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自殺引止人

作者: 木下秋

「なぁ」



 急に呼び止められて、青年はビクリと振り返った。


 その両眼には涙が張り、両手はフェンスを鷲掴み。脚はガクガク震えていた。



「自殺すんの?」



 声の主は、無精髭にスーツの男だった。日本人にしては濃い顔。短く刈り揃えられた髪は白髪混じりだが、歳は三十の頃合。背は高く、細身。スーツはピッタリとした流行りの形だったが、着込まれていて色褪せ、柔らかくなっている。


 その横には頭一つ分背の低い男が、こちらもまたスーツを着込んで立っていた。こちらは表情に緊張を張り詰めたベイビーフェイスの若い男で、着込んだ衣服には光沢があり、真新しさが見える。


 無精髭は両手をパンツのポケットに突っ込み、ベイビーフェイスは片方の手でビジネス鞄を下げている。もう片方の手にはペン型カメラを持ち、彼は動画を撮り続けていた。



「まぁちっと落ち着けや」



 無精髭が無愛想に言った。青年は黙ったまま動かず、いよいよ泣きそうだった。なんせ、彼が今立っているのは八階建てマンションの屋上だ。


 しばらくの沈黙の後、無精髭はのそのそとジャケットの内ポケットを探ると財布を出し、その中から一枚カードを取り出した。



「俺は自殺引止人。三國ミクニアラタ。これ、ライセンスね」



 某時代劇の紋所のように、三國はそれを見せつける。「一応、Aランカー」。そう付け加えると、口だけでニヤリと笑った。



「一応聞くけど、なんで自殺すんの?」



 三國は雑に聞いた。


 青年はヒクッ、ヒクッと喉を鳴らして泣きながら、つかえながら話した。



「が、学校では、友達がっ……出来なくて……使いっぱしりで……でも、こ、断れなくて……」



 「ほん、それで?」。三國は鼻を掻きながら返し、ベイビーフェイスはヒいた顔で三國の横顔を見た。



「金をせびられて……母さんのサイフから俺……俺、盗んだんだ。母さんは一人で働いて、俺を育ててくれたのに……俺は、俺は、弱くて……」



 青年はむせび泣いた。三國はちゃんと話聞いてんのか、と問い詰めたくなるような無表情。ベイビーフェイスは目をウルウルさせ、貰い泣きしそうだった。



「なるほどね、わかったわかった」



 三國はつまらなそうに言った。



「まぁね、教科書通りに言っとくと、自殺は良くないよ。なんでみんな『人を殺してはいけない』って事は知っているのに、『自分を殺す』かね。ダメだよ。自分だろうが、人を殺しちゃ」



 青年は鼻をすすり、涙を袖で拭った。



「アオキ君、去年の我が国の自殺者数は?」


「約二十万人です」



 『アオキ』と呼ばれたベイビーフェイスは即答した。



「二十万人! すごいね。東京ドーム四つ分くらい」



 三國は微かに笑っていた。



「……俺はね、正直な話、テレビで若者が自殺した、ってニュースを見るとね、『もっと死ね』って思う」



 時が止まった。風が止み、アオキと青年は絶句した。



「いがみ合い、恨み合い、派閥を作りたがり、敵を作りたがる。攻撃せずにはいられない。陰口を叩かずにいられない! 自分が少しでも優位に立ちたい! 優越感に浸りたい! 気持ち良くなりたい! 誰かを蔑まずにはいられない! ……どいつもこいつも。思いやりの『お』の字も知らない。ファックだ。クソみたいな世界だ。平気で他人を貶められるような人間が勝利する。そんな世の中なんだ。現実ってのは」



 アオキは黙っていられず、「ちょっと……!」。話を遮ろうとする。三國はヒラリと手で制した。



「みんな死んじまえばいい。みんな現実に絶望して、生きる事を拒否して死んでいけばいい。この国がニコニコ笑顔で必死にとり繕い、隠したがる汚点は世界に晒されて、生き残った奴らは辱めを受ければいいんだ」



 三國は言い終えると、青年の方へと歩み始めた。両手はポケットに突っ込んだまま、足を引きずるような、いかにも気だるげな歩き方だった。



「お前が死にたいのは苦しい事から逃げたいだけじゃなくって、お前を虐めた奴らと弱い自分を救ってくれなかった世間に対する命を賭けた決死の抵抗のつもりなんだろう。だがな、そんな悪あがきは奴らにとっちゃ大した事無いぞ。みんなお前の事なんかほんの数日で忘れる。奴らの罪悪感なんかそんなもんさ。無駄死に、って訳だ」



 青年は目を伏せた。荒い呼吸が、鼻腔を通った。



「お前が死んだ事を忘れないのは……お前の母ちゃんくらいだろうよ」



 三國の静かな声に、青年は身を震わせた。密かに近づいて来ていたアオキは、固唾を飲んで見守っていた。



「戻ってこいよ。お前の母ちゃんにも学校側にも、掛け合ってやる。それが俺たちの仕事だ」



 三國はそう言うと、くるりと身体の向きを変えて元居た位置まで歩いた。アオキを促し、ゆっくり歩いた。針金で編まれたフェンスがガシャガシャと揺れ、二人の自殺引止人が再び青年の方を向いた時には、彼はこちら側に戻って来ていた。



     *



「流石です。三國さん」



 騒がしい居酒屋の店内。アオキは声を張った。



「人命が賭かった緊張漲る場面での落ち着き払った態度、突き放してからさり気なく手を差し伸べる絶妙な会話術……! 勉強になりました!」



 三國は緩く結ばれた紺色のネクタイをさらに緩め、汗だくのジョッキを持ち上げるとビールを一気に飲み干した。大きくなった水滴がスーツのズボンに落ちて、幾つかの染みをつくる。



「あんなん、ヨユウだ。子どもだった。誰かに止めて欲しかったのさ」



 カラになったジョッキを、三國はテーブルの端に置く。そして、店内に目を走らせた。



「ホント途中まで……何言ってんだこの人、って思いましたけど」



 アオキは三國の言葉を頭の中で反芻していた。ーーアオキは、確認しておきたかった。



「アレって……会話術なのであって……まさか本音とかじゃ、ないですよね」



 背もたれに身体を預けた三國の黒い眼は、どこか遥か遠くを見ていた。アオキは少しの間の沈黙に、その両眼に、刹那に不安を覚えた。



「生中。おかわり」



 店員がやってきて、笑顔で三國のジョッキを受け取り、持って行く。三國がアオキに向き直ると、天井から吊るされたライトの明かりが差し込み、三國の眼を照らした。



「ウン? 何か言ったか?」



 「いいえ……何でもないです」。アオキは笑顔を作って言った。三國はズボンの水滴の跡に気付き、指で拭った。


 彼は最近飲んでも飲んでも酔えず、酔えないから眠れないのが悩みだった。

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