自分
次第に声や景色がはっきりとする。
「ありがとうございます。じゃあ、また今度」
目の前に立っている女性は高橋さんだった。それも、一昨日の場面だ。名残惜しいそうに小さく手を振る高橋さん。もしかして、これはもう一人の自分と入れ替わったあとの場面だろうか。
「あ、ちょっと待ってください。あの明後日、もしよかったらでいいんですけど、コスモスパークに行きませんか?」
「え、はい、行きましょう!」
彼女は寂しそうな顔から一転して花が咲いたような表情で答える。
「よかった。じゃあ、明後日10時に桜田駅で待ち合わせでいいですか?」
「はい、もちろん」
「あと、お願いがあるんですけど俺、昔に事故したせいで若干記憶に問題があって、約束忘れてるかもしれないので、当日の朝8時になったら電話して教えてくれませんか?」
「それはもちろん全然大丈夫ですけど、日常生活とかには影響無いですか、もしよかったら、私病院紹介しましょうか?」
「大丈夫です。たまに記憶がすっぽり無くなってますけど、周りの方は結構理解してくれる人もいますし、病院にも行ってますので」
「それなら良かったです」
本当に心配している高橋さん、彼女にはもう俺は会えないのだろうか。そう思うと胸に悲しみが広がっていく。
確実に自分の声で高橋さんに真実を混ぜた噓を告げていく。何だか自分では無いような気がして不思議な気分だ。まるで一人称視点の他人になったようだ。
「あともう一つお願いがあるんですけどいいですか、、、」
目的地を告げる車掌さんのアナウンスで目が覚める。目が覚めてはいけないタイミングだったと思う。夢は何故、覚めて欲しくない時に覚めてしまうのだろうか。
最後に自分は何をお願いしたのだろうか。ホームから改札口と向かう道を歩きながら考える。駅から外に出るといつも見るビル街に大通り、何ら変わらない風景。変わっているのは自分自身。
モヤモヤした気持ちを抱えながら佐伯さんが居る探偵事務へと歩みを進める。この暑さはいつになったら消えてくれるのだろうか。外気の暑さで考えがまとまらない。
遊園地に居た時は暑いとあまり思わなかったのに、今になって熱気がぶり返したように暑い。どうしてだろうか。あの時は楽しいと思っていたからだろうか。それとも希さんと一緒にいて暑さどころでは無かった。いやそんなことはないか。
駅から探偵事務まで立ち並ぶ目の前のビル街が余計に暑苦しさを感じさせる。見える空が小さい。先程まで見えていたはずの青空が遠く感じる。遠くに浮かぶ空はまだ青い。
清々しいほどに青い。まるでビルの間から見る空は池のように見える。
小さな池。その中に俺も飛び込みたい。池の中にはきっと舞が待っているから。今の俺を見たら何て言うだろうか。
想像でしか会えない舞はいつも俺の都合が良いように言葉をくれる。でもきっと現実はそこまで甘くなくてショックを受けるような言葉を言われるかもしれない。今はもう想像することすらも出来ないのが苦しい。
自分の黒い影を見ながら自分に問う。舞と想像でしか会えなくなってしまったのはあの時自分が守ることができなかったからであって、選択したのは自分自身なのだ。
たとえ自分が殺したわけではなくても、守ると約束したのに守れなかった自分のせい。甘えるな。守れなかった自分が憎い。憎いなら憎しみをぶつければいい。憎しみが無くなるように生きればいい。復讐すればいい。どうせ最後なのだから。命を燃やすように復讐すればいい。
いつものビルが見える。決意を込めて1歩ずつ建物の中に入る。歩を進める度自分の甘えが消えてく気がする。エレベーターの前へたどり着く。指先に決意を込めて開閉のボタンを押す。使用禁止のエレベーターの扉がゆっくりと開く。静かに中へ入りボタンを押していく。
大きく揺れ、動き出す。次第動きが止まり、扉が開く。扉の前には既に俺が来ることが分かっていたみたいに佐伯さんが待っていた。俺の顔を見ると穏やかの笑みを浮かべた。
「どうしたんだい?」
「佐伯さん、俺の事を教えてください」
いつものように真っ赤なテーブルクロスが広げられたテーブル席に座る。佐伯さんが飲み物を取りに行こうとしているところで、俺は懇願するように聞いた。でも、座っている俺の方を振り向いて佐伯さんは俺の目を見つめて首を横に静かに振る。
「君のこと?もう教えたじゃないか。それに君が知りたがっているのは君のことでは無くて、キミの事なんだよ 」
飲み物を取りに行くのを辞めて俺と向かい合って座る。思った疑問が口から抜け出していく。
「何が違うって言うんですか?佐伯さん変ですよ。俺が知りたいのは俺の事じゃなくて、俺の事?意味が全く分からない」
俺が知りたいのは、もう一人の俺のこと。それが俺ではないとはどういうことだろうか。俺の中にいるのだから俺ではないのだろうか。




