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10───────────グリーン・トラップ

風がそよぐ。


鼻に当てられていた白いハンカチが、ふいに取り払われた。

大きく息を吸い、ゲホゲホと咳き込む。


ヨーコは、葦原の中に膝をついていた。

スーツに泥が染み込んでいく。

「ごめんごめん。びっくりした?」

背後からかけられた男の声。

山川だった。


ヨーコの背が震えた。

「何するのよ…」

呟く声が、妙に低い。

「桐原さ…」

「何するのよ!!」

叫ぶように、ヨーコが振り返った。

顔は蒼白で、目がぎらぎらと光っている。

「窒息しちゃうじゃない!私を殺そうとしたの!?」「いや、そんなつもりじゃ…」

「じゃあ何なの!!」

彼女が詰め寄った。

「いきなり後ろから襲い掛かったりして!!」

「それは…」

「だから犯罪者は信じらんないのよ!

こうやって再犯を繰り返すんだから!」

ヨーコはサッと手錠を取り出した。

山川が一瞬ひるむ。

「殺人未遂よ。今度こそ逃がさないから!」

「お、おい!」

山川が慌てて逃げ腰になった。

「殺人未遂なんかじゃねぇよ」

「じゃ、何だって言うの?」

今やヨーコの目はらんらんと光り、逮捕への欲望に燃え盛っている。

「…実験さ」

山川が答えた。



「実験?」

ヨーコが青年を睨み付ける。

「何言ってるの?

私を窒息させて、何の実験になるっていうのよ」

「いいから聞いてくれ」

山川が言った。

「聞けないわ」

すかさずヨーコが答える。「犯罪者の言い訳聞いてる暇なんてないのよ、残念ながら」

そのまま、手錠を持った腕を前に突き出す。

山川が同時に一歩後退した。

「誤解なんだ」

山川が必死に言う。

「俺は桐原さんを殺そうなんて、ちっとも…」

「じゃあ何であんな真似したの!」

「だから、実験だって!」「何の実験よ!」

「文春くんの動きの実験だよ!」

「…」

ヨーコが黙って、じっと山川を見つめた。

文春の名が出て、興味をそそられてしまったのだ。

「…聞いてくれる?」

ヨーコの様子を見て、青年が呟いた。



「文春くんは、葦の茂みに入った後、行方がわからなくなった。そうだよな?」「そうよ」

山川に不信の目を向けながら、ヨーコが答える。

「警察は、茂みの中に犯人が隠れていて、そこで文春くんを誘拐したと考えただろ?」

「そうよ」

「警察はこの茂みをくまなく調査した…間違いないな?」

「そうよ」

「だが、警察は何の手がかりも得られなかった。そうだな?」

「そうよ」

面倒臭そうにヨーコが言った。

「そんなこと聞いてどうするのよ?」

「警察は大事な点を見落としてる」

山川が落ち着き払って言った。

「文春くんは、ここで誘拐されたんじゃない」

「!」

彼は、足早に歩き始めた。慌ててヨーコが後を追う。ぬかるみに足をとられて、転びそうになった。

山川は少し歩いて立ち止まり、振り返る。

「桐原さん。うしろ」

つられて、ヨーコは後ろを向いた。

もちろん、逃げられないように山川のコートの端を掴んだまま。


背後には、小さく空間が広がっていた。

周囲には葦が直立しているというのに、そこだけポッカリと開いている。

その部分の葦は、無惨にも薙ぎ倒されていた。

「あれは…」

ヨーコが呟く。

「俺が、桐原さんに“実験”した場所だよ」

山川が答えた。



「葦は、弱いから簡単に倒れてしまう。

あそこの空間は、桐原さんが暴れて葦を倒したから出来たんだ」

山川が説明する。

「ナニよそれ」

ヨーコが膨れた。

「暴れたって…あんたが私に襲い掛かったんじゃない!」

誰だって、後ろから口を塞がれれば逃れようともがく。

それを「暴れた」と言われたことに、またヨーコはカチンときていた。

「で?私が葦をなぎ倒した、それが何だっていうの?」

「事件直後、こんな風に葦が倒れてる場所があったかい?」

山川が微笑んだ。

「あ…」

ヨーコはハッとした。

確かに。

たしかに、そんな報告は無かった。

もし、文春くんが襲われたら、必ず跡が残る…

でも。

「文春くんは、まだ6歳よ。大人に襲われたら、葦を倒すほどには抵抗できないわ」

「取り押さえようとした犯人だって、多少は動き回るはずだ」

山川は落ち着いていた。

「ところが、土手から見たところ、この葦原にはこんな空間は無かった」

「じゃ、じゃあ…」

ヨーコは必死に頭を働かせていた。

「文春くんは、ここで誘拐されたんじゃない…でも、どこで…?」

「川、だろうな」

山川が言った。

「きっとボールを追って葦原を抜けたんだ。そして、川に出た」

この川は幅が広い。

しかし、比較的浅いので、簡易ゴムボートでもあれば、すんなりと渡ることが出来る。

「文春くんを乗せて、ボートで移動したんだ。

それ以外に、野球少年たちに見られることなく葦原を抜ける道はない」

「つまり、一昨日川にボートが出ていた…」

ヨーコが呟いた。

「目撃証言がとれるかもしれないわ!!」

「そーゆーことっ」

山川が笑った。


ヨーコは、改めて青年を見つめた。


…すごい。


そう思ってしまったのだ。

しかし、まだまだこれからだ。

山川には肝心の情報を吐いてもらわなければならない。

ヨーコは、気を引き締めるように胸を張った。

「証言。とりに行くわよ」「おぅ」


風が、やわらかに吹いていた。


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