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26───────────月夜の想い


あの後。


一行は自力で住宅地まで辿り着き、そこで救急車に拾われた。

被疑者は三鷹市から応援に来たパトカーに引き取られ、本町署に移送された。

文春の行方、ユリアとの関係など、もうすぐ明らかになるだろう。

山川の弟妹たちとはその場で別れ、傷ついた刑事3人と泥棒1人は、市内の日赤病院に運ばれた。


ザザはすぐに回復する見込みだったが、松田刑事は集中治療室に運び込まれ、生死の境を彷徨っていた。

ヨーコも診察を受け、「暫く安静にしているように」と指示された。

しかし、医者の言うことを聞こうとしないのが、山川だった。

「縫わなきゃダメって言われたんでしょう!?」

窓から、真っ暗になった空を眺めていたヨーコは、治療も受けずに戻ってきた山川を見て怒鳴り付けた。


ここは病院の待ち合い室。傷ついた花見客や刑事達、そして彼らの家族たちが、ひっきりなしに出入りしている。

混乱やショックで皆ざわめき、誰もヨーコの怒鳴り声など気にしない。

「ちゃんと治療しなさいよっ!観てもらっただけで帰ってくるなんて、そんな…!」

「平気だって!」

山川が面倒くさそうにそっぽを向く。

ヨーコは間髪入れずに、山川の消毒し包帯を巻いただけの額に、軽く触れた。

それだけで、山川の表情が痛みに強ばった。

「どこが平気なのよっ」

ヨーコは更に声のボリュームを大きくした。

山川が怪我していなければ、ひっぱたいてやるところだ。

「手術したら、費用かかるだろ」

山川がため息混じりに言った。

「金ねえんだよ。保険も、死亡保険にしか入ってねぇし」

「なっ、何ソレ!?」

ヨーコは唖然とした。

「お金って…手術費なんて、私だってないわよ。

まだ貯金貯まるほど働いてる人なんて、私たちの世代にはいないんじゃない?

緊急なんだし、そういうのは親に頼めばいいのよ」

「親いねぇし」

山川が、ぽつっと呟いた。「え?」

ヨーコは、瞬きした。

「ど…どうして?」

聞いてしまってから、しまった、と思った。

こんな不躾な質問、するものではない。

だが、山川は特に気にしていないようだった。

「俺が中学生の時に、事故で死んだんだ。…親父も、お袋も」

表情一つ変えない。

「遺産なんて殆ど無かったからな。今も生活費切り詰めてる状態だし」

「…」

「手術費なんて出せるかよ。そんなことしたら、あいつらが…」

言いかけて、山川は口をつぐんだ。

そのまま、窓の外を見つめる。

今夜は、満月。

まだ少し肌寒い空気に、月光が銀色に差し込んでくる。

ヨーコは、山川の横に並んで、その月を見上げた。

さやさやと風が吹く。

ヨーコの髪がなびいて、鼻をくすぐった。

「…だから、泥棒してるの?」

月を見つめたまま、呟く。「生活費を、稼ぐために…?」

「…なんか悪いかよ」

山川が言った。

「俺、高校行ってねえから。こんな学歴じゃ、どんなに働いても良い収入にはなんなくて…盗みでもしなきゃ、生きてけねえよ…」

「…」

ヨーコは、そっと山川に目を移した。

食べ盛りの弟妹の食費。

家賃、光熱費、水道代、教育費。

生活保護を受けていたとしても、これらを山川1人がまかなうのは並大抵のことではないだろう。

でも、だからって犯罪に手を染めなくても生きる方法はあったかもしれないのに…。

ヨーコは、再び月を見上げた。

どんな理由があろうと、罪を犯すことは許されない。自分も、いつかまた別の機会に山川がひったくりをするのを見つけてしまったら、彼を逮捕しなければならない。

でも、それをしたら、残された弟妹たちは…。

ヨーコは自分たちを救ってくれた山川の弟妹を想った。

麗司は高校をやめて社会に出なければならないし、下の二人は施設に送られるかもしれない。

いずれにせよ、兄妹はバラバラになってしまう。


『俺は、捕まる訳にはいかねえんだよ』


いつか、確かに山川はそう言った。

あれは、こういう意味だったのかも知れない。

ヨーコには、救うことはできない。

どんなに可哀想でも、どんなに力になってあげたくても、それはできない。

できるのは、ただ、捕まえることだけ。

もしかしたら、誰かのささやかな幸せを壊すことだけ…。

「私があんたを捕まえたら」

ヨーコがつぶやき、山川がピクンと動いた。

「もしよ。もし、そんなことになったら…私には正義があるって、言える?」

「…」

「私は、街や人を守りたいって、幸せにしたいって思ったから刑事になったわ。けど…犯人を捕まえることで、悲しむ誰かがいたとしたら…私は、幸せを奪ってるだけ…」

「…ヨーコ」

「幸せを奪うことに、正義はあるの?私のどこに、そんな資格があるの?」

「ヨーコ!」

山川が大きな声を出した。ヨーコはびくんと震え、山川を見つめる。

彼は、怒ったような、それでいて笑いだしそうな表情で、ヨーコを見下ろしていた。

「バーカ」

山川が言った。優しい、声だった。

「お前のしてることは、正しいよ」

「…」

「大丈夫。お前は誰の幸せも壊さないから」

「…どうして、そう言えるの?」

すねたようにヨーコが唇を尖らせる。

「俺の直感は絶対正しいから」

山川がニッと笑った。

どうやら、根拠はまったくないらしい。

それでも、ヨーコは何だかほわん、とあたたかい気持ちになった。

「…ありがと」

恥ずかしげに下を向いて言う。

すると、山川は面白そうにヨーコを覗き込んだ。

「そういえば、もう文句言わないんだな」

「え?何の文句?」

ヨーコが顔を上げて、首をかしげる。

「名前」

山川が言った。

「さっきヨーコって言ったのに、怒んなかった」

「あ…」

ヨーコははっとした。

そんなこと、全く気にも止めていなかった…。

「悪いな、桐原さん」

山川がヨーコから目を離す。

しかし、ヨーコは急に彼の腕をぎゅっとつかんだ。

怪訝そうに、山川が振り返る。

ヨーコは赤くなりながらも、しっかりと山川を見据えていた。

「もう…いいよ。ヨーコって呼んでも」

「!」

山川が一瞬、驚いた顔をした。

しかし、その表情はすぐに微笑みに変わる。

「お疲れ。ヨーコ刑事っ」


月は、いつまでもそんな二人を見ていた。


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