1.迷子の魔法使い
ところどころ、陽の光が森の木々の間から地面を照らす。薄暗いほどではないが、勢いよく広がった枝葉のせいで、強いはずの今日の日差しもだいぶ軽減されている。
「完全に迷ったな、コレ……。それにしてもリズとアルフレッドはどこに行ったんだろう?」
ブツブツと独り言で不満を言いながらも、少年は森の中をずんずんと軽快に進んでいく。
迷ったと言いながら、周囲を警戒している様子はない。まるで、安全な街の中を散策するかのようだ。
「とはいえ、流石にどっちに進んだらいいかくらいは見当をつけたいけど……。あっ!」
幸運にも、でたらめに進んだ先で森の中に建てられた小屋を見つけた。それほど古くはないようにみえるし、人が住んでいる確率は高い。
「すみません!どなたかいらっしゃいませんか?……すみませーん!」
トントンと扉を叩いてしばらくすると、キィと軋んだ音を立てて扉が開いた。
顔を出したのはやけに目つきの悪い男だ。年齢は二十代前半と言ったところか。少年より十歳は年上だろう。何かを警戒しているのか、扉は男の顔が半分だけ見える程度しか開けられていない。
「……」
「道に迷ってしまいまして。街道へ出る道を教えていただけますか?それと……少し休ませていただけると助かります」
少年は物おじせず目つきの悪い男に道を尋ねた。男の目線は少年を上から下へ探るように動き、また少年の顔へと戻ってくる。途中一瞬だけ、少年が右手に持っている魔杖で目線が止まったようだった。
「まぁ、入れてやれよ」
小屋の奥から声が聞こえる。もう一人、男がいるようだった。扉の前にいた目つきの悪い男は、一瞬だけ躊躇したようだったが、扉を開けて少年を中に招き入れた。
「どうもありがとうございます。近くの町へ立ち寄る予定だったのですが、道に迷ってしまいまして。」
「あぁ。こいつに道案内させてやるよ。少し休んだら出てってくれ」
小屋の中には、もう一人の男が椅子に腰掛けていた。すぐ横に、少年と同じくらいの歳の少女も立っている。具合でも悪いのか、俯いていて表情は見えない。
「おい、水でも出してやれ」
「……はい」
消え入りそうな声でそう答えた少女は、ふらふらと歩いてコップを用意すると、水差しを傾ける。こぽこぽとコップに水が満たされる音が、部屋に響いた。
座っていたもう一人の男は長い髪を後ろでまとめていて、まとめきれなかった前髪の一部がだらりと垂れ下がっている。ゆらゆらと揺れる前髪は、獲物を捕らえるカマキリの鎌のようにも見えた。
「それにしても、あんたのそのマントの紋章、帝都のだろ?こんな辺鄙な地方領まで、何か用事でも?」
少年のマントにはヴァルキリーと魔法の杖をあしらった、帝国の意匠が刺繍されている。この刺繍が使われるのは、帝都のごく一部の商店だけだ。それも、皇族や高位貴族専用の。
長い髪の男は世間話を装って、この身なりの良い少年に探りを入れる。本人は気づいていないようだが。
「紋章のことよくご存知ですね!僕もこの辺りは初めてなんですが、領主に呼ばれたんですよ。……どうやら領主の娘さん方が誘拐されたらしくて」
少年が”誘拐”と口にしたところで、ガシャーン!!と部屋に陶器の割れる音が響く。水を入れていた少女が手を滑らせたようだ。少女は驚きの表情で少年の方をじっとみている。
「おい、気をつけろよ」
少し間が空いて、長い髪の男がすこし低い声でそう言った。我に帰った少女はいそいそと割れたコップを片付ける。
その間に、目つきの悪い男が長い髪の男にすっと近づくと、二人しか聞こえない声でコソコソと何かを言い合っている。
(なぁ、こいつもしかして領主が手配した追手なんじゃ……?)
(静かにしろ。無理に追い返したら余計怪しまれる)
他人を目の前にしてひそひそ話とは随分失礼なものだが、無理を言って休ませてもらっている立場上、少年はニコニコと笑顔を浮かべて静かに座っていた。
やがて、少女が水を入れたコップを持ってくる。髪の長い男と少年はテーブルに向かい合って座っている。髪の長い男にコップを置き、次に少年の元へコップを差し出そうとしたが、その手はガタガタと震えていた。
「……あの、大丈夫ですか?」
「……」
少年が尋ねる。少女は震えたまま、手の動きを止めた。
「はやくしろ」
髪の長い男が苛立ったような声を出すと、少女は俯き加減だった顔をばっとあげ、叫んだ。
「たっ、助けてください!!」
「おい!てめぇ!!」
一瞬で緊迫した空気が流れる。少女は、少年の後ろに隠れるようにして男から距離をとる。
「えっ?どういうこと?!」
突然の展開に、少年もうろたえる。思わず魔杖を握りしめ立ち上がってみたはいいものの、ここからどうすれば良いのだろう。道に迷って助けを求めたつもりが、今度は助けを求められているのだ。
「私たち、誘拐されて……妹が部屋の奥に……」
少女は震えながらそう説明する。
「だから追い返せばよかったんだ!!こいつは殺しちまうぞ?」
そういうと目つきの悪い男はすぐ近くの壁に立てかけてあった斧を手に取る。戦闘用ではないとはいえ、振り下ろされれば致命傷だろう。
「リズ!アルフレッド!……って、そうか、今はいないんだった」
「おらぁっ!!」
まさしく少年の頭を砕く勢いで男の振り下ろした斧は、途中で何かにぶつかり、勢いよく弾かれた。
「弾かれた!?」
一瞬、驚きと警戒で動きを止める男。
その間少年は何やらぶつぶつと唱え始め、斧を持つ目つきの悪い男に向かってそれを解き放つ。
「風槌!」
ドォォォォォン!!
突如部屋の中に空気の衝撃派が発生し、目つきの悪い男に襲いかかる。それだけでは威力を全く減じることのない衝撃波は、男ごと小屋の壁を吹き飛ばした。
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「殿下……。あぁ、帝国護衛騎士が皇族を見失うなんて、前代未聞の失態だわ……」
ぶつぶつとずっと同じ独り言を呟いているのは、赤い髪の女性騎士だ。だが女性、というには少し若く、少女といったほうが適切かもしれない。そんな年齢に見える。
「早く殿下を探さないと。まさか一人で森の中へでも迷い込んだんじゃ……?」
「まぁ、リゾルテ卿。殿下のことですから、お一人でも大丈夫ではないですかな」
「リズとお呼びください」
「……リズ殿。今は領主殿の御令嬢たちが誘拐された件について聞きにきたのですから。もう少しこちらに集中していただけませんか?」
女性騎士のことをリズ殿、と言ったのは、大柄で壮年の男だ。リズ、と呼ばれた少女と同じく、パッとみてわかるほど立派な鎧に身を包んでいる。短く切り揃えられた髪と髭は、上品さと貫禄を感じさせる。
「ですが、アルフレッド様……」
大柄な男は、アルフレッドというらしい。お互いの呼び方から想像するに、年齢の通りアルフレッドの方が目上のようだ。
「ごほん、すみませんな領主どの。こちらも少々立て込んでおりましてな」
「いえ……帝国一と名高いアルフレッド卿の御助力をいただけるとは心強いことです。しかし娘たちが無事なのか心配で……」
そう言ったのはアルフレッドの正面に座っている、領主と呼ばれた男だ。隣に憔悴した顔つきの女性……彼の妻も座っている。すなわち、誘拐された二人の娘の母親だ。
四人がいるのは、この夫婦の邸宅。この辺り一体を治める領主には二人の娘がいたが、数日前から行方がわからなくなっている。アルフレッドとリズに救援依頼が持ち込まれたのと、身代金を要求する手紙が届いたのはほぼ同時だった。
「身代金を要求している以上、まだお二人の身柄は安全でしょう。なに、我々が無事にお連れいたします。確か身代金の受け渡しは、街外れの森でしたかな?」
「はい……」
「!!」
街外れの森、という言葉に最も反応したのは、リズだった。
「殿下を見失ったあたりに近いですね。アルフレッド様、早く向かいましょう!早く!」
今まで話半分に聞いていた様子だったリズが急にやる気を見せる様子に、領主夫妻は少し不安な表情を浮かべていた。
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「くそっ!!領主の野郎、魔法使いを送り込んできやがって……金は払うつもりもないのか?」
森の中を走りながら、髪の長い男――領主の娘の誘拐犯は毒づいた。いまいましい魔法使いの少年の魔法で、相棒はどこかに吹き飛ばされてしまった。あの威力では無事では済まないだろうし、助ける余裕もない。男は咄嗟に、他の部屋に閉じ込めていたもう一人の人質をつれて、裏口から逃げ出したのだ。
「おらっ!早く走れよ!」
そういうと、人質の両手を縛っている縄を引く。こいつを近くに置いている間は、あの魔法使いに攻撃されることはないだろう。ある程度引き離したらこいつは見せしめに殺してしまえばいい。
追手が来るのは想定済みだ。戦闘になることも考えて、準備もしてある。こんなこともあろうかと準備していたアジトまで、あの生意気な魔法使いを誘い込めば、こっちの勝ちだ。
誘拐犯はさらに走るスピードを上げた。