12───────────山川の告白
「ご協力ありがとうございましたー」
玄関ドアを丁寧に閉める。ニッコリしていたヨーコの表情が、とたんに崩れ去った。
「次行くわよ」
呟くと、バッグを肩に掛けなおして歩きだす。
山川が、のらりくらりとそれに従った。
もう、何件目だろう。
ヨーコは、頭の中で数えなおした。
が、すぐに断念した。
あれから、川辺に並び立つ住宅を一軒一軒まわってきた。
遊歩道から振り返ってみれば、やってきた道のりは果てしなく視界の先まで伸びている。
何軒回ったかなど、覚えていられる訳が無い。
「収穫なし、か」
呟いて、時計に目を移す。ちょうど正午だった。
まだ、夕方まで時間がある。
何とかそれまでに被疑者と接触しなければ…
ヨーコは唇をきゅっと結んだ。
もし、それができなければ、山川と手を組んだ意味など無くなってしまう。
山川はヨーコの三歩ほど前を歩いていた。
陽気に口笛を吹き続けている。
“オー=シャンゼリゼ”だ。
そのメロディーは眼科の水面へと流れていく。
暖かい日差しと静けさの中、ミリタリーコートが僅かに揺れた。
「ずいぶん呑気ね」
ヨーコが呟いた。
口笛がとまった。
「なんか悪い?」
「悪いわよ」
ヨーコはイライラを募らせて怒鳴り気味になった。
「目撃証言はゼロ!何にも進んでないのよ?」
「それって俺のせい?」
「違うけど…」
「じゃあギャアギャア言うなよ。怒鳴ったって文春は助からねぇんだから」
「そうだけど…」
再び、オー・シャンゼリゼが流れはじめた。
ヨーコは口をもぐもぐさせていた。
何か言い返したいけれど、言葉が見つからない。
理論的には山川が正しいのだ。
けれど、この胸のムカつきは収まってはくれない。
何か、何でもいいから、手がかりが欲しい…。
「ねぇ、そろそろ教えてよ。あんたの情報」
ヨーコが静かに言った。
山川が立ち止まった。
「…守れよ?約束」
振り向きもせずに言う。
「わかってるわよ」
ヨーコは答えた。
数歩あるいて、泥棒の前に出る。
「早く教えて」
覗き込むように、山川の顔を見上げた。
ヨーコは、背が小さい。
スーツを着ていなければ、中学生かと思われるだろう。
だから、男としては普通の背丈の山川の顔も、下から見上げなければならないのだ。
「お前さ」
山川が口を開いた。
ゆっくりとした言い方だ。「何よ?なんか文句あるの?」
ヨーコは、山川の身長に気後れしまじと精一杯の威厳を持って睨む。
「文句じゃねーよ」
山川は少し不機嫌そうに返した。
今までの微笑みは消え失せている。
この時になって初めて、ヨーコは山川の瞳の奥に潜む、冷たい光に気が付いた。
「俺が言いたいのはさ」
彼は、言葉を区切りながら、ヨーコの反応をじっと見ていた。
「情報を喋って、俺が要らなくなった途端…お前が手錠を出すんじゃないかってコトだ」
ヨーコは、目をぱちくりさせた。
「手錠を出す、って?」
「俺を捕まえようとするってことだよ」
明らかに、山川の口調はイライラしている。
「わかってるよな?それが取引違反だって」
「わかってるわよ!」
「じゃ、どうしてさっき手錠を出した?葦原の中で」山川の切れ長の瞳が、刺すようにヨーコの奥底を貫いた。
「あっ…あれは、その…」口籠もってしまう。
「何ていうか…刑事の本能、て言えばいいかしら?」
心臓がドキドキしている。
ばれていた。
山川には、ヨーコの魂胆が見えていたのだ。
「ほら、刑事って犯罪を見たら、すぐに現行犯逮捕しなきゃいけないでしょ?だから、あの時もつい…」
「ふーん…」
山川が、探るようにヨーコを見ている。
その眼の冷たさに、ヨーコの背筋が凍り付いた。
…どうして、そんな顔するの…?
無意識に体をふるわせながら、ヨーコは山川を見つめた。
「だ、大丈夫よ。私、絶対あんたを捕まえたりしないから。約束する…」
「本当に?」
山川が更に詰め寄ってくる。
ヨーコは、必死に頷いた…
「あ、そ。なら良いんだ」山川の表情が、フッ、と和らいだ。
日の光が柔らかく差し込んでいる。
「オッケー。じゃ、話すよ」
そう言った口元に、いつものニヤリとした笑みが戻ってきた。
…そのあまりの突然さに、ヨーコはただポカンとしてしまった。
冷や汗が、髪の中を流れ伝うのを感じる。
冷たい。
体の震えを止めようと、腕を組むふりをしながら自分をしっかり抱き締める。
刑事としての威厳を保とうと、心が必死になっている。
怖かった。
今、この瞬間、自分は本気で山川を恐がっていたのだ。
…でも。
負けてなんかいられない。私は、犯罪者を怖く思ってはいけない。
私は刑事なんだから…。
「ありがとう」
なんとか笑ってみせた。
ヨーコは手帳と百均のボールペンを取り出した。
*
それは、昨日の朝のことだった。
雫がビニール傘から次々にこぼれ落ちていく、その中で、山川圭司はただ歩き回っていた。
これといった行き先がある訳ではない。
けれど、やらなければいけない事があった。
彼の眼は素早く辺りを見回していた。
だめだ。
朝早いせいか、灰色のもやがかかった街にはひとっ子一人いない。
…また出直すか…。
諦めかけた。
しかし、もう少し歩き回ってみることにした。
周りに人がいない早朝は、捕まったり、目撃されたりする確立が低い、ひったくりにとっては絶好の時間帯でもあるのだ。
雨の中を歩くこと数分。
視界のはるか先、道路の反対側に一人の女が佇んでいるのが目に入った。
スーツは、赤い傘から滴る雫にびしょびしょになっている。
おまけに、その肩にかかっているのは、シャネルのバッグだ。
…あの女、ボーッとしてるな?
山川は、彼女に狙いを定めた。
不審に思われないように、すたすたと近づいていく。
女は、接近してくる男に気付かない。
近づくにつれ、彼女の顔が見えてきた。
眠そうにため息を繰り返している。
しかし、彼女の目は、ある一点に留められていた。
古い電話ボックス。
山川が歩いている、ちょうど正面にある。
山川は、彼女の視界に入らないうちに道路を渡ろうとした。
その時だった。
アスファルトから湧いて出たように、突然目の前に男の体が現れた!
全身びしょびしょで、地面に這いつくばり、今まさに立ち上がろうというところだ。
「!?」
山川は、泥棒の本能(?)でとっさに建物の影に隠れた。
そっと、顔をだして様子を伺う。
男は、灰色の作業着を着、黄色いヘルメットを被っていた。
顔にはシュノーケルのようなものをつけている。
おまけに、酸素ボンベまで背負っていた。
まるでダイバーだ。
雨の打ち付ける中、彼は立ち上がる。
その後ろには、ぽっかりと円形に開いた穴があった。穴の奥は暗く、かすかに滝のような音がする。
マンホールだ。
山川は改めて男を見て、理解した。
…こいつ、ただ者じゃないな。
彼は、マンホールから出てきたのだった。
だから、いきなり目の前に現れたように感じたのだ。一瞬、下水道の修理をする作業員かと思った。
が、こんな土砂降りの日に酸素ボンベまでつけて修理などするだろうか?
男はマンホールの蓋を閉め、辺りを見回すかのような仕草をする。
あぶねっ!
山川はあわてて顔をひっこめた。
暫く、そのまま息をひそめていた。
が、何事も起こらなかった。
どうやら見つからなかったようだ。
山川は建物の影から用心して出てきた。
ターゲットの女に逃げられていないか、それが不安だった。
が、赤い傘の女はまだそこにいた。
相変わらず電話ボックスを見つめている。
「もしもし。ボス?」
近くで、押し殺したような声が聞こえてきた。
「あ、俺です。予定どおり、地上に上がりました」
電話をしているようだ。
山川は足音を忍ばせ、そっとまた建物の影に戻った。今動いたら、あの男に見つかる。
なぜか、見つかってはいけないと山川は感じていた。これも泥棒の本能なのだろうか?
「それが、面倒なことになったんスよ」
男の声が流れてくる。
山川は耳をそばだてた。
「ここも見張られてるんスよ」
「!」
…ばれていたのか。
山川は一気に緊張した。
が、すぐに肩を撫で下ろした。
男は「ここも見張られてる」と言った。
つまり、他でも何物かに見張られていたのだ。
山川が見ていることを言ったのではない。
「どうしましょう。もうすぐ時間ですが…」
山川は笑いだしたくなった。
自分は何をやっているんだろう、スパイごっこみたいな真似して。
きっと彼は本物の作業員なんだろう。
でなければ、あんな大胆な登場の仕方はしない。
むしろ、赤い傘の女が移動してしまうのではないかということが気にかかった。
山川は、傘の雫を払って、堂々と建物から出た。
女は、まだそこにいる。
しかし、しきりに時計を見ている。
彼女が動きだすまで、あまり時間はないかもしれない。
山川は道路を渡り、更に一本裏の路地に入った。
風のように駆け、ちょうど適当なところで、また表通りに戻る。
山川がつけた見当は、バッチリと当たっていた。
ちょうど、赤い傘の女の真後ろに出ることに成功したのだ。
あとは、いつもの手順だった。
忍び寄り、ひったくる。
それだけだった…。
*
「以上っ。あとは、お前も知ってるとおりだ」
山川が話し終えた。
ヨーコは呆然としていた。全く新しい、恐らく警察のだれもが知らない事実を、たった今掴んだのだ。
「あの男が見張られてるって言ったのは、俺じゃなくてお前に気付いたからなんだな」
山川が呑気に笑う。
ヨーコは、鳥肌がたつ程興奮しながら、頷いた。
犯人が、少しだけ、でも大分近くに感じられる。
心が沸き立つ。
私は、犯人に向かって進んでいける…!!
そんな喜びが、ヨーコの胸を熱く焦がしていた。




