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 アメリカが琉球共和国に本格介入せず、機能不全状況に陥っていた琉球共和国内の米軍基地から撤退したのはやはりベトナム戦争の影響が大きいだろう。本格介入を始めた米軍には更なる問題を抱え込む余裕はなかったのである。資金と兵器の援助しか受けられなかった政権側に対し、共産党と大衆党が連合して結成された琉球解放連合はソ連をはじめとする社会主義国の顧問団の派遣などの支援を受け、住民の支持も高かった。兵器の質で勝っていても、士気も低く兵力も劣る以上、1967年まで戦い続けられたのは表面化した共産党と大衆党の対立と休戦期間がいくつか存在したからに過ぎない。


 首里の政府庁舎が陥落した1967年11月30日をもって再び琉球の地に鳴り響いていた銃火の音は途絶えることとなる。その勝者は共和党でも、大衆党でも琉球の国民でもなかった。それは新たな琉球共産党という支配者の誕生に過ぎなかったのである。



 解放連合内の権力争いに敗れた大衆党はこの後一部が日本に逃れ「琉球共和国亡命政府」を設立しつつ琉球にもその勢力を残すこととなるが、政権を握った共産党は1968年、琉球民主主義人民共和国の建国を宣言した。この段階で共和党を支持していた富裕層などは財産を没収、粛清という憂き目に遭い、さらに東側の軍事顧問団の受け入れによる本格的な社会主義体制の樹立が図られた。やはりその過程で多くの内部対立と粛清を産み、その様子は国外、特に日本で報道され多くの日本国民たちの関心を集め、日本国内では琉球への介入も議論された。琉球国民たちも内戦の結末に手に入れた物が単一政党制の社会主義国家では不十分であったようで、何回か民主化運動が発生した。しかしこれを力で押さえつけたことが共産党への決定的な不信感を市民に植え付けることになったのは言うまでもない。郷土を独立させ、平和をもたらすという徳田球一の理想から彼等がかけ離れた時点で、琉球共産党はその存在意義を失っていったのだった。

 共産党政府は社会主義政策を実行すると共に、資源と援助を引き換えに那覇軍港をソ連に開放することを決定。高まる民主化への要求と日本、台湾、アメリカからの介入を恐れ軍港解放に大反対する市民が集まって蜂起し暴動を起こすと、これに琉球人民警察軍は武力で弾圧する。1972年12月20日の事、コザ暴動、更には第二次琉球内戦の始まりであった。



 第二次琉球内戦は内戦と呼ぶにはその期間は少し短すぎる。コザ暴動に始まり最終的には日米台の介入による共産党政権の打倒で終了するこの戦闘に日本が積極的に出兵した訳は、喉元に突き付けられたナイフである琉球の共産党政権の打破に加えて、あわよくば琉球を再度併合する事、更にもう一つ挙げるならば、国内で活動していた社会主義勢力の息の根を完全に止めることに他ならなかった。


 1960年の安保闘争で一旦ピークを迎えた日本の社会主義運動は、ベトナム戦争、琉球内戦、憲法改正、EPTO加盟論議、成田空港建設問題によって再びその勢いを増すこととなる。当時の政府と警察はかつての安保闘争の経験を生かし学生運動などを切り崩し一定の成果を挙げるが、過激派組織は地下に潜り、琉球、ソ連等の社会主義勢力の支援を受けながら先鋭化を続けていた。都内や大阪等の大都市圏で発生した銀行強盗事件、爆弾の爆発といった事件の題目は琉球の社会主義の支援、労働者による革命、日本帝国(侵略)主義の打倒といった物が殆どであるが、対応する彼らをして徹底的な弾圧を図らなければいけなくなる事件が発生する。1971年和歌山国体での爆弾テロである。誰を標的にしたかについては言うまでもないだろう。これは無事未遂で終わるが、警察庁長官の首が飛ぶだけでは済まなかった。それは面子を潰された巨大組織、しかも決して無能ではない組織を全力で報復に走らせる切欠でもあった。この事件は国会内でも議題の対象となり、社会主義運動を擁護し続けていたメディアは一気に攻撃の対象となる。当時の革新政党であった社会党や日本共産党にとっては致命傷もいい所であった。これを追い風とした自民党の圧倒的勝利の状況下で佐藤内閣は置き土産として憲法改正、条約締結、共謀罪法案等を成立させ、更にはあさま山荘事件という過激派最後の大事件を見届け退陣する事となるのである。



 日本がEPTOに加盟して初めに行ったことは、琉球における介入作戦の決定である。琉球共和国亡命政権が現地に残置していた党員からの連絡により軍事的な蜂起が起きる可能性が高まり、それは内戦に発展する可能性も考えられ、早期的な解決を行わなければソ連の介入を受ける、としたのである。

 琉球における反政府勢力への支援も並行して行い、実戦的な演習も(ある意味で泥縄式であったが)進められつつあった。EPTO加盟に先立って日米台といった後の介入作戦参加国はリムパック等の参加を初回である1971年から行い、関係を多少なりとも深めることに成功していた。一応現代では水面下では既に琉球介入が検討・討議されていたという見方も存在することも付け加えておこう。



 そしてコザ暴動が起きると、この参加国は亡命政府からの人道的な観点からの介入要請を大義名分とし、琉球への侵攻を開始する。1972年12月25日の事である。作戦名がクリスマス作戦であったということは言うまでもない。

 世界最大の軍事力を持つ国家とそれなりの実力を持つ国らが共同して行う軍事作戦には、多少の顧問団と共産主義の教条だけでは敵いもしなかったという事は年明けまでに事態が終結したという事からも見て取れるだろう。住民の支持も失っていてはゲリラ戦など夢のまた夢であるからだ。




 この後琉球の帰属に関して関係国間で話し合われる事となるが、日本が琉球の併合を事実上断念しなければならなかった理由の一つとしては、致命的なまでのインフラの荒廃であった。沖縄戦で焦土と化し、復興された街並みも内戦によって再び荒廃した状態となり、この土地をある程度だけでも整備するには莫大な経費が必要となる事、主要産業がほとんど存在しない事等の観点から余りにもリターンが少なすぎたのだ。また、琉球民の日本本土の人々に対する感情も複雑な物があった。確かに日本復帰派も残っていたが、何しろ見捨てられた(沖縄戦、そして沖縄を含めない形での講和条約締結がそうだった)と感じ、それから長い年月が経って助けられても素直には喜べるものではない。日本の掌で転がされ続けていると感じる者もいた。28年間の断絶というものは無視するにはあまりにも大きすぎたのだ。彼等が「真の独立」を望んだとしても不思議ではないだろう。この問題は一旦国連で討議された後、2年の国連暫定統治後、現地住民の投票によって帰属や政治形態を決定する、という形に落ち着いている。その結果、長年東京で暮らしていた琉球王国の王族であった尚裕を国王に迎え、1974年5月15日、立憲君主国家として琉球王国が復活することとなったのである。だがそれは明るい未来への道だけではなく、彼等にとっての長い苦難の船出でもあったのだった。



 琉球王国がまず行ったのが、内戦で荒廃した産業、教育の復活、西側諸国を代表とする外交関係の構築である。まず初めに、安価な労働力を生かし、当時海外進出の進んでいた日本や占領時代から続く英語教育を生かし英語圏国家からの衣類生産、IC等の電子部品の製造を誘致し始めた。さらに近隣で大きな経済規模を持つ日本、台湾との関係を重視する事で観光客や投資を狙った。当時石油資源の発見が報じられていた尖閣諸島に対し日本・台湾を巻き込む形で主導的にその開発を行った事は後の東シナ海におけるガス田共同開発の切欠ともなり日本においても有名である。またEPTOの加盟によってある程度負担を軽減しつつも国防環境の整備は進められていくこととなる。

 内戦の終了から人口は増加し続けたが、経済成長に関してはそもそも市場の規模自体が大きくない故に海外、特に日本への依存が大きく、日本の不況に度々琉球も引きずりこまれる事態となった。

 また内戦の終了後市街地などで開発が行われ、人口増の将来を見越し鉄道が戦前以来数十年ぶりに復活する等ある程度の計画性をもって都市開発が進められているが、積極的なインフラ開発という産業自体が経済を支える構図が生まれ、加えて一部の大企業が経済的に大きな位置を占めある種の財閥と化しているなどの批判もある。しかし琉球の小規模な市場ではそのような大企業でさえも世界的に見れば脆弱なものでしかない。今後グローバル化のさらなる進展によって地場企業にとっては厳しい戦いが強いられ、さらなる淘汰が予想されている。

 ちなみに琉球処分前の琉球王国で苛烈な支配を受けていた古くの王国外縁部、宮古島をはじめとする先島諸島では日本や台湾への帰属意識が強い。これは琉球内戦の主な戦場が本島であり先島諸島はそれに振り回されたうえ本来日本に復帰できるという可能性を奪われた、という反発が影響しているとされる。


 さて、現在琉球王国が直面する極めて大きな問題として挙げられるのが東シナ海に出現する海賊事案である。文化大革命以降実質的な統一勢力が無く分裂状況が続く中国大陸では、生活苦から武装した漁民が海賊となり地域のシーレーンを脅かしている。琉球王国海上警察は日本国海上保安庁、台湾共和国海上警備隊と共にこの対処にあたっているが、もし介入するとしても落としどころが見えない故に対症療法にならざるを得ず、船舶運航コストの増大などのリスク増加を招いている。さらにはその中国に存在する地域勢力による挑発もしばしば散見され、9.11等に代表されるテロへの対応と共に重要な琉球王国軍の課題となっている。

ほんへはここで終了です。以下あとがきとかいろいろです

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