表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/45

16───────────ピッキング〜囚われの人形


帰った?

桐原さんが、帰った!?


信じられない心持ちで、山川はユリアを見つめた。

「ええ。本町署からの連絡があったそうで…」

ユリアが答える。

山川は、パッとリビングの時計を見た。

オルゴール内蔵型で、高さは1メートル以上ある。

3時4分。

ヨーコが言っていた、身代金受け渡し時間にはまだ早い。

一体、何の連絡があったというのだろうか。

「俺、追い掛けます」

山川は時計から目をそらした。

コートをつかみ、ぶっきらぼうに頭を下げる。

「お邪魔しました」

「あら、もっとゆっくりして頂きたかったのに…」

ユリアの目が、不思議な光を放った。

「山川さん、せめて紅茶を召し上がって行って下さい。

一口もお飲みになってないんですもの。

うちの会社が輸入している茶葉なんですよ」

「ごめんなさい。俺、紅茶苦手なんすよ」

山川はミリタリーコートに腕を通した。

「では、コーヒーはいかがでしょう?」

ユリアがしつこく聞いてくる。

「ジュースもありますし。とにかく、何かお飲みになって…」

「スミマセン。桐原さんが帰ったなら、俺も急がないと」

山川はユリアをしっかり見すえて、断った。

「…残念です」

ユリアも、山川を見ていた。

鋭い表情が、彼を突き刺してくる。

が、彼女はすぐに穏やかな笑顔をみせた。

「仕方ありませんわね。

仕事中なんですもの。

…何の力にもなれず、申し訳ありませんでした」

「…イエ」

山川は素っ気なく目を逸らす。

どうも、こういうタイプの人間は苦手だ。

「お邪魔しました」

もう一度だけ言うと、彼はリビングを飛び出していった。

後には、すっかり微笑みを消し去った女性が立ち尽くしていた。



「ふぅ…」

家から出たとたん、山川はため息をついた。

肩が凝り固まっている。

息苦しさを何とか消そうと、何度か深呼吸を繰り返した。

自分には、こんな屋敷は似合わない。

長くいると、頭がおかしくなってしまいそうだ。

山川は、畳張りの薄暗い自分の家を思った。

高級なものは、何一つない。

雨戸はガタガタで外れかかっているし、風呂はない。トイレもアパートで共同で使っている。

支払いが滞れば、すぐに電気も水も止められる。

幼い頃から何度も、家族で一本の蝋燭を囲んで夜を過ごした。

けれど、そんなボロアパートが、山川は好きだった。誰にも気兼ねなく、ごろんと横たわれる場所。

そして、守るべき人のいる場所…。

この天使の館には、山川の好きなものなど、何一つない。


紋白蝶が飛んだ。

強烈な日差しが、蝶のシルエットを目に焼き付ける。山川は、館の門には向かわなかった。

本当は、早くこの家から出たくて出たくて、たまらなかったのに。

彼の足は、庭の奥へと進んでいった。

花を踏まないように気を付けながら、天使の噴水を通り過ぎ、館の裏へと回り込む。

そこには、淡い桃色の梢を伸ばす、桜の巨木が立っていた。

表通りからは見えない位置を選んで、山川は木に足をかけた。

慣れた動作で、スルスルと登っていく。

彼のミリタリーコートは、すうっと木の色に溶け込んでいった。

はらはらと花が舞う。

日がキラキラと散る。

泥棒は、桜の太い枝先に立ち、天使の館を見つめた。枝と、館の二階のベランダは同じ高さだ。

軽く弾みをつけて、山川は飛んだ。

失敗すれば確実に眼科の噴水に叩きつけられてしまう。

しかし、山川はひらりとベランダに降り立った。

その窓からは、倒れて動かないヨーコが見えた。



カチッ。


カチカチッ。

金属音が耳に響く。


 カチカチっ、チャッ…


ヨーコは深い深い眠りの中で、その音を聞いていた。

子守歌みたいだ。


その口元が、かすかに上がる。

さくら色のルージュをひいた唇がわずかに開く。

まるで、小さな子供のように…。


ぐるぐる回る世界の中で、ヨーコは青年に抱き締められていた。


黒髪で、筋骨たくましい九州男児。

大きな瞳が、ヨーコを見守る。

「はやと…」

ヨーコはぎゅうっと男に抱きついた。

「どこ行ってたの。あたし、待ってたんだから…」

男は答えない。

ただ、ヨーコを抱き締め、見つめているだけ。

それでもヨーコは幸せだった。

…隼人に会えたから…。



   ガチャン!!


ガラスが割れてしまいそうな音がした。

はっ、とヨーコは目を開ける。


ヨーコは、フローリングに横たわっていた。

隼人は夢の中に溶け去り、急に後頭部から痛みが広がってくる。

体を起こそうとしたが、床が揺れているように感じて、どうしてもできなかった。


カチッ

カチッ


あの金属音は、まだ聞こえている。

音のする方に顔を向けて、ヨーコはギョッとした。


山川が、ベランダにしゃがみこんでいた。

ヘアピン片手にガラス窓を…


「ピッキングしてるの…?」

がさがさの声で、ヨーコが呟いた。

もちろん、そんな声は届かない。

山川の真剣な眼差しは、全て窓の鍵部分に注がれている。


ヘアピン青い光が、ヨーコの瞳に焼き付く。


「どうして…」

どうして、そんなことができるの?


ガチッ。

音と共に、ガラス窓が開いた。

「…できた」

山川が笑った。

不思議な、表情だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ