15───────────ダージリンの罠
急な螺旋階段を上りつめると、ユリアは息を切らしているヨーコを導いて、廊下の一番奥まで歩いていった。
「桐原さん、大丈夫ですか?」
涼やかにユリアが訪ねる。ヨーコは何とか笑ってみせた。
「は、はい…いつも、こんな急な階段、登って、らっしゃるんですか?」
「毎日のことですから。慣れました」
「そ、そうなんですか…」たどり着いた部屋の扉を開く。
重々しい鉄の扉。
なんだか、階下のメルヘンなつくりとは随分違う。
「ここが、コレクションルームなんです」
ユリアが言った。
「高価なものも置いてあるので、少々大げさにセキュリティをかけているのですが…」
まるで、家にこんなおどろおどろしい部屋があることを恥じているようだった。「でも、羨ましいですよ!コレクションとか、海の写真を飾れる部屋があるなんて…私も、こういう家に住みたいなぁーっ」
ヨーコは瞳をキラキラさせた。
その反応に、ユリアも照れくさそうにほほ笑み返す。「じゃあ、入りましょうか」
その白い手が、鉄の扉を押し開けた。
窓ガラスの外で、太陽が陰ったのだろう。
ふいに目の前がすうっと暗くなり、山川は我に返った。
どれくらい長い間、この写真を見ていたのだろう。
コバルトブルーの海に浮かぶ人影。
本格的なダイバーなのだろう。
足ヒレ等の装備品はブランドのものだ。
山川が以前ダイバーショップに盗みに入ったからこそわかるのだが…。
山川は、じいっとその写真に見入った。
吸い込まれてしまいそうな海の青。
人影の頭上で太陽の光が水を照らす。
ゼリーのように輝く、水、水、水…。
「あら、山川さん」
優雅な声がした。
振り返ると、ユリアがそこに立っていた。
「あ、どうも」
山川は小さく頭を下げる。ヨーコのような庶民的なタイプなら平気なのだが、どうも貴族じみた人は苦手だ。
どう付き合っていいのか判らないのだ。
「桐原さんは、まだ上で写真見てるんですか?」
もごもごと聞いてみる。
ユリアと一対一で話すのは気が重い。
ヨーコに早く戻ってきて欲しかった。
「あら、山川さんはご存知ないんですか?」
ユリアがきょとんとして山川を見た。
「…何を、ですか?」
壁際に追い詰められるような感覚が襲ってきた。
ユリアの瞳が、山川をピンで留める。
「桐原さん、警察署の方から連絡が入ったみたいで。つい先ほどお帰りになりましたよ」
「え」
山川は更に硬直した。
「か…帰った?」
「ええ」
「帰った!?」
「はい」
「帰ったぁあ!?!?」
山川の大声が轟いた。
ガツッ。
衝撃と共に、一瞬目の前が真っ暗になる。
火花が散ったかのようだ。急にフローリングの床が迫ってきて、鈍い痛みが全身を襲う。
「あっ…!」
思わず呻いて、ヨーコは空を掴んだ。
後頭部から、じわじわと痺れが広がっていく。
…ユリアさん…!?
扉を開けた直後の出来事。ヨーコは薄れゆく意識の中で、必死に目を見開いた。純白のワンピースの、清楚な女性。
その姿が、一瞬くっきりしてはぼやける。
「ユリアさんっ…」
「ごめんなさいね」
ユリアが笑った。
パイプ椅子を抱えている。それを使って、ヨーコを殴ったのだろう。
「ど…して…」
擦れる声で、ヨーコは呟いた。
目の前の光景が、捻れてぐるぐると回りだす。
我慢していれば酔ってしまいそうだ。
「あなたには、消えてもらわなくちゃいけないの。すぐ楽にしてあげるから、暫く眠っててください」
天使のような顔が、優しく微笑んでいる。
まるで子供を寝かしつける母親だ。
「さっきの紅茶には、睡眠薬が入っていたんです。もう効いているでしょう?」果たしてこの目眩が薬のせいなのか、後頭部の衝撃のせいなのか。
それは判らない。
何もわからない。
それ位ヨーコは朦朧としていた。
「…ユリ…ア…さ…」
伸ばしかけた腕が、力を失って床に落ちた。
天使の館。
そこで、清楚な悪魔の微笑が、動かない彼女を見下ろした…。