プロローグ2
【山道】
時刻は六時を過ぎ、ぼんやりと薄暗い空からの光が濡れた木々や水たまりに反射している。
ぬかるんだ地面が足裏に縋り付く感覚を不快に感じるも、その足取りはとても軽かった。
水たまりを軽快に避けて、俺は考えに耽りながら山道を登る。それはこれからのことに関しての事だ。
俺、 水瀬柳は殺人を犯した。
相手は高校の同学年の男子生徒。名前はたしか十河愛人、だったか。
それほど仲が良かったわけもないし、拉致してから初めて話をしたぐらいだ。
俺は一ヶ月半この山のキャンプ場に篭り切ったまま十河を拷問してきた。
彼はここに連れてきた時にはすでに四肢のない状態で、旅行用のバックに入れて運んだ。切り取ったは四肢は処分してあるので見つかる心配はない。
しかし行方を眩ましてから一ヶ月半。両方ともすでに捜索願が出ているとして、警察は同時期に行方不明になった俺たちは何らかの関係があると狙いを付ける。それ 以前の事件の被害者関係を調べ上げれば今回の件との関連性は浮き彫りになるだろう。それは時間の問題だ。
もし今回遺棄した死体が見つかれば、俺は完全に容疑者。
なら今から自首するか?
いや、それはできない。
俺にだって世話になった人たちや血は繋がっていないが家族がいる。彼らには迷惑を掛けられない。
ならばこのまま一生、警察の目を欺きながら逃亡生活をしていくか?否、そんなことは不可能だ。
俺はどこにでもいる高校生であって、大怪盗アルセーヌ・ルパンではない。遅かれ早かれ、いつかは捕まる。
国外逃亡でもできれば別だが、生憎、偽造パスポートも密輸船を頼るアテもない。
警察の逮捕は時間の問題。捕まれば容疑は確実だ。
そこでふと、考えた。
解決策が一通りというわけではない。思考方向を少し変えればすぐに思いつく。
たしかに現状では警察から逃げるのは不可能だ。しかし、 容疑を反らすのは可能だ。
ようやく見えてきた公衆電話ボックスに入り、硬貨を三枚投入する。
頭の中にある番号を押して、コール音が掛かるとすぐに相手は受話器を取った。
『もしもし』
受け答えをするのは男の声だった。声からして成人男性特有の声色に思える。
朝早くにも関わらず眠気の抜けたシャキッとした声だ。
「朝早くにすみません。Y・Mと申しますが、M・Rさんでしょうか」
『っ、ちょっとお待ちください』
ニックネームでこれからの話の内容を察したM・Rは、ぼそぼそと小声で返事した。どうやら聞かれたくない人がいるらしい。
ドタドタと音がして、少ししてから『お待たせしました』と声が聞こえた。
『Y・Mですね。では、もしかして……あの件についての話ですか』
「はい、ご察しの通り。実は少々手違いがありまして、予定よりも早めに行いたいのですが」
『と、言いますと?』
「いま、御在宅でしょうか」
受話器越しからM・Rのごくりと唾を呑む音が聞こえた。
それはこれから行われる事への恐ろしさからか。それとも、餌をチラつかされた飢えか。
俺は後者に思えた。
「今から来ていただけるなら、すぐにでも約束の物をお渡ししますよ」
相手が望んでいる言葉で誘い、甘い餌をチラつかせる。
姿が見えずとも、餌に食いついた姿が眼に浮かぶ。
『わ、分かりました。今すぐそちらに向かうので待っていてください』
狙い通りに獲物がかかった事に思わず口角が上がった。
「はい、あの場所でお待ちしています」
通話が終わって電話ボックスを出ると朝日が昇っていた。眩しさを手で遮ると、手が少しだけ温かい。
吐く息の白さが季節の温度差を表しているようだ。
ここからM・Rの自宅までの距離はそう遠くない。車でなら三十分足らずで着く距離だ。
パーキングエリアに車を止めて、待ち合わせ場所まで歩くのを入れても五十分ぐらいか。
俺が待ち合わせ場所に到着したとしても、相手が来るまで四十分。
ただでさえ立冬に入ってから寒い日が続いているのに、この暗い山の中を一人で過ごすわけだ。
まあ、他にすることもないから行く他にないのだが。
手袋をつけた手を摩りながら俺は再び歩く。
目指す場所は、この山の高台だった。
◇ ◆ ◇
しばらく山道を歩き続け、木材で作られた階段を登り終えると山の高台に出る。
開けた場所で、中央に枯れた巨木と看板があるだけで他には何もない。
一見物寂しい雰囲気の場所だが、ここがこの山の有名な観光スポットでもあり、とあるゲームのファンたちにとっては聖地でもあった。
1987年に発売されたファミリーコンピュータ用ゲームソフト『Memoriaメモリア』。
異世界から召喚された勇者が魔王と戦う王道RPGゲームで、独自のストーリ展開と現代の萌えの起源ともいわれるキャラクターデザインがヒットし、現在でも数多くのシリーズ出している日本を代表するゲーム作品だ。
かく言うおれもこのゲームの大ファンで、全作プレイしている。
再生と創生の木『エルドシール』はこのゲームに登場する世界樹の名で、世界に平和と恵みをもたらす存在だ。そしてこの木にもこれと同じ名前が付けられている。
なぜこの木にも同じ名前が付けられたかというと、『Memoria』の生みの親でもある人物、「岸本江」はこの木を世界樹に見立てゲームを作ったらしく、本人曰く、「この木が存在しなければこのゲームは生まれなかった」と言うほどゲームの根幹に関わる存在なのだ。
それ以前はこの山の神木のようなものだったらしいが、ゲームの知名度が上がっていくにつれてゲームの元ネタとしての側面が強くなり、ある種の観光スポットとなっている。
この木は樹齢二百年を超える老木にもかかわらず、自然災害や病害にも負けずに力強くこの地に根を下ろしてきた。
世界中のファンたちは皆この木を慈しみ、何者にも負けず力強く生き抜くその姿に感動した。
まさしく、この木は世界樹と呼ぶにふさわしいものだ。それは今でも変わることはない。
近々、ファンたちの強い願いもあり、来年にはMemoriaシリーズの人気キャラクター『サウザー』の墓標が設置される予定もある。
計画に反対する土地の関係者とのいざこざがあったらしいが、今年の夏に急にその話がまとまったそうだ。
それもそうだ。この木にはそんな時間すら残されてないのだから。
この木はすでに樹齢二百年を超えた老木。
いつ倒れてもおかしくなかったこの木がここまで生きてこれたのは、地域住民やファンたちの支えがあってこそだった。
いつかは枯れるとしても、それはまだ先の事のように思えた。
しかし今年の夏。
ネット上でエルドシールの寿命が尽きかけているという情報が流れ始めた。
最初は半信半疑だったが、テレビ番組の植物学者ははっきり断言した。
『もう長くはない』
計画の話がまとまったのはこれが大きな要因となったのだろう。
木の下には多くのファンたちから供えられた花や、木を支える支柱に絵馬のようなものが括り付けられていた。
どれだけこの木が愛され大切にされているか分かるはずだ。
あいにく俺は供えられるようなものはなかった。
しかし、これが最後になると思うと流石に少し感傷に浸ってしまうな。
できれば墓標、いや、こいつの最後を看取ってやりたかった。
思えばこいつとは小さい頃からの付き合いで、キャンプに来てはその姿を見に来てた。
あの頃はまだ青々とした葉が生い茂っていたが、今はもうその面影もないほど枯れきっている。
それだけ弱っているということなのか、それとも、それだけ時間が経ったと考えるべきか。
「ははっ‥‥おまえ、随分と老けたな」
親が老いていくのを側で見るのは、こういうものだろうかと思うと、乾いた笑いが溢れた。
ごつごつとした肌を撫でると、風で枝がざわざわと鳴く。
「最後くらい孝行してやるか」
見てみると、やはり観光地だけあって人の行ききが多いせいでゴミや落ち葉が溜まっている。目立つほどものではないが、汚れは汚れだ。
ポイ捨てされたゴミをゴミ箱に捨て、落ち葉は用務員用の竹箒で端の方に掃き集めるておく。こうしておけば、あとは誰かがまとめて捨ててくれる。
掃除が終わると木の前に立って、なんとなく二拍手一礼した。元々は神木らしいし、何かご利益でもあるかもしれない程度の願掛けだ。
目を開けると後ろから階段を上る足音が聞こえる。振り返ると足跡の主はスーツを着たどこにでもいるサラリーマン風の男がだった。
黒いバックを両腕で守るように持ち、周囲を警戒するようにキョロキョロとしている。
男は俺に気がつくと物腰の低い態度で近づいてくる。
「あ、えと‥‥‥君は‥‥」
「Y・Mですよ」
「ああ!よかった!人違いだったらどうしようかと思って‥‥‥それにしても、想像していたよりも随分と若いね」
「ええ、高校三年です。M・Rさんは‥‥42、3歳くらいですかね」
「お、おう、当たってるよ。でもその質問は『殺園』のルールに反すると思うけど ‥‥」
「ええ、わかってますよ。立ち入った質問はなしですね」
『殺園』はいわゆる自殺支援サイトだ。
自殺支援などと大層な名前だが、この手のサイトは大抵がタチの悪い冗談や愚痴など書き込む程度のものだ。本当の自殺志願者の集まりならいずれは死んで過疎化したサイトも自然消滅する。
だが中には本当に思い悩んでいる人間もいる。精神的に追い込まれた人間というのは存外に扱いやすいものだ。面倒ごとに引き込むにはちょうどいい。
俺はこのサイトで今回の計画に賛同する人間を探していた。
殺人にある程度の抵抗がなく、特に金に貪欲で、慎重に行動する者ならなお良い。
膨大なコメント量の中から、俺はM・Rに目をつけた。
M・Rの父親はギャンブルで多額の借金を抱え込んでいた。父親の死後、借金の返済義務はM・Rに移ったが、到底彼に払える額ではない。
大学を出て大手の会社に入社したはずが、自分には責任のない借金を背負わされたM・Rはこのサイトの奥に紛れて愚痴を書き込んでいた。
――ああ、これは使いやすそうだ。
俺は彼の理解者を演じた。
彼の望む言葉を言い、真摯に悩みを聞いた。最初は警戒していた彼だったが、今では心を開いている。
父親は絵に描いたようなダメ人間だったが、M・R自身はそれなりに優秀な男だ。冷静に物事を考えられ、目的のためならどんなことをする覚悟があった。
他にも何人か目をつけていたユーザーがいたが、M・R以上の人材はないと確信した。
彼が完全に俺を信じきった頃、俺は彼にある話を持ち掛けた。
『お金をあげるので、自殺手伝ってくれませんか?』