリズはウィルの障壁に守られている。体をはってウィルへの攻撃を防げるはずだ。
「ウィル!」
ウィルのもとへ走る。だが、そのあとはどうする。リズの渾身の一撃も、ミノタウロスには大して効いていないようだった。せめて、武器があれば。
ふと、オクタスの言葉が頭をよぎった。
「乙女の戦斧を求めれば、主人のもとへ現れる」
初代皇帝を護ったヴァルキリーのハルバード。本当に、主人のもとへ現れるというのなら。
「乙女の戦斧よ!!」
リズは叫ぶ。何か、確信のようなものがあった。
「はあああああっ!!」
力を入れた右手には、確かに感触がある。白銀に輝く柄、決して大きすぎない斧刃と、鋭い穂先を持ったハルバードが、リズの手に握られている。
「くらえぇぇっ!!!」
牛の頭部、両の角の間をめがけて、右手の武器を振り下ろす。ウィルを標的に定めていたミノタウロスは、不意を突かれて全く反応できない。
ゴシャッ
両断されたミノタウロス――亜空間の核は、左右に分かれて地面へ崩れ落ちると、黒い靄になって消滅していく。
「はぁっ、はぁっ」
「リズ!!」
ウィルが駆け寄ってくる。また思わずリズに抱き着こうとして、逡巡し、広げた両腕を下した。
「た、助かったよ、リズ!その、あ、ありがとう」
「……問題ないわ。それより、ウィルが無事でよかった」
今度は、ちゃんとウィルを護ることができた。リズは安堵のため息をついて、そして思い直した。いや、これからだって、ウィルを守り通して見せる。
「ミノタウロスにやられた傷は大丈夫?それに、その武器……」
「体は大丈夫。鍛えているから!」
リズは明るく笑う。
「あと、この武器はね……」
オクタス皇子からもらった、歴史ある武器をウィルに説明する。
次第に、霧が晴れてきていた。
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