22───────────被疑者との接触
男は、少し離れたところで炎の渦を満足気に眺めていた。
足元には、追ってきた二人の刑事が、折り重なるように倒れている。
男の刑事が、ショートへアの女刑事を守っているかのように、ぎゅっと彼女の手を握り締めて。
しかし、その手に込められた力も、もうすぐ抜けてしまうだろう。
男は、笑いだしたくなる衝動を必死にこらえた。
静かに、静かに、見守ってやるのだ。
憎い憎い刑事どもの破滅を…。
ガッシャアァン!!
ふいに激しい音。
なんだ?
騒々しい。
早くも、俺を捕まえに警察部隊が来たというのか?
それとも、この炎を消しに来た、いまいましい奴らなのか…
いや。
ちがう。
男は音のした方に眼を向けた。
ボロボロの自転車が一台、炎の海を背景に止まっている。
タイヤの空気は抜け切り、ボディは傷だらけだ。
警察や消防が、こんなチンケな姿で現れる筈がない。「だれだ?」
がさがさの唇で呟いたその妙に高い声は、炎の燃える音の中で、不思議に静かに響いた。
「…泥棒だよ」
ひらりと自転車から飛び降りた男が、ニヤリと答えた…。
「誰が泥棒よっ」
格好つけた瞬間、ドコッとどつかれた!!
「ぅゎっ!」
山川は大きくよろけ、バランスをとるために大きく両腕を広げる。
「あんたなんかと一緒にするんじゃないわよ!
誰が泥棒ですってぇ!?」ぼかっ。
もう一発。
山川はべしゃっと地面につぶれる。
「わたしを同類扱いするなんて、いい度胸よねっ!」足を振り上げたヨーコを見て、山川は慌てて地面を転がった。
ドスッと音をたて、ヨーコの足が今まで山川の体があった場所に着地した。
「わるかったよ!」
サッと立ち上がりながら、山川が口走る。
「俺が悪かったよ!
ヨーコは泥棒なんかじゃない!」
「気やすく呼ぶなって言ったでしょう…?」
低くドスのきいた声。
炎をバックに、ヨーコの瞳もメラメラと音をたてた。「わりぃっ!許せっ!!」「ゆるさないからっ!」
…なんなんだ、こいつらは?
男はポカンとして、目の前の男女を見ていた。
危険な連中が現れたと思いきや、間抜けなコントを繰り広げられている。
彼は、妙に拍子抜けしてしまっていた。
…油断してはいけない。
気を引き締めなおす。
なんだかよくわからないが、自分を追ってきたのなら彼らは敵だ。
敵は消す。
男は、ポケットから何かを取り出した。
それに気付いて、ヨーコが小さく悲鳴をもらす。
「やっ…!」
男は口元をヒクつかせた。手にしたナイフ。
すでに血に塗れている刃を、パチパチと音をたてて伸ばしていく。
その音は、炎のそれに似ていた。
「どっちからやってほしい…?」
男がピクピクしながらマスクを外し、舌なめずりした。
「レディ・ファーストかな…?」
ヨーコがビクッと震え、たじろぐ。
少し力の戻ってきた足を、何とか後ろへとずらした。「逃げるの?」
男が気味の悪い笑みをたたえてヨーコを見つめている。
サングラスの奥で、目がギラついている…。
すっ、と山川がヨーコと男の間に割って入った。
「やめとけよ。女を傷つけるなんて、男の名が廃れるぞ」
挑発するような、のんびりした口調。
ヨーコは恐る恐る、山川の背中を見た。
「特に、こんな女相手に本気になるなんてな。
カッコわりぃ。
まあ、人を傷つけた時点でそいつは人間としてサイアクだょ」
…どういう論理よ。
ヨーコはガクッとなったが、山川の言葉は十分に相手を“その気”にさせた。
「てめぇから先にやってやるよ…」
口元をヒクヒクと震えさせ、男が言った。
「後悔するぜェ…?」
しかし、山川は驚いたことに…ニッコリ笑った。
「お前がな」
一瞬の間。
「…ぅゎああぁぁあ!」
雄叫びをあげ、男は山川に突進していく。
銀色の光が、ヨーコの眼にかすかに映った。
「いゃあぁっ!!」
たまらず発した、泣き声にも似た叫び。
ヨーコはぎゅっと目を閉じ、手で顔を覆った。
鈍い衝撃音。
重いものが、ヨーコの足下に倒れた。
背中が、炎の熱でカッと熱い。
「大丈夫だよ」
やさしく声がかけられた。「大丈夫だから、顔あげて。ヨーコ」
強ばっている指の関節を、そうっと開く。
プリン頭の、すすけた顔の青年が、ヨーコを覗き込んで微笑んでいる。
ヨーコは、ゆっくりと手を顔から離した。
山川の足元に、あの男が転がっている。
ナイフは吹き飛ばされ、遠くの地面に落ちている。
ヨーコは安心して、バシッと山川をたたいた。
「ばかあっ!!心配させないでよぅ…ホントに、刺されたかと…っ」
「心配してくれてたんだ?」
山川がニッコリ笑う。
「ありがとなっ、ヨーコ」「だからぁ!」
ヨーコがムキになってわめき散らす。
「たやすくヨーコって呼ぶんじゃないわよぉ!!」
二人は安堵しきっていた。だから、倒れていた男の指が、ぴくりと動いたことにも、気が付かなかった…。