2───────────婚約
吉祥寺本町署。
デパートや様々なショップが立ち並ぶ大通りに面した、モダンで小綺麗なビルディングが、それだ。
一階に受付があり、二階フロアには刑事達のデスクが並んでいる。三階には会議室。四階〜最上階である六階は、多目的室や留置場が占めていた。
刑事達が暇を持て余していた、ある夏の午後。
事件は、二階フロアで起こった…───。
「えぇぇぇえッ!?」
フロアを渦巻く、悲鳴にも似た叫び声。刑事達は硬直し、ある者は壁にへばりつき、ある者はヘナヘナと力なくその場に崩れる。
叫び声を上げずに平静を装ったマドンナですら、自分の見た光景を信じられずにいた。
刑事達の視線の先にあったのは、思いがけないカップル。男が女に寄り添い、手を繋ぎ合って現れた二人は、いかにも幸せそうにフロアの真ん中まで進み出た。まるでピンクのキラキラしたオーラが漂っているかのようだ。
刑事達はただ見つめることしか出来なかった───意外すぎるカップル、松田とザザの姿を。
「フフ、皆ビックリしてるよ」
楽しそうにザザが言って、大きく凛々しい瞳で松田を見上げた。
「まっ、当たり前だよね。誰も、あたし達が付き合ってるなんて知らなかったもんねー」
「いやいや。男まさりだったザザが女らしくなったから、皆見とれてるんだよ」
松田がニッコリと彼女に微笑み返す。
──まさに、そのとおりだった。
「ザザ先輩…!?」
口をパクパクさせながら叫んだのは、ヨーコだ。
「先輩がスカート履いてるの、初めて見ましたっ」
「どぉ?似合う?」
少し伸び始めたショートカットの髪を掻き上げ、ザザがその場でクルンと一回転する。すると、パステルブルーのミニスカートが、スタイルの良い彼女の体を覆うように、ふわんと広がった。
ザザは、今までジーンズが大のお気に入りだった。『お堅い行事』の時も、決してスーツに身を包むことなく、ジーンズ姿で現れた。お陰で岩波からこっぴどく叱られたのだが、本人は涼しい顔だった。何事にも動じず、シャキシャキと働く男まさりの刑事。それが、今までのザザのイメージだった。
それなのに、今日の彼女はスカート姿。それも、女性らしいレースをあしらった、可愛らしいスカートだ。
この突然の変化に、本町署の刑事達が驚かない筈がない。
「どっ、どうして…」
男性刑事達は息を呑み、ただただポカーンとしている。
すると、松田が愛しそうにザザの肩を抱き寄せた。そして真面目な表情を作ると、咳払いし、勿体ぶって宣言した。
「えー、皆さん。私・松田孝一と新潮ザザは、このたび婚約致しました!!」
一瞬の沈黙。
松田の言葉を理解するまで、皆少し時間がかかった。そして…
「エエエェぇぇ?!」
再び、一同の叫び声が、本町署ビルを揺り動かしたのは言うまでもない。
*
『婚約・ショック』は暫くの間、大混乱を巻き起こした。暇を持て余していた刑事達は二人を祝福しつつ、詮索の目を向けていた。いつ二人は付き合いだしたのか、松田の何がザザを変えたのか、などなど。
皆がザザと松田を質問攻めにし、写真まで撮り出したので、二人はマスコミに包囲された芸能人カップルのようになってしまった。
ザザは逃げるように女子トイレに駆け込み、電気を消した。が、甘かった。なぜなら、そこには『スクープ記者』が待ち構えていたから。
「せんぱいっ。いつから松田さんと…?」
瞳を悪戯っぽく輝かせながら個室の一つから忍び出てきたのは、ヨーコだった。暗い中にボウッと白く彼女の顔が浮かび上がっている。
「げっ!なっ、何でこんな所に潜んでるのよ!」
美しい顔を歪め、ザザが逃げ腰になる。
「それに、幽霊みたいに出没しないでっ。気味悪いわよ!」
ザザは、オカルトが大の苦手なのだ。以前、ホラー映画『ゴング』を観に行ったことがあるが、ザザはヨーコにしがみついたまま、スクリーンに眼を向けることすら出来なかった。
「いいじゃないですか、先輩。女同士で恋のお話に花を咲かせましょうよっ」
ヨーコはニヤリと笑い、パッと懐中電灯で自分の顔を照らす。不気味に、彼女の笑顔がザザに迫った。
「ぎゃあぁ!!」
悲鳴を上げるや否や、ザザは物凄い勢いでトイレから駆け出していった。パステルブルーのスカートが起こした僅かな風だけが、ヨーコの周囲に残る。
「…まったく。先輩ったら、つまんないのー」
苦笑いしながら、ヨーコはトイレの電気を点けた。
「でも…うらやましいな。婚約、かぁ…」
呟いた一瞬、彼女の瞳が切なげに伏せられたことを…誰も、知らない。