幸せな日常
高橋希
「みんなで一緒にバカンス♪ペットも一緒にバカンス♪vacance七月三日オープン!」
最近、東宿に出来たばっかりの大型ショピングセンターのCMが 流れていた。リビングに愉快な音が響き渡る。
希は齧っていたトーストを口から離し、コーヒーで流し込み。キッチンで洗い物をしている母親にキラキラとした目を向ける。
「お母さん!バカンス行こう!」
母親の美智子は呆れた顔をする。
「希はいつも急なのよね……もっと前もって言う事はできないのかしら」
「だって……今、バカンスのCM見たら行きたくなったんだもん!しょうがないじゃん」
美智子の言葉に希は子供のように頬を膨らませ言い訳を並べる。そんな希を見て、美智子は呆れた微笑みを浮かべさせる。
「ねぇ!行こうよ!お願い!今日、お母さん何も予定でしょう?」
「あのね、私だってね……もういいわよ。速く支度して来なさい」
美智子は溜息をもらして自分の主張を諦めた。
「やった~!速攻で支度してくるね!」
希はトーストを口いっぱいに入れ、リスの如く頬に貯め込む。コーヒーで勢い良く流し込み。『ご馳走』と手を合わせると勢い良く自室がある二階へと階段を駆け上がる。
「希!!!」
「ごめんなさい~!」
ドタバタと音を立てて階段を昇る希に対して美智子は注意する。それに対して希は形だけの謝罪を二階からした。
「もう!あの子ったら、全く誰に似たのかしら?」
洗った食器を水切りラックに並べながら小さく呟いた。
「よし!私も支度しなきゃね!」
濡れた手をタオルで拭いて、美智子も支度をするため自室へと向かった。階段を登っていると上から希が二着のワンピースを持って見せてきた。
「久しぶりのお母さんとのデートだからさ、オシャレしたくてさ」
希は可愛らしい笑みを浮かべている。美智子は老眼が進んできているのか目を細めながら、左右のワンピースを見比べ、小さく頷くと指を指した。
「希なら私から見て左のネモフィラのワンピースの方が可愛いし、涼しそうで今日みたいな暑い日にピッタリよ」
美智子は優しく微笑んでそう言った。
「やっぱり~!私もこのワンピース気にってるんだよね!ありがとう!」
希はニコニコとしながら、自分の部屋へと戻り着替え、軽く化粧をした。部屋を出る頃には美智子も支度が済んでいるようで玄関先に先で靴を履いていた。
玄関を開けると蝉がお祭りの日かのように楽しげに笑い声を上げ、肌に染み渡るような日差しが何とも心地よかった。
白色のハムスターののような車に乗りこんだ。バカンスまでの道中ではここに行きたい、あそこに行きたいなどの他愛もない話をして盛り上がっていた。
話に夢中になっている間に目の前に南国の空と海をイメージした色合いの建物が現れた。形はドーム状になっており、多種多様なお店が点在する期待感を持たさせてくれた。正面には大きくvcanceと書いてある。
希は怪訝な顔をして、ハンドルを握っていた。先日できたばかりの超大型ショッピングセンターだけあって駐車場に続くまでの道に長蛇の行列をなしていた。
「やっぱり混んでるね……」
「そうね……」
「もうちょっと速く家を出た方がよかったかな……」
希は少し後悔していた。混んでいるということを配慮していれば、別日に行くということも考えられたし、今思えばいつでも来れる場所だった。
「いいじゃない!気長に待ちましょう!」
「そうだね!」
少しだけ眉間に皺が寄っていた希が美智子の言葉でほぐされた。渋滞中も昨日やっていたお笑い番組やドラマの話をしていると気付く頃には立体駐車場まで入ることができた。どこも満車のマークばっかりでグルグルと空車を求めて周っている。
「流石に出来たばっかだからどこも空いてないね…」
美智子と希は空車が無いかキョロキョロしていた。美智子は急に指をさして、大きな声を出した。
「あ、希あったわよ!」
「え?どこ?あ、あったあった!ラッキー!」
バックにギアを入れて駐車をする。車を停め。降りた希から音が鳴る。
「ぐぅ~」
立体駐車場に響き渡るほどに大きく美智子は思わず希を凝視してしまった。希はお腹を抑えて、顔を真っ赤に染めていた。
「朝ごはん食べてたわよね?」
「…うん、でも、お腹空いちゃっただもん……」
「でも、まだ一時間も経ってないわよ?……まぁそういう私もお腹すいたんだけどね」
美智子は微笑んで、舌を少しだけ出した。希の真っ赤に染まっていた顔も美智子のお茶目な姿を見て肌色に戻っていた。
「なんだ~お母さんもか!じゃあ、最初はどっかでご飯食べようか」
「そうね!」
店内に入ると、心地よい涼しさが身体全体に包み込んだ。希たちの目と鼻の先に案内板があった。二人は近寄って案内板を注視する。希が指を指した。
「ねぇ!お母さん私、パスタが食べたい」
「あら、奇遇ね!私もそこのお店美味しそうだと思ってたのよ」
希が指さした先には、肉厚なベーコンが絡んであるカルボナーラが写っている写真がある。その下には『ボーノパスタ』と店名が書かれてあった。
ボーノパスタに着くまでに雑貨屋、服屋など魅力的な店があって。好奇心のそそられるままに寄り道などをしていたので、店に着く頃には十四時過ぎになっていた。お昼のピークも終わって、店内もまばらにしか客はいないようだった。
「いらっしゃいませ!何名様でしょうか?」
スタイルがよく笑みが素敵な女性店員が出迎えてくれた。希は指を二本立てた。
店員に席を案内してもらい、席に座る。希がメニューをテーブルに広げた。多種多様な色鮮やかなパスタを見て、ヨダレが落ちそうになる。
店員が来て二人の前にお冷を置いた。
「お冷です。ごゆっくりどう…」
店員が喋り終わる前に二人はゴクゴクと飲み干した。
「「おかわりください」」
店員は静止していた。肩を微小に震わせ笑いを必死に抑えている。そして、声を震わせながら応対してくれたが、頗る恥ずかしかった。いい年した大人二人が店内に入るや否や子供のように水を喉を鳴らして飲み干すのだから。
「…少々…お待ちください」
二人は我に返り顔を赤面させながら、両手で顔を仰いだ。外の熱気で暑いのか、恥ずかしさで熱いのかわからない。
「あ、熱いわね、アハハ」
「そ、そうだね、アハハ」
二人は湯気が出そうなほどに熟れた顔を一生懸命に仰いだ。バックヤードから直ぐに店員がお冷を持って来てくれた。
「お待たせ致しました。今日は特に暑いですよね。これ置いとくので沢山飲んでください!」
店員はにこやかに水滴が滴るピッチャーを置いて席に置いてバックヤードに戻って行ったが、今は店員の親切心が二人の羞恥心を倍増させる追い打ちであることを知らないというところが、また複雑だ。茹でタコのようになってしまった気持ちを落ち着かせるために、水を再びゆっくりと口に含む。
茹で上がった身体も徐々に冷めてきたようで二人はメニューを開き始める。メニューを凝視していたが、どれもこれも美味しそうに見えて視線が右往左往している。
「お母さん決まった?」
「う~ん……あ、私は牡蠣入りカルボナーラにしようかな」
人差し指を顎に当てながら美智子が言う。
「希は決まった?」
「私はん~とね、海鮮パスタにしようかな?」
「あ!私もそれ迷ったのよね」
「じゃあ、シェアして食べよ!私もお母さんの食べてみたいし」
「そうね!それがいいわ!」
二人は安心した。注文を取りに来た店員は先ほどの女性ではなく、野球でもやっていそうな肩幅が広い青年の店員だった。
「この牡蠣入りカルボナーラと海鮮パスタをお願いします」
料理が来るまで二人は他愛もない話をしていたが、その頃、美智子の鞄の中では携帯が振動していた。これが、二人を絶望へと誘う序章の合図であることは、まだ二人は知らない…