表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

助手

作者: N(えぬ)

 ある富豪がいた。彼は思いつく限りのやってみたかったことをこれまでにすべてやってしまった。

「もう、新しい刺激に出会えないのか。つまらないな」そう思っていた。

 そんな彼は、あるときふと誰も今まで為し得なかったことを思いついた。それは壮大過ぎて現実的に不可能なこと。「世界平和」と「世界支配」のどちらかだ。同時に出来る可能性が無いとも言えないが、いずれにしても、どちらもこれを出来ると真剣に考える人は無謀な非現実的な人間だろう。


 富豪は、自分も人生を十分に楽しんだので残りの時間と金とをこのどちらかの達成を目指してみようと考えた。壮大な夢の為の壮大な実験。ビジネスと奔放な遊戯に明け暮れ、家族を持たずに生きてきた彼だからこそ出来る、人生を賭けた大いなる暇つぶしである。彼はこのことに財産のすべてをつぎ込むつもりでいた。もし彼に妻や子がいて、彼の考えを知ったら、恐らく誰も賛成しなかっただろう。


 富豪は5人の科学者を集めた。彼らは5人とも少し風変わりだが天才的と評される頭脳を持つ科学者だった。富豪は彼らのため、人里離れた場所に巨大な研究施設を作り「まずは手始めに」と、

「世界を平和にする薬を作ってもらいたい」と話した。富豪がそう言うと、どの科学者も怪訝そうな顔をした。

「平和とは何か?どういう状態なのか?それを定義することだけでも、難しいことだろう」そういうことだった。富豪は自分の軽率な考えを恥じながら言い直した。

「そうか平和というのが曖昧すぎるのか。ならばどうだろう。人から、人路殺すような気持ちを奪う。そういう気持ちを抑える。そういう薬がいい。それを開発してもらいたい。それが出来れば、少なからず平和に貢献するだろう」

 富豪は今度は自信ありげに言った。科学者たちも、

「そういう作用の薬というなら……。まあ、私は薬を作るのは専門だが、ここに集められた人は、皆、名のある方々だが、薬の研究とは無縁の人もいる……」他の科学者は、ウンウンと頷いた。

「これはまた、私の浅はかな考えだったようだ。ならば5人の皆さん、それぞれの専門分野において研究をして欲しい。金に糸目は付けない。存分にやってくれたまえ。目標達成の暁には相応の報酬も払う。もちろんだが研究中の生活も十分に保証しよう」

 自分の専門分野でと言うことで科学者たちは、それならと納得して研究を始めることになった。金銭的に充足し、研究をしていけるのは彼らにとっては願ったりと言うところだった。


 研究はいろいろあった。薬を飲む事で実現しようとする者、光線を浴びせてと言う者、ウィルスの作用によってと言う者、音波によって、匂いによってという者。それぞれちがうアプローチで「平和」を目指した。



 研究は日夜行われた。月日が流れた。科学者たちはそれぞれ、自分こそがと研究を続けていた。けれどなかなか目を見張る効果が現れるようなものは出て来なかった。長く停滞すると、誰でもダレて来る。富豪はビジネスマンであるから、ひとつのことでそんなに悠長に待つ気持ちになれなかった。着実な成果を求めた。あるいは、完全な断念を結論づければ切り捨てることも考えられた。だが科学者が自分の研究を簡単に断念するようなことは無かった。「この手はダメだったが、今度はこうしてみる」そう言いながら研究を続けた。


 ある日のこと。富豪の秘書の一人が富豪にこう意見を述べた。

「5人がそれぞれに自分の研究を続けるのは、『5人のウチの誰かが達成できれば』という期待を込めているわけですが、もうひとつ彼らには熱意が感じられなくなってしまいました。生活が保障され、安住の地が出来てしまったからと言うのでしょうか……。なにかこう、もうひとつ研究に身を入れる何かがあるといいと思うのですが……」

「ううむ。人はやはり何かに飢えていないと力を発揮できないのだな。ビジネスでは、周りは皆、いつでも飢えたライオンやハイエナのような奴らばかりだが。今やっている彼らの研究は、恐らく世界でも彼らくらいしか研究者がいない……ライバルがいないのは、やはり気の張りが続かないのだろうな。

さて、どうするか……ああ、そうだ、やはりなんと言っても人間の基本は欲と色だな……色だ、色にしよう……いいか、こうするのだ」

 富豪は秘書に、科学者たちに奮起させる手立てを与え、それは行われた。


 科学者たち5人にはそれぞれもちろん助手がいた。その中に、

「今日から皆さんの助手として、参りました岩崎祐子と言います。よろしくお願いします」

 一人の女性助手が加わった。齢は、まだ大学を出てから浅く若かった。長い黒髪。大きな瞳。瞳は大きいが白目のキョロリとしている。どこか高貴な感じをさせる顔立ち。それほど背が高いわけでも無いが、スルリとした華奢な体躯が彼女を長身に見せていた。彼女はこの場において、異質の美しさを持っていた。男性科学者の5人は、彼女に興味を持たないわけにはいかなかっただろう。



 岩崎祐子は、5人の科学者誰か一人の専属というわけでは無かった。5人の間を行き来し、それぞれの研究の進展具合や目標の微妙な修正など、そういったことを伝えて、研究者が互いに刺激し合う様に振る舞った。研究に大きな進展があれば、彼女はその科学者と一緒に喜ぶ。そういう時の彼女は、決まって控えめに口元に嬌笑を浮かべて上目遣いに科学者の目を見て右手の平を軽く彼らの左胸に当てながら、「おめでとうございます」と囁くように言うのだった。だが、彼女はこれ以上に彼らに近づくことは無かった。付かず離れず。自分は常にクールに、彼らの気持ちだけが激しく燃え上がるように仕向けた。このことは、彼らの研究に豊かな金銭以上の効果をもたらした。富豪の男に褒められることなどより雲泥の効果だった。それは、富豪にしてみれば、思った通り、してやったりと言うべきものだった。


 そんな中で思わぬ効果も起きた。岩崎祐子は、その美貌で富豪に見いだされた研究助手だったが、それだけで無く明晰な頭を持ち抜け目の無い優れた助手だった。彼女は、5人の科学者の研究をそれぞれ横断的に見て歩く、いわばこの研究について最もよく知っている人物だった。科学者5人がそれぞれ、「自分の研究こそ先端」と思っている中で、それらの良い部分、欠けている部分を補い合う事で完成度を高められる事にいち早く気づき、考えていた。ひとつの目標に対して同じ船に乗った者がそれぞれ自分の思う航路で到達しようとすることが無謀なのだ。かといって、5個に分かれたコインの破片を集めてすべて繋げればひとつの大きなコインに成るわけでも無い。破片は破片であり、元がひとつのものだったわけでは無いから、組み合わせても美しい完成した形にはならない。「破片を集め、捏ねて一体化させる」それが完成への最速の道だった。



 研究が完成した。集めた科学者5人は、それぞれの分野でそれなりの成果を上げるに至ったのだ。「それなり」でよかった。それを捏ね上げる作業は、科学者にも秘密にして行われた。その指揮を執っていたのが岩崎祐子だった。彼女は、科学者たちの心をくすぐり、「先生に似合いますわ」などといって誕生日に腕時計を送ったりした。彼らは、自分の研究が吸い取られていることを気づかなかったし、気づいても彼女には何も言えなかった。虜になっていた。彼らにとって全く無知な、無垢な男と女のやりとりに体よく踊らされていたのだった。それでも彼らにとってはよかっただろう。研究が終わり、岩崎祐子との関係が切れても儚い夢だったと思えば済ますことが出来たはずだ。むしろ彼女に深みに引き込まれていたら、彼らは平和な自分の人生を失っていたかも知れなかったのだから。



 「それなりの研究成果」が世界に「それなりの平和」をもたらして行った。世界の散発的な紛争が徐々に縮小していった。紛争のニュースは聞かれなくなっていった。それだけでも十分効果が実感できた。もちろんまだどこかで小さな諍いはあっただろうが、富豪は満足だった。

「完全では無いが、それもいいだろう。ビジネスと同じだ。最高の投資、最高の成果などというのは滅多にあるものじゃ無いからね」

 秘書からの報告を聞きながら彼は顎をさすっていた。その顔には、また何か次のおもしろいことが無いかという思いが浮かんでいるようだった。

「平和にも、私の全財産をつぎ込むほど金は掛からなかったなぁ」

 椅子に反り返っていた彼の部屋に突然、武装数人が入って来た。秘書は立ち上がると、

「お前はいい。消えろ!」そう追い立てられて部屋を出て行った。

「何者だ。私に何を……」

 富豪は次の瞬間、武装集団に胸を撃ち抜かれて崩れ落ちた。武装集団は目的を達したと見えてすぐさま部屋を出て行った。そこへ入れ代わりに岩崎祐子が入ってきた。彼女は、床に倒れている富豪を見た。この部屋に他に誰もいない。生きて彼女の話を聞いているものはいないのだ。だが彼女は話し始めた。

「わたし、科学者の皆さんとお話ししているウチに、末端の兵士から戦う意欲を奪って平和を実現するより、根本を潰してしまう方が効率的だと気づきましたの。……あなたは世界を平和に……なんて言いながら、一応の達成が見えてきたら今度は「世界支配」をやってみようと思っていたのでしょう?手始めに兵器売買に乗り出そうとしておられた……それは矛盾していますわ。酷いことです。……あなたのような方がいるから世界は平和になら無いとも言えるのです。これからもっと平和は追求されます。……わたしは研究内容にチョットだけアレンジを加えました。科学者の皆さん賛成してくれましたわ。少し乱暴なアレンジでしたけれど、その成果によって、巨悪が消し去られていくでしょう」

 岩崎祐子は、ゆっくりと歩きながら話し続け、そして富豪の傍らにかがみ込むと仰向けに倒れた彼の左胸に右手の平を当てて、

「ウフフ。わたしを科学者たちの意欲を奮い立たせる餌だと思っていたのでしょうけれど、あなたの油断も誘っていたんですわ。わたしにこのプロジェクトのまとめ役を任せてくださって「ありがとう」」

 世界が平和になってゆく。平和に。




タイトル「助手」 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ