縮まる距離2
彼女の望んだ、雪が降った。昨日の雨が夜には雪に変わり、降り続いた雪は溶けずに積もった。昼を過ぎた今でも雪は未だ降り続いている。昼休憩中に見たテレビで、電車の遅延や転んで怪我をした人の事がニュースになっていた。彼女は近所だと言っていたけど大丈夫なのだろうか。
鈴の音と共に開いたドア。現れた彼女を見て、俺は苦く笑った。
「やっぱり転んでるじゃないですか」
「油断しました。つるんて、滑りました」
鼻も頬も真っ赤で何故なのか傘を持っていない彼女。被っているコートのフードはべしゃべしゃで、痛そうに開いた掌は擦り剥け血が滲んでいる。ジーンズの脛の部分も濡れていて、膝も擦り剥いていそうだ。
「ここ座って下さい。傘はどうしたんですか?」
「傘は置いて来ました」
「なんでですか」
「だって、雪ですよ? 邪魔じゃないですか」
「びしょ濡れじゃないですか。何してるんですか」
「あぁ……びしょ濡れ、お店に迷惑ですよね。浮かれ過ぎて思い至りませんでした。ごめんなさい」
「そんなのどうでも良いですから。濡れたコート脱いで。掌消毒しますよ」
涙目で反省をはじめた彼女を促し、脱がせたコートはハンガーへ掛けた。タオルで水気を拭ってみたけどびしょ濡れ過ぎて、彼女が帰るまでには乾きそうもない。この人バカ可愛い。マジで可愛い。
「足は? 擦り剥いてるんじゃないですか?」
「じんじんします。でも大丈夫です」
カウンター席へ座らせた彼女の掌を消毒して絆創膏を貼った。膝も気になったけど、裾が捲れそうにない。ありがとうとごめんなさいを繰り返し続ける彼女を見下ろして、俺は苦笑するしかない。
「長靴はちゃんと履いてるのに、どうして手袋無しなんですか」
「雪に触りたくて。手袋はびしゃびしゃになるから諦めて置いて来ました」
「手、真っ赤ですよ。……ココアは好きですか?」
「……好きです」
恐縮しまくって落ち込んでいる彼女へ新しいタオルを渡してから、俺は救急箱を片付けた。カウンターに入って手を洗い、熱々のミルクココアを淹れる。
「どうぞ。温まりますよ」
「ありがとうございます」
マグカップを両手で包もうとして熱かったのか、両袖を伸ばし火傷しないよう袖で掌を覆ってからカップを持ち直した彼女は、息を吹き掛け冷ましながら熱いココアを啜った。
「美味しいです」
幸せそうに笑う彼女を見ていたら、俺の顔も自然と緩む。頭は打っていないみたいで、良かった。
「こんな寒い日はドリアなんていかがですか? 温まりますし、具沢山なのでお得感もありますよ」
「良いですね。じゃあ、お願いします」
「畏まりました」
そのままカウンター席に落ち着いた彼女は俺の動きを目で追っている。ココアを啜りながらにこにこしてる彼女がいつもより近くて、なんだか緊張してしまう。そんな心の内を彼女に悟られないよう隠しつつ俺は、朝仕込んでおいたドリアにチーズをかけてオーブンへ入れる。チーズがこんがり焼けたら出来上がりだ。
「熱いので、気を付けて下さい」
「はい。ありがとうございます。美味しそうです」
いつも通り笑顔で両手を合わせてからうまそうにドリアを食べはじめた彼女を見守っていると、じんわり温かな何かが俺の心を満たす。
「雪だるまをですね、作ろうと思うんです」
雪のお陰で上機嫌なのか、彼女はドリアを食べる合間に話し始めた。嬉しそうに、無邪気な子供の笑顔。
「昨日はまだべしゃべしゃで、朝は明るくて恥ずかしかったので夜に決行するんです。まだ雪、残ってますよね?」
「大丈夫じゃないですか? まだ降り続いていますし」
「楽しみです」
よっぽど雪が好きらしい。都心ではあまり降らないけど降れば厄介者扱いされる雪なのに、彼女にとってはまるで、光り輝く宝石みたいだ。