5年前
5年前、私は、無理をして働いていたことで、体を壊していました。
持病のリンパ浮腫は悪化し、微熱は続き、咳も酷かった。
そんなとき、ネットで知り合った人たちが言いました。
「ちゃんと治療しろよ」「ちゃんと病院行けよ」と。
私にとって、ちゃんと治療するということは、仕事を辞めて、療養することでした。
仕事を続けている限り、病気の治療はできませんでした。
リンパ浮腫の治療のため、私は、ある病院に通院していました。しかし、その病院は、リンパ浮腫に関する知識が乏しく、本来してはいけない治療方法を私に勧めたり、その治療方法のために、皮膚が裂けて、肉が見え、痛みを訴えても、「これはしょうがないことだよ」と言って、取り合ってくれませんでした。
転院するべきだったのでしょう。当時、ネットで知り合った人たちは、病名を検索し、その病気の治療をしているという病院を私に告げ、そこに行くように命じました。
私もその病院のことは知っていました。私も病名で検索したからです。
その病院のことを知ったのは、何年も前でした。でも、その病院には行けませんでした。
私の家からその病院に行くには、実家からバスで片道540円かかりました。
往復で1,080円。通院回数が何回になるかも分からないのに、通おうとは思えませんでした。
私にはお金がなかった。実家に住んでいたとき、何度も電気や水道が止まりそうになりました。つまり、家族にもお金がなかったということです。
そして、大きな病院にはあまり行きたくなかった。
肩書きに頼って安心しているようで、嫌だった。
それから数年後、会社にバスで通うようになった結果、その病院にも通勤定期券を使えば、通えるようになりました。
でも、今度は、病院に行く力がなくなってしまっていました。
ネットの人たちは、土曜日に行けばいいと言いました。
でも、土曜日は、家で休んでいたかった、と言うより、動けなかった。
疲れて疲れてとてもじゃないけれど、病院になんて行けなかった。
ネットの人たちにもそう言いました。けれど、そんな話聞いてくれなかった。
結果的に無理をして、病院に行きました。
そして、パニックになり、ネットの人に電話をしました。
そして、言われました。
「お前そんなんじゃどうしようもないし、俺も離れていたら何もできないから、岡山に来いよ」と。
岡山に引っ越しました。
その時点で、私には休養が必要だった。
でも、彼は、それを認めませんでした。
その時点で障害者手帳(精神)を持っていて、なおかつ、1年以上勤務していた私には、失業保険の受給資格がありました。それも通常より長い300日分の。
私は、失業保険をもらいつつ、体調を整え、仕事を探すつもりでした。
しかし、彼は、それさえも認めなかった。
「早く就職しろよ」と言われる毎日。
微熱は下がらず、咳も止まらず、2ヶ月に1回、38度7分以上の高熱を出す私に、「努力が足りない」「頑張りが足りない」「必死さが足りない」「社会っていうものを分かっていない」と言う三浪して大学に入った大学2年生の彼。
私は、彼の言うとおり、就職しようと、面接を何度も受けました。でも、その時の私はとてもじゃないけれど、働けるような状態じゃなかった。
お金がなかったから、日雇いで働くことにしました。
日雇いなら、いつ熱が出ても、働けると思いました。
熱が出たら、その日やその翌日は、ちょっと無理をして働いて、その次の日は、仕事を入れないでおこう。そうすれば、こんな状態でも働ける。
でも、彼は、それを認めませんでした。
「日雇いなんて底辺じゃねえか。お前は底辺の人間だ!」
お金がないから、しょうがないんだと彼に言うと、
「情けなくないのか! 恥ずかしくないのかよ!」と怒鳴られました。
それでも、私は、彼に責任を負わせたくなくて、また、人に責任を押し付けたくなくて、「お前が来いって言ったからだろう」とは言いませんでした。
それが5年前の話です。本当に辛かった。
今は、彼と別れて、一人で暮らしています。
ちなみに、最初から自分で部屋を借りています。
もっと早く彼と別れて、療養するべきでした。
私は、病気を治したかった。そして、休みたかった。
今、それができていることに、感謝します。