離さないでと言えない僕たちのいびつな関係
その日、雪の部屋はとても散らかっていた。僕は驚いて思わず「うわっ」と声を上げた。
「だからホテルにしようって言ったのに。」
雪は頬を膨らませた。全然かわいくない。僕は冷めた視線を雪に送った。雪はそれを察すると悲しい顔をした。僕はそんな雪の顔を見るのが好きだった。僕は絶対に雪のことを好きにならない。それでも雪は僕を愛している。それがすごく心地よくて、僕はわざと雪を傷つけていた。
「別に僕は気にしないよ。いつもみたいにしようよ、セックス。」
雪は声を上げて笑った。
「秋くんのそういうところ、嫌いじゃないよ。」
そう言った雪は、ベッドの上に散乱した漫画や服を床に落とした。
「電気消して。」
僕は雪にキスをしてから電気を消した。それからはいつもと同じ。セックスが始まる。雪と僕がセフレになってから一周年の日だった。雪はそれに気づいていたのかどうか、僕にはわからない。少なくとも僕は覚えていた。雪が傷つき始めてから一年が経っていた。僕は雪への態度を変えたことがなかった。雪が僕から離れないということがわかりきっていたからだ。それくらい雪は僕を盲目的に愛していたし、僕はそれをうまく利用して「都合よく」雪を使っていた。当時の僕は愛だとか恋だとか、そんなものは一切信じていなかった。永遠なんてないのだ。それが僕の考えだった。僕は雪に甘えていた。そんな僕を雪は愛していた。だから、無意識にこの関係は続くと思っていたのかもしれない。僕が一番嫌う「永遠」を、僕は信じていた。そのことに気づいていたら、雪は今でも僕の隣にいたのだろうか。今でも僕を愛し続けていたのだろうか。僕は繰り返し問う。答えは返ってこない。雪はもう僕の隣にはいない。雪は僕以外の人間を愛した。そして今月、結婚する。
雪と僕が出会ったのは、大学のサークルだった。文芸サークル。毎日サークルのメンバーは集まっていたけれど、たまに小説を書く以外は、ほとんど雑談をしていた。暇人が集まるサークルだった。男女比は半分くらいで、その中でカップルが何組かいた。捻くれていた僕は、いつどのカップルが別れるか予想するのが好きだった。雪もまた捻くれている変人だった。
「ねえ、佐藤と小崎ちゃん、いつ別れると思う?私、あと一週間も持たない気がするんだよね。」
「僕はあと三日くらいだと思うよ。」
僕たちの会話はいつもこんな感じで、人の悪口とかそういうことしか話していなかった。雪はいつも僕に対しても、自分に対しても、「ゴミクズ」と言った。
「人間、ゴミクズじゃないとやっていけないよね。私はゴミクズの自分が好き。」
雪はよくそう言って笑っていた。僕も「わかる」と言って笑った。そんな僕たちはすぐに仲良くなった。同じにおいがする人間だったのだ。雪とは何回かデートをした。僕は今まで何人か恋人がいたことはあったけれど、雪は初めてだった。だから手を繋いだり、エスコートすると顔を真っ赤にしていた。雪はわかりやすく僕を好きになった。僕は気づかないふりをしていた。案の定告白をされて、僕はそれを断った。
「期待ばっかりさせて、秋くんって本当にゴミクズだね。」
一つだけ予想していなかったのは、雪が一切泣かなかったことだ。僕たちがセフレになってからも、雪は一度も泣いたことがない。僕は雪の泣く顔が見たくて何度もひどいことを言った。それでも雪は笑って「ゴミクズ」と言って僕のことをからかった。
「秋くんって、さみしがり屋だよね。だから私に近づいてきたんでしょ。」
僕がふった直後、雪はそう言った。いきなり核心をつかれた僕は一瞬戸惑った。でもすぐに冷静さを取り戻した。
「よくわかったね。そうだよ。だから雪ちゃんに近づいたんだ。ぎゅーってしてくれる相手がほしいだけだった。自分でもゴミクズって思うよ。」
目を伏せて、僕は悲しそうに言った。雪は全部気づいていた。今になってわかった。雪は最初から「全部」わかっていたのだ。
「バカだなあ。回りくどいことしないで、最初から正直にそう言いなよ。抱きしめるくらい、いくらでもするよ。」
雪は困ったように笑った。そして僕に近づいて背中に腕を回した。僕も雪を抱きしめ返した。どうしてかわからないけれど、雪のきれいな黒髪を、今でも鮮明に思い出すことができる。
それから、僕たちは親密な仲になった。雪は「金とセックスと犯罪以外ならなんでもやってやる」と言っていた。僕は素直に「ありがとう」と言った。雪は満足そうに笑って、僕を抱きしめた。「セックスはしない」それが雪が決めたルールだった。でも三か月後に僕たちはそれを破ることになる。
雪と僕が親密な関係になってから三か月経ったとき、雪と僕はけんかをした。夏の暑い日だった。正確にはけんかじゃない。僕が雪にひどいことをして初めて雪が僕に言い返した。僕はそれが気に入らなくて、雪と連絡するのをやめた。雪は病んだ。しばらくサークルに来なかった。ツイッターで鬱ツイートをしていたらしくて、同じサークルの仲間がスクリーンショットを送ってきた。内容はほとんど僕のことで、僕はそれを見て全身に熱が駆け巡った。今までに感じたことのない快感だった。僕はその快感を味わうために、雪を傷つけ続けた。
雪は突然、サークルに戻ってきた。かなりやせて、顔色が悪かった。僕はそんな雪を見るのも好きだった。
「秋くん、ごめんね。私が感情的になっちゃったから。また仲良くしてくれる?」
雪は何度か僕にそう言った。僕は全部無視した。それでも根気よく「私、秋くんのこと大好きなんだよ」と僕に伝えた。
僕は無視をやめるタイミングがわからなくなっていた。そんな僕を雪は強引に自分のマンションへと連れ込んだ。じめじめした空気がまとわりついて気持ち悪いはずなのに、僕の腕をつかむ雪の汗ばんだ手は、全く不快じゃなかったことをよく覚えている。
「何?」
僕が冷たく言い放つと雪は一瞬怯えた。
「秋くんごめんね。本当にごめん。」
「雪ちゃんは何も悪くないでしょ。僕に関わるのやめれば?」
「ううん。秋くんもつらかったのに、八つ当たりした私が悪いんだよ。ごめんね。秋くんのこと大好きだから、離れたくないよ。」
雪は必死だった。僕は雪を突然抱きしめた。驚いた雪は僕を押し返した。
「嫌なの?」
「い、嫌じゃないよ!でも、突然そういうことされると驚くから・・・。」
「もういいよ。許す。」
僕が雪に向かって笑うと、雪は今までに見たことないくらいの笑顔になった。僕はそれを特にかわいいと思わなかったし、何も思っていなかった。ただ、今ならセックスができると思っただけだった。
僕は雪にキスをした。それから服の中に手を入れた。雪は目を閉じた。思い通りになったことに僕は満足して雪の頭を優しく撫でた。僕たちは真夏に、クーラーも付けずに激しいセックスをした。雪の顔に汗が滴り落ちて、僕はいちいちそれを舐めとった。雪は処女だった。こんなゴミに初めてを奪われるなんてかわいそうだなあと思ってもいないことを頭の中で言った。そのときの僕はきっと飢えていたのだ。愛に、飢えていたのだ。
その日から、僕たちはセフレになった。雪はセックスの間中「秋くん、好き。」と言い続けた。僕は「かわいいね」とか「知ってる」とか適当に答えていた。セックスが終わった後、僕は思いっきり雪に優しくした。そして帰るときに「僕は雪ちゃんのこと、好きにはならないよ。」と言った。初めて言ったときの雪の絶望的な顔を思い出すと、いつもぞくぞくした。雪は傷ついている。それが嬉しかった。雪が深く傷つけば傷つくほど、僕は愛されていることを実感した。
僕はこんな風に、雪を傷つけ続けた。雪のほうも、傷つけられれば傷つけられるほど僕を愛した。そのいびつな関係を雪は必死に守っていた。僕は当時気づかなかった。雪が守っていたのは、そのいびつな関係ではなく、「上原秋」という一人の人間だったということを。