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【すげどう杯企画】烏、烏、烏はなぜ鳴く? くだらない、くだらない、くだらない、葬式。

作者: あっちいけ



 ―――白い煙を吐き出すと、嫌なものが見えなくなってくれる気がする―――














「………」


 空は曇天。匂いは雨。烏色の式服に、黒い染みがぽつりと浮かぶ。


 ひゅるりと冷たい風の子が、曝した足元をすくっていく。それでも私は身を震わせず、天を見上げては煙を吐き出す。


 ふぅと出された白い煙は、黒いお空へ昇って消える。それを見送る私の肩を、とんとんと叩く人がいた。


「ね、阿知賀さん。そろそろ入らない?」

「……そうね」


 応えながら火を消して、シガーポーチに吸殻を捨て入れる。


 そうして私は振り返って、今まで背を向けていたところに入っていく。


 ……ああ、これからたくさん嫌なものを見るんだろう。私はその度、手が伸びそうになるのを我慢しなくてはいけない。


 背中にあたる雨足が強まる。地上を追い払われるように、急ぎ足で扉をくぐる。


 振り返って、ガラス張りの扉越しに空を眺める。今日も雨。いつだって、雨。


 そう、いい奴を送る日は、いつだって雨が降るものさ。











「この度は誠に、ご愁傷様でございました…」

「…いえ、本日はお忙しい中、お越し頂きありがとうございます」


 決まり切った言葉を返しつつ、袱紗から取り出される香典を受け取っていく。

 芳名帳に記名してもらい、場内の案内を済ませたら、はい次の方。気をつけないといけないのはお悔やみの表情を常に浮かべなければいけないことだけの、なんてことはない流れ作業。


 挨拶を繰り返し、たまに来る会場のスタッフからの言葉も往なして、私はただ、群がる(からす)たちを横へ流していく。陰鬱な表情を浮かべるのを忘れないようにしながら。


「―――あ」


 そんな折、見知った顔が現れるものだから、思わず声を弾ませてしまう。


「どうも―――お越し頂きありがとうございます」


 だけど私は思わず外しそうになってしまった表情を、素知らぬ顔ではめ直し、僅かに傾斜をつけて頭を下げる。


「この度は誠にご愁傷様でした…」


 向こうは私の気も知らないで、やっぱりお悔やみの表情を浮かべたままに礼を返してくる。


「でも、本当に、突然のことで驚いてしまいました」

「本当に。―――こんなこともあるんですね。本当に、残念です」

「ええ、本当に…」


 定型から少しはみ出た会話をしつつ、私は芳名帳を差し出す。彼女はすらすらとそれに名前を記していく。


「あの…阿知賀さん。無理はされてないですよね?」

「ええ、もちろん」


 問われた言葉に即座に応え、付け加えて、


「何とか頑張っています」


 弱さも見せておく。そうしておくと向こうは香典を渡してきながら、目尻を下げて私を見てくる。ほらね。


「本当に、無理をなさらないで下さいね?」

「大丈夫ですよ―――ほら、式場はあちらです」


 返礼品を押しつけて、私は強張らせた笑顔を浮かべて廊下の先を指す。


「………」


 そうして知人の背を見送ってから、私はすぅと鼻から息を吐き出す。早速、嫌なものを見てしまった。


 ―――ほら、やっぱり、吸いたくなった。












「阿知賀さん、大丈夫?」

「…何よ、急に」


 群れて入ってくる烏の行進が、ひとしきり落ち着いてきた頃合いに、隣に立つ彼女が声をかけてきた。


「いや―――なんとなく、わたしも飲みたい気分だからさ」

「…なるほどね」


 彼女と私は考えていることが似ている。だから多分、今の私のことをよく分かっている。私も、彼女が何故飲みたがっているのか理解できる。


「終わったら勝手に飲んでなさいよ。私も勝手に吸ってるからさ」

「えー、相変わらずつれないなぁ。ほんと、一度は一緒に飲みたいなぁ」

「そんなの知らない。私、お酒が嫌いなの。あんな不味いもの、飲む人の気が知れないわ」

「それを言うなら煙草の方が不味いよ」

「…話にならないわ」

「お互い様だよ」


 やんや言い合っていると、ガラスの扉が開いてまた烏たちがやってくる。

 私がすぐに表情を作ってみせると、隣で彼女も同じ表情をしていた。


「まあ、気にしないのが一番だよね」

「…そうね」


 そうして小さく呟き合って、再び定型の言葉を口にし始める。


 ―――ああ、胸が段々、むかむかしてきた。











 式が始まると、くすんくすんと鳴き声が聞こえてくる。


 あちこちから上がるすすり声。それは烏の嘲り。誰が為に鳴いている声だろうか。分からない。


 焼香を上げる番が迫ってきて、近づいていった遺族席に、より大きな音を立てて鳴いている人たちがいた。


 遺された妻と娘。故人に遺された、たった2人の家族。私は彼女達を一瞬冷めた目で見てしまった。だから、すぐに俯くことにした。


 ずっと俯いたままで歩みを進め、焼香をあげる直前に顔を上げる。見慣れた顔の、澄ました顔があった。

 急逝であったにも関わらず、ここまで良い写真が残っていたのは僥倖だろう。良かったな、と私は心の中で呟いて、目を閉じ黙禱を捧げる。


 ―――目を閉じると、どうしても気になってくる。背中にいる烏たちの鳴き声。何故鳴いているのか、誰が為に鳴いているのか、考え出すと喉の奥が苛立ってくる。


 やがて式も終盤を迎え、式場の前に故人の妻が立ち、始まる挨拶。目に涙を溜め、たまに声をひくつかせながら語る彼女の出で立ちに、烏たちは熱を上げて鳴き始める。


 …こんな式を開いて何になる? 今この瞬間、お前らが鳴いているのは誰が為だ?


 今後迫る不安から、喪失感から、憐憫から。ここにいる誰もが、故人の為に鳴いていない。


 前に立って鳴いているあいつも烏だ。あの場に立ったら、きちんと役目を果たさねばという気持ちになる。


 泣かなければ。不安を映して表情を歪めなければ。涙を流さなければ変に思われる。


 その上で前を向かなければ。きちんと挨拶をして、最期に立派な姿を見せてあげられて、亡くなったあの人も浮かばれるだろうと観客たちに思わせなければ。


 そうして最後に、また泣かなければ。前を向く強さと、俯く弱さ。それらを魅せなければ烏たちは満足しないのだから。


 ……演者となった私の前で黒い烏たちが、赤い目をぎらつかせながらに鳴いている光景が、瞼の裏によみがえる。


 ああ、くだらない。くだらない。くだらない。


 おぞましい。きたならしい。くだらない。


 ―――ああ嫌だ。嫌なものが、こんなにもはっきりと、見えてしまった。


 今すぐに。今すぐに。煙草が、吸いたいなぁ…











 バスに乗り込む烏たち、それぞれ帰っていく烏たち、それらを見送ってから私は迎えの車の中で煙草を咥える。燻ぶった香りが口元を漂い、嗅ぐと鼻孔を柔らかくくすぐってくる。


 窓の外の雨粒を見つめながら、ちらちら揺れるライターの炎を近づけて、息をすぅっと吸い込む。口の中に煙を溜めて、それを更に吸い込んでみる。喉の奥と胸の底が、充足感に満たされていって、くれる気がする。


 ―――吐き出す。ふぅと、心の奥底から綺麗なものを取り出すみたいに、何も考えずに息を吐き出す。だけど、一緒に醜いものまで曝け出されていって、しまう気もする。


 分からないから、もう一口。そうしてやっと味と匂いと切なさが、思考を灰色に塗りつぶしていってくれて、私はやっと吸えた気になれた。


「1本貰うよ」

「…ん」


 私は見ずに横へとケースを差し出す。くしゃりとビニールが音を立てて、中から一本とライターが抜き取られていく。


 煙をもう1つ吐き出しながらにようやく隣を見て、迎えに来てくれた彼のことを見る。


「あんがと―――ああ、やっぱくせぇな。お前の…」


 彼は煙草を咥えたままに息を吸い、やがて吐き捨てるように煙を吐く。それでも煙草を噛み続けるのは、いつものことだけど意味がわからない。


「…あんた、煙草やめるって言ってなかった?」

「ん? だから持ってきてないだろ、俺?」

「…話になんない」

「そうかい。まっ、たまにはいいでしょ」


 言いつつ、彼は一息に灰を大きく作って、吸った傍から煙を吐き出していく。


「そんで、今週はやめとくか? それとも気分転換になるんなら付き合うけど?」

「……そうね。今週はやめとこうかしら」


 煙草の灰を落としながら、私は答える。


「了解。ま、こんなことあったばっかだからな。あんま無理すんなよ?」

「…ええ」


 彼には、弱い私を見せておく。そうでないと、変な人だと思われてしまうから。


「そんじゃ、今日はお疲れさん。また来週な」

「ええ、また来週」


 そうして家の前まで送ってもらって、私は彼と口づけを交わす。煙草の匂いはもうしない。そこにあるのは甘い情の風味だけ。


 降りしきる雨の中、急ぎ足にアパートへ駆け込み、振り返る。一枚窓を隔てた向こうとこちら、軽く手を振り合って浮かべるのはちょっとはにかんだ感じの笑顔。


 キュルルと安っぽい音が鳴る。私は走り去る彼の車を遠くまで見送ってから、アパートに向き直って歩き出す。そうして鞄から鍵を取り出しつつ、吸う気のなかったもう一本も手に取った。













 家に着いて、息を吐く。


 深く、深く―――床にぺたりと座り込んで、深く息を吐く。


 ようやく、仮面を外せる。烏色の式服を着た私は、外ではずっと烏でなければならなかった。


 脱ぎ捨て、私はシャワーを浴びる。染み付いた焼香の匂いを洗い流す。


 そうして、今日の夜ご飯のことを考え始める。鶏肉があるから照り焼きにしようか、唐揚げにしようか。パプリカがあるからパエリアでもいいな。


 デートをなくした明日は何をしようか。映画でも見に行こうか、それか服でも買いに行こうか。絵を描くでもいいな、どうしよう。


 そういえば雑誌に載っていたカフェ、行ってみたいな。パンケーキ、食べたい。うん、そうしよう。クリームとマンゴーの乗った、甘いパンケーキ。


 そうして私は、鏡の向こうにいる人と目が合う。シャワーに打たれながら、ウキウキとした表情を浮かべる、楽しそうな誰か。


 途端に、やっぱり、吸いたくなる。


 白い煙を吐き出すと、嫌なものが見えなくなってくれる気がするから。






『本作は「すげどう杯企画」参加作品です。

企画の概要については下記URLをご覧ください。

(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1299352/blogkey/2255003/(あっちいけ活動報告))』


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― 新着の感想 ―
[一言] 名作ですね。 そもそも私は葬式不要論者で、火葬場直葬でいいじゃんと思ってました。 だから母を亡くした時も直葬をしようと試みたのですが、できませんでした。 近所の方や母の同級生達が泣くのを見て…
[良い点] あっちいけ様の表現の真骨頂は純文学にある。 静謐の中で、怒りにも似た苛立ちとしてくぐもる、悲しみ、やるせなさ、喪失感。 故人を悼む表現は、別に泣くことだけではないのですけど。 泣きでもし…
[良い点] さすが、見事なお手前でございます。 活動報告やエッセイとはまた一線を画す、あっちいけさんのスイッチの入った文章、堪能させていただきました。 鋭く引き締まって隙が無い……というか、そもそも隙…
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