俺のヒロイン
私みたいなモブ子がヒロインになんてなれるはずない!
代わり映えのない日々が、ずっと続くと思っていた。
良くも悪くも平々凡々な高校二年生の私、巫和葉は、一学期が始まったばかりの教室で恋愛小説を読みながらふと思った。
生憎、仲の良い友達とはクラスが離れてしまったため話す相手もいない。
ぼんやりとただ小説を読み進めていると本日最初の授業開始のチャイムが鳴った。
授業中、気配を感じて何気なく隣を見ると、隣の席の男子生徒が何やら困っているようだった。今のところ気づいているのは私しかいないようだ。
「あの、どうしたの?」勇気を振り絞り、小声で彼に問いかけてみる。
彼は、少し驚いたように目を見開いてから「消しゴム、忘れちゃって…」と眉を下げた。
「はい」と予備の消しゴムを差し出すと、「ありがとな」と手を合わせてから、すまなそうな笑みを浮かべ、それを受け取った。
(今の笑顔、ちょっと可愛かったな。仲良くなってみたいかも。)と少し彼に興味が湧いた。
授業の後、隣の席の彼が私に話しかけてきて、「さっきはありがとな」消しゴムを差し出した。
私はそっと手を遮って「よかったら、今日一日使ってて良いよ。」と言うと、彼は「そうか?じゃあお言葉に甘えて!
あっ、そういえば自己紹介まだだったな。俺は文月 渉、隣同士よろしくな!」その気さくな口調と人懐こそうな笑顔は先ほどの困った笑顔よりも可愛らしく爽やかで、少しキュンとしてしまった。
(もし私が彼を好きになったとしても、きっと今まで通りの見つめる片思いだろうな。それでも少しでも仲良くなれたらラッキーだな)なんて思いながら、私も自己紹介をした。
それから、文月君はこまめにも私に話しかけ続けてくれた。
文月君も本好きなようでおすすめの本などの話をしていくうちに、人見知りの私でも普通に話せるようになり、彼からも友達と呼ばれるくらいには仲良くなれたと思う。
文月君は、目立つ方ではないが、背も高く、運動神経も良いほうで、優しそうな印象の垂れ目が特徴のなかなか整った顔立ちをしたイケメンだという事実に今更ながら気がつき、我ながら恐れ多いと思いつつ、幸せを感じる。
そんなある日、文月君が落とした一冊のノートから私の世界が変わる事となった。
「文月君、ノート落としたよ。」ノートを拾い上げ彼の目の前に差し出すと、少し慌てたように「ああ、ありがとう!あのさ、中、見てないよな?」と尋られた。
見てないと言うと安堵の表情を浮かべた。
聞かないべきかとも思ったが、やはり気になりノートの中身を聞いてみる事にした。「ねぇ、もしよかったら、何が書いてあるのか少し教えてくれないかな?」和葉の無意識で控えめな上目使いと気遣いと興味が入り混じった口調に根負けして、渉ははにかんだ笑みで「いや、人に見せるようなものでもないんだけどさ、俺の書いた小説なんだ…」
そう言うと、見たいと言われるのが必然の流れで、渉は和葉にノートを手渡した。
和葉が渉のノートを開くと、ミステリーからファンタジー、青春ストーリーや文学的な作品まで、ありとあらゆる世界が生まれて流れ込んできた。キャラクターの傾向も様々で、それぞれの設定も作り込まれていて、和葉はあっという間に渉の世界観に魅了され、「すごい」と気がつけばそう声をもらしていた。
「すごいよ!文月君!」キラキラとした瞳で渉を見つめ、興奮が覚めやらぬまま和葉はそのまま渉を褒めちぎった。
「ちょっ、褒めすぎだって!巫ぃー」顔を真っ赤にして渉が言う。でも和葉の表情からして嘘ではない事は渉にもわかっていたので、とても嬉しい反面、余計に照れていた。
こうして二人に新たな日課が生まれた。
「あっ、文月君、今回のストーリーもすごく良かったよ!特にヒロインが自分の魅力に気づくシーンとか感動して涙出ちゃった!」「気に入ってもらえてよかった!巫はよく恋愛小説を読むから、恋愛ものに挑戦してみたんだ。」
(私が好きなものを!?)一瞬ドキリとした胸を和葉は密かに押さえた。
「今回は、このキャラの性格を今まで無い感じにしてみたんだけどどう思う?」「新しい感じだけど、この作品のいいアクセントになってて、良いとおもうよ!」
いつのまにか、どこで何が起き、誰がどういった生き方をするのかを、二人の意見を交換しながら、物語の世界を思い描くのが当たり前になっていった。
「文月君のヒロインて、性格は違くてもどこか芯が似てる気がするんだよね。もちろん、良い意味でだよ!!」
「そうかもね」
和葉の横顔を見つめる渉の目が、優しく細められていた事を和葉は知る由もない。
「俺さ、実は小説家になるのが夢なんだ。」
「だと思ってた!なれるよ!きっと…」
(何を今更、みたいな口調だな。さんざん無理だと言われてきた俺の夢を、真っ直ぐに信じてくれているんだ。)
(ちゃんと自分の夢があっていいな、こんな素敵な小説が書けて、自分の夢を追える意志があって、ちょっと羨ましいくらい。でも、夢を叶える頃には、遠くへ、いっちゃうんだろうな…)
同じタイミングで隣をみると目があって、二人は笑いあった。
夏が来て、私は文月君を夏祭りに誘おうか迷っていた。
(私なんかが誘って、OKをもらえるかもしれないなんて、やはり自惚れだろうか。)
先程、ダメ元で誘ってみようと思った矢先に隣のクラスの女子が文月君の前で頭を下げているのを見てしまった私は、調子に乗っていた自分に自己嫌悪に陥る。
(ふわふわした髪に、お洒落な髪飾りと化粧。あの子は、きっと私より何倍もかわいい。)
すると私の姿を見つけた文月君が、廊下の向こうから小走りにかけよってきた。
「なぁ巫、頼みがあるんだけど、夏祭り俺と一緒に行って俺の弟達の世話手伝ってくれねぇ?」「一緒に行きたい友達とかいるかもしれないけどさ」と続ける文月君に、思わず「さっきの子はいいの?」と聞いてしまった。
「?、あー見られてたのか。あいつとは話した事も無いし、俺の男友達も弟達と一緒じゃ嫌だって断られちゃって。
弟達小さいし、まだ俺一人じゃ大変なんだ。いつもは、兄貴とか家族の誰かがついてきてくれるんだけどさ。」大変だよと言いながら愛おしそうに微笑んだ。
(文月君、兄弟いたんだ。それに家族思いなんだな。)家族の話をする文月君の表情と誘ってもらえた喜びで胸が暖かくなった。
夏祭りには、文月君の9歳と6歳の弟さん達と4歳の妹ちゃんと一緒に行った。
おませな妹ちゃんには、最初から「わたるにーにのかのじょ?」と大声で聞かれたが、とても楽しかった。
帰り際に花火を見上げながら、この時間がずっと続けばいいのにと、花火と同じように儚く美しい今を惜しんだ。
秋が来て、文化祭の準備にクラスは大忙し。
準備の時に文月君と手が触れ合ったり、クラスの出し物のカフェの裏方で一緒に料理を作ったりした。他にも人はいるが、近くにはおらず、二人きりのようだと思っていたところに、こっそりと味見のスプーンを向けられ、まるで夫婦のようではないかと静かに冷静さを失っていた。
運動競技のクラス対抗リレーの選手に選ばれた文月君の走りもすごくかっこよかった。
(みんなが文月君に見惚れていて、そんな彼に仲良くしてもらっている事が誇らしい反面、彼に恋をする人も大勢いるだろう。やっぱり私は…)と切なさが込み上げてきた。
冬が来て、冬休み中一人でいると、進級後のクラス替えの事を考えてしまう。
(文月君と同じクラスになれたらいいな、これからも一緒にいて欲しい)なんて考えが浮かんできて、きゅっと胸が苦しくなる。
あれから、同じクラスでも話せる女友達はできたが、一番気軽に話せて、退屈だった日常が輝いて見える相手はやはり彼だ。初めてできた男友達、文月君。
(会いたいな…)一筋の涙が頬を伝った。
時は流れて、校内が浮き足立つバレンタインデー、私はある作戦を決行する事に決めた。
見たところ文月君も、何人かの女子に囲まれていて、下駄箱や机の上にも数個のチョコがあった。(やはり文月君は隠れ人気らしい)それでもやはり直接渡したくて、放課後彼が一人になるのを待って。チョコを渡した。
「いつも仲良くしてくれてありがとう!受け取ってくれるかな?たくさん作ったから、ご兄弟とも一緒に食べてね!」
恥ずかしさを押し殺し、一息で告げる。
文月君はにこりと笑い「こちらこそありがとう!弟達の分まで‼︎」耳が少し赤いように見えるのは、和葉にとって都合の良い幻覚だろう。
今日1日、和葉がなかなかチョコを渡すような素振りを見せなかったので、自分は貰えないものだと思っていた渉は、内心舞い上がりそうなほど喜んでいた。
和葉が渉に渡したものは、チョコの他に、日頃の感謝の言葉を綴ったメッセージカードと、押し花のしおり。
勿忘草と、ベゴニアの花で彩られている。そこに和葉が密かに込めた花言葉は
―私を忘れないで―真実の友情―真実の愛情―
―幸福な日々―親切―片思い―愛の告白―
だった。彼女は言えない思いを花に託した。
(どうか気付いて欲しい、やっぱりずっと気づかないで欲しい。この思いが届いて欲しい、届かなくても構わない
たとえクラスが変わったり、卒業したりで連絡を取らなくなったとしても、しおりを見るたびに思い出して欲しいなんて、私はずるい。それでも思い出してほしいし、そうなるのだとしたら嬉しい。)背反する二つの本心が交差を繰り返した。
花言葉について触れられないまま、あっという間にホワイトデーがやってきた。
(あのしおりの花の意味を、考え続けて、ホワイトデーになった。俺の自惚れかもしれない、でも本当にそうであったのなら…)
バレンタインデーのあの日、俺は巫からもらった袋を開けた。中には兄弟の分も含めた沢山のチョコレートと、可愛らしいメッセージカードに綺麗な字でいつもありがとうと書いてあった。それとさらに、咲いたばかりの鮮やかさを保たれている二輪の押し花で作られたしおりが入っていた。
(巫は、花言葉を調べるのも好きっていってたよな)と、軽い気持ちで調べた途端、衝撃が走った。
(‼︎ 巫が俺を好き!?いや、待てよ、友情の方しか込められていなかった場合は恥ずかしいな…そもそも、俺は巫を?)
ドキドキとだんだん早くなる鼓動に、俺はいてもたってもいられず一心不乱にペンを走らせていた。
そんな俺に見向きもせず、弟達は巫が用意してくれた自分達の分にはしゃぎながら頬張っている。
すると兄貴が俺の様子を見て、妹に、「お前が夏祭りで遊んでもらった女子、本当に渉の彼女になるかもよ?」とわざと俺に聞こえるように言った。
(くそっ、兄貴め好き勝手言いやがって!)しかし今は、兄貴に言い返す時間すら惜しかった。
「かずはねーね、わたるにーにのかのじょになるの??」
妹の悪気のない元気な声が聞こえる。
(和葉に出会って、仲良くなってから、不思議と恋愛もののストーリーがすらすら書けるようになった。最初は恋愛小説の話をしている影響かと思ったが、ようやく気づいた。俺は彼女に恋愛感情を抱いていたのだ。ヒロインが知らず知らずのうちに彼女に似ていくほどに…)
今までの物語とは違い、全て自分達をもとに、二人の思い出を振り返りながら小説を書き上げていった。
今日はいよいよ、それを彼女に渡たす決意を決めた。
今日は休日だったため、俺は彼女を学校近くの川原へと呼び出した。
約束の時間より早くついた俺は、河原に腰掛けて彼女を待った。時計の針が1つまた1つと動く度、体温が上昇するような気がして、着込んでいても外は肌寒いはずなのに、とても暑く感じた。
約束の時間の少し前、足音のした方を振り返ると、巫がいた。
(私服だと、制服とはまた違った感じでかわいいな)
一度自覚してしまった恋心は、いつもと違う彼女の前で増すばかりである。
「ごめん、待った?」口元まで巻いていたマフラーを下げながら、彼女は言った。
普段から会話をしているはずなのに、これではまるでデートの待ち合わせ中のカップルじゃないか、などと余計な考えが浮かび、やけに緊張してしまう。
「全然待ってないから、大丈夫だって!」緊張を吹き飛ばそうと精一杯笑ってみる。どうやら成功したようだ。
ほっと息をつき、ふわりと微笑んだ巫は、いつもより大人びて見えた。
「これ、新しい小説。巫にプレゼントしたくて書いたんだ。それと、いつもありがとう。」
あの日から試行錯誤を重ねた小説と、白いカーネーションをプレゼントした。
小説のタイトルは、―俺のヒロイン―
白いカーネーションの花言葉は
―純粋な愛―無垢で深い愛―私の愛は生きています―
流石の彼女も、すぐには花言葉がわからなかったようで、まずその花の美しさに見入って、小説の原稿を大事そうに抱えた。
「こちらこそありがとう!こんなに素敵なプレゼントもらって良いのかな?」先ほどの雰囲気とは裏腹に、無邪気に言った巫。
(良いに決まってる。この話は、お前の為に書いたんだから。というか今までもそうだったのかもしれないな。)
この思いをそのまま口に出せるほどの勇気は、今の俺にはない。
「今、読んでくれないか?」これが今の俺に言える出来る限りの勇気。
「もちろん!」と頷く巫に、俺はひとまず落ち着いた。
和葉が小説に見入っている様子に、渉は見入っていた。
和葉が表示を少し動かす度、渉は考えた。
運命の時間が、刻一刻と近づいていった。
和葉が小説を読み終えて口を開いた。
「実はずっとヒロインを自分の小説のヒロインにしてて、自分達のことを書いている小説で告白するなんて、ロマンチックだね!素敵な話だった!…でも、なんで花と小説をプレゼントするところで話が終わってるの?続きが読みたいな!」
ここまで、彼女は鈍感なのか。多少、脚色、省略はあるにせよ、ストーリーからプレゼントの内容も同じなのにも関わらず。
もう、彼女が焦ったくなって「っだから、好きだって言ってんだよ!それは俺達の事を書いたんだ、巫。」と言い放った。
ここからは台本にないセリフと出来事だ。
そのままモデルにした小説の中だけでもくっつけるなんて、巫に申し訳なくてできない。
「えっ、本当に…?」信じられないという様な表情を浮かべたが、それはすぐに泣き笑いへと変わる。
「夢みたい。嬉しい、私も文月君の事、好き!」
渉は、思わず和葉を抱きしめた。
そして今度は、お互いに花言葉に頼る事なく、言霊で告げる。
「俺も嬉しいよ!信じられないくらいに。
これが、この小説の続きだから。これから、もっと続きを書き足していこうな?」
何やらプロポーズのような台詞を言ってしまったが、気にしない。いづれまたするのだから。
「うん!文月君がいいなら、もちろん!!」
顔を赤らめながら、渉に抱きつく和葉。
一冊のノートから結ばれた愛。渉が和葉に当てて書いた小説は、意図せずとも、自分の人生の主人公は、いつだって自分自身、という事なのかもしれない。
渉と和葉は、これからも二人で人生を紡いでいくのだろう。