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業火な御馳走  作者: 赤八汐 恵愛
第1.5章 七尾奏音 色欲復讐編
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待ち時間

  家から離れれば離れる程に足取りが軽くなり、内面の寒々とした思いも次第に外気と中和して暖かくなってきた気がする。まだ憂鬱な気分は拭えないが、家にいるときよりは幾分ましだ。


 恵希(えま)公園が近づいて来ると、頭の中には佐藤さんの表情が浮かぶ。私にほんのりと笑ってくれた、泣いている私の背中を優しくさすってくれた、佐藤さん。速く会いたいな。


 気持ちが身体と連動し、気付くと私は走り出していた。公園につく頃には私は息を切らし、辺りを見回す。だが佐藤さんはまだ来ていなかった。公園は子供と蝉の鳴き声だけが響いていた。左腕の時計を見ると午前11時を指していた。大分速く来すぎてしまった。外で待つには長すぎるので、いつもの喫茶店で待っていることにしようと思い移動する。 


 移動しながら、佐藤さんに喫茶店で先に待ってます。と連絡を入れようと携帯を取り出したが、連絡先をもっていないことに気づき、携帯をしまう。少しだけ後悔した。連絡先を交換していれば、今だけじゃなくて、昨日の夜ももっと長く佐藤さんと話せていたのかもしれない。透明な刃物で傷つけられた傷跡も癒えていたかもしれない。


店内に入ると窓側の席に案内される。店内にいると外の景色が他人事のように思える。席に着くとアイスコーヒーを頼む。待っている間外の景色を見ながら、母親のこと、未来の不安、佐藤さんへの思い、少年への未練、幾つも考えが頭の中で巡る。巡れば巡るほど苦しくなる。


アイスコーヒーが机に置かれると、口に含む。冷たい苦味が喉を通り胃の中に落ちる。舌には旨みだけが残った。


頬杖をしながら外を眺める。相変わらず暑そうだ。自分の苦しみが暑さで溶けて無くなってしまえば良いのに、現実は逆で幸せが焼かれて灰になる。灰になった幸せは戻ってくるのだろうか。


 深海に沈むような気持ちを払拭するように頭を横に振り、鞄の中から一冊の小説を取り出した。最近は精神的な疲労が酷く読書をする気持ちになれなくて、全然読めていなかった。栞が悲しそうに挟まれたページを開いた。窓からの日差しが本を明るく照らして眩しい。


 一文字一文字が心に染みていく。文章が刻まれる。物語が始まる。物語はゆっくりと私を明るい方へ連れてってくれる。暗闇が徐々に明るくなっていき、色鮮やかな風景が目の前に飛び込んでくる。詰まったような音も次第に鮮明になり、物語の声が聞こえる。


 深海から次第に輝く海面へと上がると見える景色は一面の青。清々しいほどに晴れた青空に、コバルトブルーの水面。私の心は今、晴れた。


 物語が一段落したところで視線を本から外すと、机にあったグラスは空になっていた。水滴が透明なグラスを伝って机に水溜りをつくっている。


 時間を確認するともうすぐで時計の針が真上を指そうとしていた。慌てて伝票をもって会計を済ませて店をでる。


 小走りで公園の方へ向かうと入口に男性の姿が見えた。真っ白いカーディガンが風でなびいている。


「すみません。佐藤さんお待たせしました」

「大丈夫ですか?そんなに急いで来なくても僕も来たばかりですし、丁度12時になったばかりですよ」


 息を切らせながら佐藤さんに声をかけると、佐藤さんは私に優しく微笑む。見上げる彼の表情は太陽と重なりまぶしくてあまり良く見えなかった。


「あ、本当ですね。でもお待たせする訳にはいかないですし」

「でも、待つのも楽しいものですよ。待っている間にしか見えないものって沢山ありますからね」


  佐藤さんに指摘され、私は自分の腕時計を確認すると針は丁度真上を指していた。腕時計に汗が滴り落ちた。自分の必死さが身に染みる。そんな私を見かけて佐藤さんは柔らかい笑顔で『待つのも楽しい』とフォローしてくれた。優しさが今の私には奥まで響いた。


「ところでなんですけど、少し移動しませんか?ここだと干からびてしまいそうで」

「確かにそうですね!でも、どこに行きますか?」

「あ、それだったら、ちょっと高橋さんと行きたいところがあるので、そこでもいいですか?」 

「え?私とですか?」

「はい!」


 陽炎が立ち込めるアスファルトを踏みしめながら、佐藤さんの言う私と行きたいところへと向かうことになった。私と行きたいところとは一体どこなのだろうか?そんな疑問に少しだけ胸を躍らせながら隣を歩く。


「そこってどこか、聞いてもいいですか?」

「う~ん、、着いてからのお楽しみってことじゃあダメですか?」

「わかりました!じゃあ楽しみにしときますね」


 気になっていたことを聞いて見たら、はにかむ笑顔で秘密にされてしまった。だから私は着いてからの楽しみにすることにした。大通りに接する歩道に出ると、人通りが多くなり二人だけの世界が綿あめのように消えた。


「そういえば、先待っている間にしか見えないものがあるって言ってましたけど、それって何ですか」

「あ~それはですね、一番は想いです」

「想い?」

「はい!想いです!待っている間に相手と今日はどんなことをするか、ここに行ったら相手は喜ぶな、こうしたらどうだろうか、とか待っている間は特に相手のことを沢山想えるんです!だから僕は待つという時間は素敵な時間だと思えるんですよね」

「なるほど、素敵な考え方ですね」

「ありがとうございます」


 待つのも楽しいと言った言葉は私をフォローするだけの言葉ではなくて、本心からの言葉だということを実感した。待つ時間は相手のことを沢山想える時間である。その言葉が私に響いた。幼かった頃に父親が家に帰ってくるのを思い返して、少しだけ目頭が熱くなった。

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