17───────────岩波の苦悶
今回は岩波と角川のエピソードです。
ヨーコ&山川はお休みです(*´∀`*)
「岩波さん」
そーっと呼んでみる。
「岩波さーん」
反応なし。
角川は困ってしまって、ただただその場でムダに慌てていた。
どうしよう。
どうしよう。
もうすぐ夕方になってしまう。
今すぐ出発しないと、身代金受け渡しに間に合わない。
それなのに、岩波が動く気配はまったく無かった。
パソコンと睨み合い、防犯カメラの映像解析をしているのだ。
昨日、被疑者からの着電があった電話ボックスは、どのカメラにも映っていなかった。
そこで、少しでも不審な人物を洗い出そうと、本町署付近の防犯カメラを徹底的に調べあげている。
作業を始めて5時間。
しかし、今だにそれらしき人物は見当たらないようだった。
「…岩波さんっ」
角川はビビリながら再度声をかける。
「岩波さん!!」
「ぁ?」
今度は、反応が返ってきた。
それだけで、角川は何故かホッとする。
「岩波さん、そろそろ行きましょう。遅れちゃいますよ」
岩波はマウスをクリックする手を止め、椅子ごと回転して角川を振り返った。
険しい表情。
皺のよった眉間。
血走った目。
「ヒッ」
あまりの恐ろしい形相に、角川は後ずさった。
「ぁ?なんだ、人を化け物みたいに」
岩波の眼が角川をガッチリと捕える。
まるで獲物を見つけた虎のようだ。
「いっ、いえっ、そんな、化け物だなんて…!」
角川は必死で笑みを作る。彼にとって、岩波は化け物の百倍おっかない。
「おっ、時間か」
岩波は腕時計に目をやり、さも自分で気付いたかのように呟いた。
椅子からガタンと立ち上がり、背広に腕を通す。
「よし。行くぞ角川」
「はい!!」
角川は内心ヒヤヒヤしながら返事をした。
今回は、岩波と角川がペアとなって動くのだ。
少しでも失敗したら、ひどい目に逢うだろう…。
角川は身震いした。
…今日が、僕の命日かもしれない…。
2人は、人気の無くなった捜査本部を出ていった。
今は全ての刑事が井の頭公園に向かっている。
…これからが勝負だ。
岩波は、胸のうちに微かな緊張を覚えていた。
犯人と接触する前にいつも感じる、高揚感にも似た高鳴り。
捕まえられるのか、逃げられるのか。
人質の命を救えるのか、救えないのか。
それに、自分が生きて帰ってこれるのか否か…。
全ては、これから始まるのだ。
「おぃ角川ぁ」
荒々しく声をかける。
「はっ、はいぃっ!」
妙に上ずった声で、部下が返事した。
…何だよ、俺ってそんなに恐ろしい存在なのか?
岩波は一瞬カチンときたが、気を取り直して続けた。「拳銃所持命令がでている。準備してあるだろうな」「もっ、もちろんです!」角川の声がでんぐり返しをした。
何があっても彼に撃たせてはいけない。
岩波はそう直感した。
ビビリながら撃ったら、どんなことが起きるか…。
角川なら、誤って味方を撃ち抜きかねない。
岩波は以前、そういう現実に直面したことがあった。あんな凄惨な光景は、二度と見たくはない。
署を出て少し歩いたところで、角川が一瞬立ち止まった。
「ぉい、何やってんだ!急いでんだぞ」
岩波がイラついた声を出す。
そこには、あの電話ボックスがあった。
ヨーコが致命的なミスをした場所。
犯人を取り逃がした場所。ヨーコが泣きながら座っていた縁石も、陽に照らされてすっかり雨を乾かしている。
岩波は立ち止まり、ジロッと角川を睨み付けた。
「すっ、すいません!!」角川は慌てふためいた。
「はぁ…」
思わずため息をつく。
…こいつと一緒に行動するなんて、まったく…。
「行くぞ!!」
獅子のようなうなり声と共に、岩波はずんずん歩いた。
その後ろを、ちょこまかと角川が追ってくる。
何だか、どうしようもなくイライラした。
我慢しようとすればする程、頭の中にもやが渦巻く。無視しようとすればする程、彼女の姿が思い出される。
桐原ヨーコ。
今頃、どうしているだろう。
もう戻ってこないつもりなのかもしれない。
戻ってこれる筈が無いのだ。
それだけの過ちを犯したのだから。
ふと、岩波の脳裏を、遠い昔の記憶が駆け抜けた。
海辺。
波が打ち寄せる中、砂浜に倒れている人間…。
岩波は頭を振って、その映像を追い払う。
もう終わったことだ。
思い返す必要もない。
ただ前を見据えて、これからのことを考えればいい。「ぉい角川ぁ」
腹いせに怒鳴り声をあげた。
「はいっ!!」
部下がビクッと返事する。「何でもねぇよ!」
噛み付くように叫ぶと、岩波は歩く速度をズンズン速めた。
「…ぇ!?」
すっかり混乱した様子の角川の声が、岩波を追い掛けてきた。