おむすび
貴史さんと一緒に病室に戻ると、奈美さんは先に帰ったようだ。舞はベットから上半身を起こし窓を見ていたが、俺たちに気づくとこちらに顔を向けた。
「奈美さんは?」
「お母さんは先に用事があるって言ってから先に帰ってもらったよ」
舞に聞いた質問を隣に居た貴史さんが答えてくれた。
「お父さん、お仕事は行かなくて平気なの?お母さんから聞いたよ。私が眠っている間ずっとお見舞い来ていたって」
「そうだね。そろそろ仕事行かないとな」
仕事のことを心配する舞に貴史さんは優しい微笑みを浮かべていた。舞が目を覚まさなかった時に比べて貴史さんは比べられないほどに明るく優しくなっていた。昨日までは鬼の化身かと思うほどにしゃべりかけるのも少しだけ躊躇するような雰囲気を漂わせていた。
今でも舞が居ないところだと鬼に戻ってしまうだろうけど。隣にいた俺は少しだけ安心した。
「体調は大丈夫か?」
「うん」
「そうか、なら良かった」
体調の心配をする貴史さんだが、真意は体調じゃなくて記憶が戻っていないか心配しているような言い方だった。
「よし!舞も体調大丈夫そうだし仕事行ってくるか!」
気合を入れるように立ち上がる貴史さんに俺と舞は行ってらっしゃいと言いながら見送る。病室には二人きりの空気が流れる。舞は再び外に顔を向けた。窓の反射で俺を見ているかにも見える。
「花火見れなかったね…」
静かにそう言った。その一言で俺は悟った。舞は記憶が戻ってしまったのだと。
「ごめん…」
分かってしまった俺は苦虫を嚙み潰しめる思いでいっぱいで、それ以上は何も言えなかった。言葉がまるで浮かんでこない。沈黙が流れる。
窓の反射で見える舞の瞳はただひたすらに遠くに向かっていた。痛ましいほどに包帯が巻かれた顔の無機質な表情が写っていた。生きているよりも存在しているだけのようだった。家族の前では無理をしていたのだと知ると胸が締め付けられる。
次の日も家族の前では記憶がないふりをして、二人きりの時は無機質に戻る。それは一週間続いた。顔の傷は順調に治って行くが、心の傷は次第に広がっていく。次第に舞の方も限界に達して両親の前でも無機質に変わっていた。植物のように枯れてた。
そんな舞を見る貴史さんも奈美さんも目元には黒い隈を浮かべて酷く疲れた顔を浮かべている。そしてついには限界が来て二人は倒れた。だから、今は俺しか見舞いには来れていない。
奈美さんと貴史さんが来れなくなってから舞は何も喋らなくなった。俺は自分に活を入れて舞に話かけるが、窓をじっと見つめるだけで、返事をしてくれなくなった。それでも、めげずに話しかけるが外を見つめる一方だった。
ふと舞は、いつも何を見ているのだろうかと気になった。窓側に椅子を持っていき、一緒に外をじっと眺めてみた。窓には河川敷で遊ぶ子供たちや散歩をしている人達がいるだけで何の変哲もない風景だった。
舞の視線の先を見た。どこを見ているのかわからない。まるで風景を見ているようにはないようだった。どこか、ここではない違う風景を見ているようだった。
俺はそれから毎日、面会時間ぎりぎりまで一緒に同じようにしていた。
徐々に舞の気持ちが分かってきた気がした。こうしてじっと風景を眺めていると嫌なことだけが脳裏にフラッシュバックしてしまう。でも意識だけは遠くに飛ばせるような感じになって、自分を俯瞰しているような感じになる。舞の夏祭りはまだ終わっていないのだと分かった。ずっと舞の心はあの日にとどまっているのだと知った。
俺は病院から家に帰ってからも、どうしたら舞が元気になってくれるのかを考えていた。でも、ちっともいい案が思いつかない。どんなことをしても以前のように笑ってくれるような気がしなかった。それでも、とにかく元気になってほしいと思っていることを伝えたかった。だから、自分が今できることについて考えた。今すぐにできることを…………何度考えても一つしか思いつかなかった。
翌朝、俺は朝早く起きて、炊飯器に一合の白米を入れ炊飯のボタンを押した。炊けるまでの約一時間で舞に手紙を書いた。言葉では言えないようなことを綴った手紙だ。主に懺悔のような内容になってしまったので、これは舞が手紙を読めるようになったら読んでもらおうと思った。きっと今は舞の気持ちのおもりになるだろうと思ってしまった。書き直そうと思ったが消せなかった。代わりに、これから元気になったらやりたいことを綴った手紙をもう一つ書いた。そうこうするうちに、炊飯器から音がなった。
俺は炊き立ての御飯でおむすびを握った。中身は元気という調味料を入る。願いを込めて強く握った。
「元気になれ、元気になれ」
つぶやきながら強く握った。俺は思いが沢山こもったおむすびを沢山持って病院に向かう。