2話 生の証し
2話 生の証し
「生きてるわ。」
顔面蒼白、茫然自失。
言葉も出ずに立ち尽くしていた僕。
そんな抜け殻に対して発された言葉。
「なぜそんな顔をしているの?」
起き上がった彼女の腹からは血がなお滲み続ける。
「生き──て─?」
「生きてる。あなた怪我したことないの?」
軽く口を滑らせる彼女。
無論怪我くらいしたことはある。
しかし、彼女のそれは怪我と呼べる程度のモノではないのは目下明らかだ。
服の上からでも分かるほどの多量出血、それは腹に穴でも空いてるんじゃないかと疑わざるを得ない程。
なんと言葉を返すか口篭る僕に彼女はもう一度
「生きてる。怪我は唾つければ治るって常識よ。」
結局、彼女はその主張を覆すことは無かった。
何を聞いても平気、1日あれば治ると繰り返す。
病院に行くかと尋ねてもひたすら首を横に振る彼女をどうすることもできず、ひとまず一晩看ることにした。
「大丈夫って──いや、あの傷で普通に喋ってるし本当に─?」
治療用具を準備しながらひとりごと。
そんなわけないだろ、と心のどこかで突っ込む声がするし実際そう思う。
しかし、はて彼女を見るとそんな様子にも見えないと。
「……何者なんだろ。」
雲を散らして月が沈む。
気付けば丑三つをとうに過ぎていた。
彼女はとっくに寝静まっているし、大事になりそうな感じもない。
女の子の家に余り長居するのも良くない、そう思い立ち上がる。
「そもそもなんで…」
動転して聞き忘れていたが、彼女は何があってあんな怪我をしていたのだろうか。
転けた、とかケンカした、のレベルじゃないことは見ればわかる。
ナイフで思いっきり刺したってあんなに血が出るものなのだろうか。
あれは、まるで、エレミアさんと──
──馬鹿なことを考えるな。
全く、バカバカしい。
そんなことが、ありえるはずがない。
「なあ、そうだよな?」
期待と恐怖を内包した震えが僕の手をひたすらに揺らす。
玄関のドアノブさえまともにつかめない。
膝が、笑う。
「そんなわけ、ないよな」
やっと掴んだドアノブを回す。
「なあ」
グッと押し込む、ドアは開いて外の空気が──
「───」
入っては来なかった。
なぜか。
ドアの前に、障害物が立っていた。
人影。
少し僕より身長が高い、ひとかげ。
膝が、嗤う。
かくん、と折れる膝が床を打つ。
小さくなった僕が見上げる大きな影。
その顔は、白かった。
あまりに白いから、凝視した。
その眼は、黒かった。
あまりに黒いから、疑った。
その貌は、仮面だった。
ちょうど、オペラ座の怪人のマスクがこんなのだったなぁ、なんて思い出した。
貌を全て白塗りの仮面で覆った、彼は、こちらを、見下ろす。
その手を、こちらに──ああ、悟った。
僕は、ここで、こいつに、ころされるんだ────
──仮面の身体は、吹き飛んだ。
先程までこちらを見ていた彼の身体は既にそこになく。
ゆっくりとその軌跡を追えばマンションの廊下手すりに叩きつけられていた。
何が、
不意に、気配。
気付けば僕の後に彼女が立っていた。
「朽梨─さん─?」
「朽梨でいい。」
彼女はそっと僕の肩に触れ、そして、跳んだ。
玄関から仮面の叩きつけられた外廊下までの距離は凡そ2m。
距離にしては余りに過剰と言わざるを得ないその跳躍力を、前のみにぶつけて
そして、有り余った勢い全てを仮面の顔面に拳で叩き込んだ。
「な──」
理解が、及ばない。
アッパー気味に入れられた拳により持ち上げられ、手すりを越えて落ちていく仮面の姿も。
それを見つめる彼女のことも。
何も意味が分からない。
「安心して、私がいるわ。」
そんな僕に投げられた彼女の言葉。
僕は、立つことすらできなかった。
呆然
立ち上がることも出来ない僕を置いて彼女は跳ぶ、手すりを軽やかに越えて。
「待っ──て」
言葉さえ彼女に追い付けない。
僕は、無力で。
あまつさえ、置いていかないで、なんて。
漏らしそうになった己が憎い。
──轟音。
彼女が飛び降り視界から消えた途端の音。
死んだかのような体を引き摺って、手すりを掴む。
腕だけで体を引き寄せて覗き見る下の光景。
ひび割れたコンクリートの床に無様にめり込んで動かない仮面の身体。
そこにゆっくりと近付く影、彼女。
見るしかない、僕は、無力で。
思考さえ追いつくことを諦めた、僕は無力で。
そして、彼女もまた非力なのかもしれない。
なんて、そう感じて。
なんでって、彼女の頭は既に、空中を舞ってて。
仮面は既に立ち上がっていて。
つまり、逆転なわけで。
いつの間にか隣り合わせになっていた死を、耳に寄り添わせて。
舞った彼女の首は囁いた。
「ようこそ、断頭台へ」
───
「こんばんは、人を殺しました」