24───────────水上の出来事
「だけど、あいつは逃げられない」
山川が笑っていた。
「逃げられない?」
ヨーコはきょとんと顔を傾ける。
「どうして…?」
被疑者の男は、池を泳いで行ってしまった。
対岸には、まだ火の手の及んでいないところもあるかもしれない。
公園中から人も刑事たちもいなくなった今、上陸し、住宅街に入ってしまえば確実に逃げ切れる。
「逃げられないんだよ」
再び山川が呟き、目を閉じた。
ヨーコはビクッとして彼を見つめる。
「大丈夫…?」
山川の傷からは、止まることなく血が流れている。
ヨーコのハンカチも真っ赤に染まり、もうこれ以上血を吸い取ることはできない。
「大丈夫だって」
キッパリと山川は告げた。しかし、目を閉じ、岩にもたれている山川を見ていると、ヨーコは気が気ではなかった。
「血、止めなきゃ…」
すすけたスーツを脱ぎ捨て、下に着ていたシャツの腕部分を引き裂く。
ハンカチのかわりにその布地を山川の額に当てると、みるみるうちに赤く染まっていった。
このままでは、ザザや松田だけではなく、山川も危ないのではないか。
そう思うと、ヨーコの胸が不安に締め付けられた。
お願い。
誰か、早く助けて…。
その時。
「うゎあぁ!?」
池から、男の叫び声が響いてきた。
「?!」
ヨーコは思わず立ち上がり、池の奥を眺めた。
被疑者の男が、池の真ん中で立ち往生していた。
シュノーケルをつけている。
恐らく、マンホールから出てきた時に山川に目撃されたシュノーケルだろうと察しがついた。
男は、奇妙な団体――足漕ぎのスワンボート3台に、取り囲まれていた。
スワンボートは、威嚇するように3方向から男に接近する。
スクリューが水を大きく掻いた。
巻き込まれては大変だ。
男は身動きできずに、ただぷかぷか浮いている。
一台のスワンから、ヒュルヒュルッと投げ縄が飛ばされ、シュッと見事に男の首に引っ掛かった。
男は逃れようともがくが、縄はきつく巻き付いて離れない。
縄を使ったスワンは、ゆっくりと燃えていないわずかな岸目指して動き始めた。縄がピンと張り、男の首を絞めている。
男は、苦しげにもがきながら、スワンに引きずられていった。
残りの二台のスワンは、真っすぐこちらに向かってくる。
ヨーコはおののいて後退りした。
「大丈夫だよ」
山川が小さく、しかしはっきりと言ってヨーコの手をつかんだ。
「…あいつら、助けてくれるから」
「え…?」
困惑してヨーコは山川を見つめる。
スワンはすうっと近寄ってきて、一台がは大きな音をたてて岸辺のワイヤーにぶつかった。
「おい、気をつけろよシズ」
もう一台のスワンから、厳しい声が飛ぶ。
「大丈夫だょ、誠司。このくらい大したことないって」
ぶつかったスワンから、あどけない声が答えた。
「…?」
ヨーコが、訳もわからず立ち尽くしている間に、スワンから声の主が現れた。
一人は、小学2年生程の、小さな巻き毛の女の子。
もう一人は、中学生だろうと思われるガッシリした少年だ。
「あーっ、圭兄発見っ!」シズと呼ばれた女の子が嬉しそうに声をあげ、スワンから飛び降りた。
パシャパシャと水飛沫をあげながら、岸に上がってくる。
「シズ!待てって!」
叫んだ少年は、すぐさま女の子のあとを追ってきた。ポカンとしていたヨーコと目があい、慌てて頭を下げる。
「初めまして。山川誠司です」
「え…山川って…!」
ヨーコは驚きを隠せない。まさか!?
「そ。俺の弟妹」
山川圭司が、得意げに笑った。