6───────────奇妙な取り引き
『俺はあなたを救える』
…どういうこと?
『あなたのミスは帳消しになる』
…有り得ない。
『捜査に協力するってことだ』
…泥棒が??
バッカじゃないの?
「…信じてもらえない?」山川と名乗った男が、彼女の顔を覗き込んだ。
「ったり前でしょ!」
ヨーコは憮然として山川を押し退ける。
「近寄らないでよっ、この泥棒!!」
「…こんなおいしい話蹴っちゃうの?」
ガラクタの上に崩れながら、山川は続けた。
「ミスを帳消しにできるチャンスなのに」
ピタッ。
ヨーコの動きがとまった。「…」
沈黙が流れる。
ヨーコの瞳が、わずかに揺れ動く。
山川は、それをじっと見つめた…。
「あんたは、私を助けようとしてるの?」
ヨーコが、かすれた声で聞いた。
「それとも、騙そうとしてるの?」
「だまして何になるのさ」山川が笑い、サングラスを外した。涼やかな切れ長の目元が顕になる。
決して美形では無いが、すっきりと整った顔立ちだ。「捕まること覚悟して来てるんだから。騙そうなんて思ってないよ」
優しい光が、その瞳に宿った。
「確かに、あなたのミスは俺のせいだ。だから、俺はあなたに協力する」
ヨーコが大きく鼻を啜った。
…信じちゃダメ!!
理性が彼女を引き止める。…彼は犯罪者よ。私が、捕まえなくちゃいけない人間なのよ。
「…刑事になるために、頑張って来たんだろ?」山川が囁く。
「じゃ、諦めんなよ。またやり直せるチャンスなんだ」
…信じちゃ、ダメ…。
「刑事は、犯人逮捕のために働いてんだろ?俺の情報があれば、逮捕できるかも知れないじゃん」
ヨーコの頬を、また涙が流れた。
私は…
涙は、次から次へと溢れては頬を伝う。
その雫が、ザザのフレアスカートに染みをつける。
日がフッと陰った。
風がサアッと梢を揺らしていく。
「…わかった」
ヨーコが言った。
はっきりした声だった。
「あんたの申し出、受けるわ」
しん、とした部屋に、その声は染み透った。
山川がニヤリと笑った。
「了解」
彼の手に握られていたピストルは、ミリタリーコートのポケットに消えた。
穏やかに、風が吹きすぎる。
「そのかわり」
山川が人差し指がピンと立てられる。
「今回は、俺を逮捕すんなよ」
「エ?」
ヨーコが、泣きながらきょとんとした。
「どういうこと?」
「だからあ。ひったくりとか住居侵入とか、今回のことでは俺を逮捕すんなって言ってんの。
取り引きなんだから、お互いに協力しあわなきゃおかしいだろ??」
山川は、さも当たり前のことのように喋った。
「そんなこと…!」
ギシッ!という音と共に、ヨーコがベッドから飛び上がる。
「そんなこと、出来るわけないでしょ!!犯罪者を見逃すっていうの!?」山川の視線が冷たいものに変わる。
「できないの?」
「当たり前でしょう!!」ヨーコは怒って怒鳴った。「協力してくれるのは有難いけど、私はあんたには協力しないわ!」
「じゃあ、俺も協力しないよ」
しゃあしゃあと山川が言った。
そのままベッドに寝転がる。
「ま、それはそれで良いけど。
俺は今すぐここから逃げられるし、お前が刑事辞めようが何だろうが、俺には関係ないし」
「そん…なっ…」
「どうすんの?」
だるそうに青年が欠伸した。
「協力して欲しいの?ほしくないの?」
ヨーコは怒りに震えて、もう涙も出ない。
もういい。
もういい!!
「協力なんかいらない!」轟くような大声だった。
ギシッ!!
ベッドが大きな音を立てるた。
山川が急に立ち上がったのだ。
「あ!」
気付いたヨーコは、慌てて彼の腕を掴もうとした。
が、遅かった。
山川の体は、逆上がりでもするかのように回転し、軽々と窓に着地した。
一拍遅れて、ヨーコが窓枠にたどり着く。
山川は既にベランダの柵を跨いで、乗り越えようというところだ。
ヨーコがベランダに出ようと、窓枠を跨いだ、その時。
「おい」
山川が声をかけた。
「気を付けろよ。スカートの中、丸見えだぞ」
「!!」
慌てて手でスカートを押さえる。
そのスキに、山川はベランダから飛び降りた。
ザザのアパートは二階。
すぐ下を、人気の無い通りが走っている。
山川にとっては好都合だ。「それからぁ!」
ベランダの柵に走りついたヨーコをからかうように、山川が叫んだ。
「その服、小さいんじゃね?裂けそうだぜー!!」
「何ですってぇ!?」
ヨーコが憤慨して地団駄を踏むのを見届けると、山川は走り去った。
軽快なステップで…
「…はぁ…」
ヨーコはぐったりとベランダにもたれた。
何だか、どうしようもない虚脱感が彼女を襲っている。
『俺はあなたを救える』
まだ、その甘美な響きが耳に残っている。
でも。
これで良かったのだ。
ミスの埋め合わせは出来なくても。
…少なくとも、私は、刑事としての誇りだけは守ることができた…。
太陽が雲の影から現れたらしい。
再び、さんさんと日が照りつけ始めた。