愛犬にバカにされました
「ああ、退屈ですね」
来る日も、来る日も。
同じ日々の繰り返し。
「アレ」がいなくなってからはいつもそう。
俺は本のページをめくりながら、思わずそうひとりごちました。既に何度、この本を読んだのかわかりません。
ああ。
退屈で、退屈で、おかしくなりそうだ。
「ラファエロ様。ご報告」
その時でした、俺の使い魔が飛び込んで来たのは。
「何事ですか」
と、俺は本から目をそらさずに尋ねました。
どうせくだらないことだろう、と思いながら。それならば未だ、既に読み飽きたとはいえ本を読んでいる方が有意義だ。
「キールフィン様の気配、察知しました」
「キールフィン……?」
思わず笑みがこぼれました。
だってその名は、俺がずっとずっと待ち望んでいた名前だったのですから。
焦る気持ちを落ち着かせ、弄びながら、俺はゆっくりと本を閉じました。
「お帰りなさい、可愛い弟よ」
マントを翻し、俺は立ち上がりました。
頭の先からつま先まで真っ黒な俺の使い魔が、素早く俺の前に膝をつきます。
当然です、だって俺はーーー。
「ラファエロ・M・ド・ビル様がお迎えに上がりますよ、今すぐに。だから……」
ああ、やっと。
退屈な日々が終わる。
俺の心臓がどくりどくりと高鳴っているのを感じつつ、メガネを押し上げました。
「首を洗って待っててくださいね、キールフィン。今夜はお前の首が落ちる日だ」
俺の可愛い弟よ。
◆◆◆◆◆
私はどちらかというと深いことは気にしない性格だ。
ひとえにそれは私の家庭環境ーーーつまり、人格が形成された環境に一因があった、というのが私の持論。
けれど同じ家庭で育ったはずなのに、弟は細かいところを気にする性格なので(あんまり認めたくはないけれど)生まれ持った性格もきっとあるのだろう。
「じゃあベッドはとりあえず、弟のものを使って」
「……わかった」
真夜中付近の遠吠えから小一時間。
私とヒトバージョンキールは、櫻田家のある一室にいた。
そこは、今は高校の寮に入ったため主人が不在となっている弟の部屋。
細かいところを気にする性格らしく、弟の部屋は綺麗に整理整頓されている(ちなみに私の部屋は自分では整理整頓を心がけているつもりなのにいつも散らかっている)。
その部屋の一角、ベッドを指差して私がいうと、何故か全てを諦めたような表情のキールはため息とともに頷いた。
大丈夫、キール。
確かに少し小さいだろうけど、いざとなれば布団があるから。私がちゃんと敷いてあげるから。
私が力強くそう告げると、キールのため息はますます大きくなった。
「何で俺様がベッドの大きさについて文句つけてると思うんだよ……頭おかしいんじゃねぇか、お前……知ってたけどよ……」
「え、じゃあ何の話?」
「だーーーからな!?」
キールはその長い指を、私の鼻先に突きつける。
「俺は犬だった!それがヒトの姿になった!突然!今晩!ていうか、ついさっき!ほんの一時間半くらい前!合ってんな!?」
「うん、そうね」
間違っていない。
私が頷くと、キールは更に指を鼻先に近付けた。
「まずそこ!そこがおかしいんだよ!」
「?」
何がおかしいの?
さっぱりわからなくて、私はキースの赤い眼を見返す。
「普通の人間は犬がヒトになったらビックリするんだよ!!」
「誤解してるよ、キール」
「何がだよ!」
「こう見えて、私、超ビックリしたよ」
これは事実。
誤解されていては困ると私が述べると、一瞬だけキールの動きが止まった。
「……はぁーーーー!?その謎の微笑から1ミリたりとも変化ねぇけど!?」
「私としては日々、表情豊かに楽しく晴れやかに生きているつもりなんだけど……どうやら表情筋が死んでるみたいで」
「今すぐ表情筋生き返らせろテメェ!!」
何故か激怒したキールは突然私の両頬をつかみ、グイグイと引き延ばす。
キールは優しいから、私の表情筋を鍛えてくれようとしているに違いない。
ちょっと、いやかなり痛かったが、私は甘んじてその痛みに耐えた。
「どうりでお前、全然表情変わんねぇなって俺、常々……!」
私の頬を引っ張りながら、キールはそうブツブツと言っている。
よく聞こえなかったので放っておく、それより何よりいま大事なことは、頰が痛い。
「キール、痛い」
「ウルセェ!人間ごときが俺様を……クソ!」
「キール」
そろそろ限界。
それなのにどうやらキールの耳に私の声は届いてないらしく、私の頬を鍛え続ける。
仕方ないから、そろそろ……。
「大体俺の名前はキールフィンだ!何がキールだよ!キールフィン様か、もしくは大魔王様と呼べ!あと大魔王様なんてもんが突然日常生活にログインしてきたんだぞ!?もっと驚け!そんで怯えろ!恐れて敬え!!」
「キールフィン」
りん、とした声が部屋に響いた。
その声を聞いて、キールの動きが止まる。
「ラファエロ」
キールがかすれた声でいうと、マントを翻しながらメガネのイケメンはにっこりと笑った。
夕焼けのような赤い髪を、ゆったりとひとつに結んでいるのが頬を引っ張られたままの私にも見える。
なんだか野獣的なキールとは真逆の、インテリ然とした人だと思った。
王子様というよりは、悪役の執事のような。
腹黒そうなイケメンメガネだ。
「テメェ、もう嗅ぎつけて来やがったのか」
「ずいぶんなお言葉ですねぇ、実の兄に向かって」
実の兄?
それにしては豪快な舌打ちだ。
キールの兄だというイケメンメガネも、憎々しげにその金色の瞳でキールを見返す。
「俺がわざわざ直接お前のところに出向いてあげたんですよ、可愛いキールフィン」
「頼んでねぇよ、クソ野郎が」
「お前が身を隠して三年。俺はとっても寂しくて寂しくて……どこでどうしているのかと思ってましたが、なるほど」
ここで、キールのお兄さんの金の目が私に移る。
メガネの下のその瞳はなんだか、私を小馬鹿にしているような、非難しているような、もしくはもっとこう……妬んでいるようなものに見えた。
「ヒトの女を襲って魔力を蓄えていたんですね。よっぽど魔力が足りなかったと見える、魔力のためならばどんな女でも構わない、と」
話の流れがよくわからないけれど、バカにされたのは確実にわかる。
しかし確かに……頷ける。
だってヒトバージョンキールの見た目は海外の映画スター、アメコミのヒーローだ。
それに比べたら私なんて鉛筆でちょんちょんちょん、とすれば描けるような顔立ち。
「あぁ!?テメェ、バカにするのもいい加減にしろよ!訂正しやがれ!」
納得している私の前で、キールが怒声をあげる。
ふふふ、とキールのお兄さんが笑った。
「なんですか?もしかしてキールフィン。お前まさか、人間ごときをかばうのですか?随分と人間に肩入れするようになって……いえもしや、その人間がお前のお気に入」
「大魔王様の俺がこんなコケシを相手にするわけねぇだろ!!女から魔力を奪ってねぇよ!訂正しろクソ野郎が!!」
なるほど、そっち。
とんでもなくバカにされたような、いや「ような」ではなくストレートに「コケシ」だとバカにされたが……。
とにかく、深く気にしないことにした。