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25───────────桜の樹の下で


「俺の弟妹だよ」

山川がニヤリと笑った。



「ええぇぇぇー!?」

ヨーコは驚愕してしまって、ただ誠司と女の子を見比べるばかりだ。

「俺が前もってボートに乗って待機してろって言ったんだよ。

被疑者がシュノーケル持ってたからよ、水に潜って逃げることもあるって予測してたんだ」

山川が得意げに説明した。「ほら、シズ。お前も挨拶してっ」

誠司が女の子を突つく。

「はぁいっ」

女の子は可愛らしい返事をして、ヨーコに向かってニッコリ笑いかけた。

「あたし、静。シズって呼んでねっ」

「あっ…初めまして…」

ヨーコは混乱しながらも、シズのあどけない表情を見てほほ笑みを浮かべた。

「私、桐原ヨーコです」

「桐原…ヨーコ?」

誠司が不思議な顔をした。まじまじとヨーコを見つめている。

「あの、…何か?」

落ち着かない気分になって、ヨーコが尋ねた。

「いえ。なんでもないです」

慌てたように誠司が答えた。

野球部なのだろうか、坊主頭だ。

「圭兄、怪我したの?」

誠司が山川を見て表情を曇らせた。

「ちょっとな。他にも怪我人が沢山いんだよ」

山川がザザと松田を顎で指し示す。

すると、誠司は走っていって松田を背負い上げた。

兄と違ってたくましい体つきの誠司は、軽々と松田をスワンへと運び込む。

ヨーコははっと気付いて、自分も渾身の力でザザを背負った。

が、足がふらついてしまう。

「ヨーコちゃん、ムリしちゃダメぇー」

シズがヨーコの前に立ちはだかった。

「誠兄がおんぶしてくから。ヨーコちゃんは待っててっ」

「あっ…うん…」

ヨーコは赤くなりながら了解した。

体力に限界があるということを、この女の子はよく分かっている。

やがて誠司が戻ってきた。ひょいっとザザを抱き抱え、再びスワンに運んでいく。

「俺たちも行こう」

山川がヨーコに声をかけた。

岩に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

慌ててヨーコが支えようとしたが、山川はそれを手で制した。

…妹を心配させるな。

まるで、そう言っているかのようだった。

「お前は?歩ける?」

山川は逆にヨーコを気遣う。

ヨーコはこくんと頷いた。まだ全身が痛み、頭もぼんやりとしているが、まだ少しなら動ける。

「よし。じゃ、行こう」

兄の声に、シズが嬉しそうに駆け出した。

水飛沫が、光る珠となって夕日と炎のオレンジ色を反射する。

その美しさに、ヨーコは自然に笑みをこぼした。



対岸に着くと、そこにはもう一台のスワンが止まっていた。

さっき、被疑者の男を捕らえたボートだ。

ボートの中に人影はなく、ただ静かに波に揺れている。

「あれぇ?麗兄、どこに行っちゃったのかなあ?」

シズがザブンとスワンから飛び降りながら、辺りを見回した。

ここには、まだ炎が迫っていない。

生き残った桜の樹が、そよそよと千の花びらを落とす。

「綺麗…」

呟きながらも、ヨーコは悲しくなった。

井の頭公園の桜は、武蔵野の観光名所。

ヨーコも幼い頃から何度も花見に訪れ、親しんできた。

その桜の殆どが、灰塵と化してしまったのだ。

黒焦げになった公園の中で、ここの数本の桜だけが、儚い花びらを散らせている。

その花の雨の下に、ほっそりした体格の人物が立っていた。

ふわっとカールした、薄い色の髪。

透き通るかのような白い肌。

筋の通った鼻筋、大きな瞳…。

夢の世界から舞い降りたような姿の、高校生。

「麗兄っ!」

シズがはしゃいで、彼の元へ飛んでいった。

彼は桜から目を離し、妹を抱き上げる。

「桜…生きてるよ…」

そう呟いたのが、ヨーコの耳にも届いた。

「あの人も、弟なの?」

山川を見上げる。

「あぁ。麗司ってんだ。気を付けろよ」

「え?何に?」

麗司はこちらに気付いたようだった。

「圭司、バカしたな」

大きな瞳が、兄の傷を見つけて止まる。

「心配すんなって」

山川が言ったが、麗司はすっとヨーコに目線を走らせた。

「僕が心配してるのは、あなたです」

「えっ…!」

突然のことに、ヨーコは酷くドギマギしてしまった。「圭司が怪我するなんて、滅多にないことですから。貴女は、大丈夫ですか?」とろけるように甘い声だった。

疲れていることさえ忘れさせてくれるような、そんな響き…。

「はっ、はい!!」

思わず、ヨーコは勢いよく返事した。

顔が妙に熱い。

そんな彼女の様子を見つめながら、山川はため息をついた。

女性が麗司に惹かれるのは毎度のこと。

山川は、もう慣れっこになっている。

「おい麗司、被疑者はどうした」

空中にハートを連発しているヨーコを遮るように、山川は弟に聞いた。

「あぁ、あそこ」

麗司はふんわり笑うと、桜の樹の根本を示した。

男が、幹に縄でぐるぐると縛り付けられている。

なおも逃げ出そうともがいているが、縄はびくとも動かない。

「さあ」

山川がヨーコの背中をポン、と押した。

「手錠をかけろ。それがお前の仕事だ」

ヨーコは、山川を見上げた。

夕日に、彼の髪がキラキラと輝いている。

「…いいの?」

ヨーコの荒れた唇から、戸惑いの声がもれた。

「私は、この事件で何も出来なかった。全部、あんたに頼りっぱなしだった…」うつむきがちになり、肩が震える。

「私に、手錠をかける資格なんてない…」

その頭を、山川がツン、と押した。

「バーカ。おまえがしないで、誰が逮捕すんだよっ」「でも…」

「お前の熱意はピカイチだって」

山川はニヤリ、といつもの笑みを浮かべている。

「言っただろ?普通の刑事は、一般人をこんなことに巻き込んだりしねぇよ」

その口調は、優しかった。「早く」

促され、ヨーコはおずおずと被疑者に近づいた。

男は、キッとにらみつけてくる。

それに負けないぐらいの強さで、ヨーコは男を見つめた。


「誘拐容疑、及び殺人未遂の現行犯で逮捕します」



バッグから取り出した手錠が、ギラリと夕日を反射する。

ガチャ、と音を立てて、手錠は男の手首にはまった。



沢山の人が傷ついた公園は、ただ静かに燃え続けていた。


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