episode2 1───────────ヨーコの彼氏!?
「え?桐原さん、彼氏いるんですか!?」
驚いた角川の声が、ファミレス中に響き渡った。周りの客達が、じろじろとこちらを見てくる。
「んもうっ、角川くんっ!声が大きい」
顔をしかめて、ヨーコがたしなめた。
「す、すいませんっ」
あわてて、角川は小さくなる。それが何だか可愛らしくて、ヨーコはクスッと笑った。
───初夏の日差しが、本町署に程近いファミレスに差し込んでいた。窓越しに、暖かさが伝わってくる。
文春誘拐事件から、早くも三ヶ月。ここ何日か、珍しく何の事件も起こっていない。久しぶりに、多忙な毎日から解放された二人の新人刑事───ヨーコと角川は、向かいあって席につき、かき氷を口に運んでいるところだった。
ヨーコはブルーハワイ、角川は宇治金時。
ちょっとジャリジャリとして固めの氷をすくいとり、口に運ぶ。ひんやりとした食感は、すぐにハラリとほどけ、溶けて消えていく。
「あたしに彼氏がいるって、そんなにショックなの?」
不機嫌そうに、ヨーコはスプーンを氷の山に突き刺した。氷は、ざくっと音をたてて、スプーンを受けとめる。
「どーせ、あたしは色気も何にも無い女ですよっ。彼氏がいる可愛い女の子には、見えませんよーだ」
「いえ、そんなつもりじゃないんですよ!」
角川があせあせと弁解した。
「ただ、そのぅ…普段、桐原さんが全くそういう話をしないので…てっきり、いないのかと」
「いるわよっ!」
ヨーコは、鼻息も荒く、スプーンをかき氷から引き抜いた。
溶けかかった氷に刺激を与えると、どうなるかというと…───
「あっ、ああーっ!!」
ヨーコの叫びも虚しく、かき氷の山は無惨に崩れ落ちた。テーブルの上に、氷の白と、ブルーハワイの青いシロップが広がっていく。
「これ使って下さい!」
とっさに、角川は自分のハンカチを差し出した。きちんとアイロンがかけられ、四隅を合わせて折ってある、グレーのハンカチだ。
「え、いいの?」
困惑した顔で、ヨーコが尋ねた。
「シロップなんて拭いたら、ハンカチ台無しだよ?」
「構いませんから。早く」
角川は、ハンカチをヨーコに押しつけた。
「桐原さん、どうせハンカチ持ち歩いてないでしょう?」
「おっ。よく知ってるね」
ヨーコはニッコリしてハンカチを受け取った。そして、シロップをこれ以上広げてしまわないように、そうっと拭き取っていく。
「ハンカチなんて面倒くさいものは無いよ。アイロンかけなきゃいけないしさ」
「面倒くさい、ですか?」
角川は苦笑いした。
「そうかなあ。トイレで手を洗ったとき、ハンカチが無いと困りませんか?」
返ってきたヨーコの答えは、几帳面かつ綺麗好きな角川には、失神してしまうほどショックだった。
「───手を洗わなきゃいいじゃない?」
桐原さん。
それ…汚い…。
角川は、強ばった表情で、なんとかハハハ…と笑ってみせた。
「それにしても、桐原さんは全然彼氏の話をしないですよね。独身かと勘違いしてましたよ」
なんとか、角川は話の流れを元に戻した。
「どんな方なんですか?」
シロップを拭き取りおわったヨーコの手が、一瞬ピクッと動いた。
「うーん…何て言えば良いんだろなぁ」
小さく首を傾げ、考えこむ。
「とにかくカッコいいのっ。優しくて、包容力があって、でも強くて…あっ、顔もイケメンなんだよっ」
「おおっ!」
角川が感嘆して、目を見開いた。
「すごい!まさに、理想の男ですねっ?」
「でしょー?」
ヨーコはニヤッと笑う。そして、グショグショのシロップまみれになってしまったハンカチを手に、立ち上がった。
「ハンカチ洗ってくるねっ」
「あ、どうも…」
角川は律儀に会釈した。
お手洗いに向かうヨーコの背中は、何となく、今までと違って見えた。
…桐原さんの彼氏、か。 何だか気になるな…。
カッコよくて、優しい男らしい。一度、見てみたいものだ。
──そう考えてしまってから、角川はギョッとして瞬きをした。
「な、何を考えてるんだ、僕は。桐原さんの彼氏なんて、僕に何の関係も無いじゃないか…」
自分の不思議な思考回路に驚きながら、彼は口いっぱいに宇治金時を詰め込んだ。
が、これが間違いだった。
「くぅっ。キーンとするぅ!」
*
一方、ヨーコはお手洗いでハンカチを水洗いしながら、ボーッとしていた。
水はどんどん流れていくのに、手は全く動いていない。
彼女の頭の中で繰り返し蘇るのは、『あの人』の言葉だけだ。
────愛してるよ…。
幻のように、エコーをひく言葉。
夢現で聞いた言葉。
嬉しくて嬉しくて、たまらなかった言葉…。
知らず知らずのうちに、水道水に温かい水滴がポツリと落ちて、交じっていた。