春に芽吹く5
二話連続投稿、一話目
身に纏ったのは陣さんからもらったスーツ。持ってて損はないって言って陣さんが買ってくれたんだけど、今まで一度も着るチャンスがなかった物だ。ケジメつけるなら服装もちゃんとすべきだろうと思って、それを着た。
婆さんの家の車の運転席に、俺は座る。助手席は陣さん。後部座席には婆さん。唯さんは、申し訳ないけど留守番をしてもらってる。何がどうなるかわからない場所に彼女はまだ連れて行けない。
この件に関する協力者は婆さんだ。俺一人だと絶対会ってもらえないから、婆さんが用事があるって事で親父と母さんに会う約束を取り付けてくれたみたい。
ここにいた頃と今の俺の見た目は全然違うから、気付かれなかったりしてって考えて少し不安。
婆さんが一緒で車も婆さんのだから、敷地内には問題なく入れた。駐車場に車を止めて降りると緊張が増した。約五年ぶりの実家だ。婆さんの付き人の振りをしながら廊下を歩いて、懐かしさを感じる暇もなく緊張がどんどん増していく。同時に不快な記憶が頭を巡り始めて、俺の掌には嫌な汗が滲んだ。
「側にいる」
ぼそりと陣さんに言われて、俺は頷いた。
通された部屋で婆さんの後ろに控えるようにして、俺と陣さんは並んで座ってる。俺は小さく深呼吸して、なんとか気持ちを落ち着けた。
部屋に通されて少し経ってから、襖が開いて親父と母さんが入って来た。二人の後ろには東京にいるはずの一葉までいてギョッとしたけど、俺は付き人らしく頭を下げる。
「お母さんのご用は、そこにいるそれの事ですか?」
畳に正座で座った親父が視線で差したのは陣さんだ。やっぱり俺の事には気付いていないらしい。俺は目を伏せたまま、じっと様子を窺う。
「貴、血の繋がった弟をそれ呼ばわりするものじゃないわ。陣はお父様と和解したのよ」
「それはそれは。死んでも和解は叶わぬものと思っておりましたよ」
唇を歪めて蔑むように、親父は陣さんを一瞥した。でもすぐに興味なさそうに婆さんへと視線を戻す。
「ご無沙汰しています、お兄さん」
「…あのゴミをお前が引き取って以来か。しょうもないゴミを回収してくれた事には感謝している」
「春樹はゴミなんかじゃない」
「はっ、似た者同士傷の舐め合いか」
「貴、いい加減になさいっ」
そのゴミはここにいるんだけどな。どうやら母さんも俺に気付いていないようだし、両親の様子に少しだけ悲しくなる。二人の後ろに控えてる一葉は無表情を装ってるけど、膝の上の拳が微かに震えてた。
陣さんも婆さんも、俺の為に怒ってくれてる。このままだと無意味な言い争いになりそうだから俺は、正座したまま身を前に滑らせて注意を引いた。
「ご無沙汰しております。嘗ておかけしたご迷惑、ご苦労についてお詫びする為に参りました。この世に産んで頂き、育てて頂いたご恩を仇で返す行いをしてしまった事、心から悔いています。本当に、申し訳ございませんでした」
畳に額をすり付けて土下座する。
部屋の中が静まり返って、誰も何も言わない。
俺は身を起こしてから、親父と母さんの顔を順番に見た。二人とも困惑が表情に現れてる。
「ゴミの顔、忘れてしまいましたか?春樹です」
「んなっ、何をしに来た!この家の敷居は二度と跨ぐなと」
「詫びを入れに来ました」
「わ、詫びなどいらん!出て行けっ」
「あなたまた一葉の足を引っ張る気じゃないでしょうねっ」
金切り声で叫んだ母さんは、一葉に擦り寄ったけど避けられてる。親父は立ち上がって、わなわな震えながら俺を睨んだ。
「俺がした事は許されない事なのだとわかっています。でも俺は、前に進みます。ちゃんと生きます。許してくれとは言いません。ただ謝りたい」
何十年後だって構わない。俺にも"いつか"は来るだろうか。俺一人の想いだけではそれは叶わない。だから、前に進む為に最初にすべき事をする。
「父さん、母さん。迷惑ばかりかけて、期待に応えられなくて、出来の悪い奴でごめんなさい。本当にごめんっ」
畳に額を擦り付けてる俺の耳に届いたのは、二人分の足音が乱暴に遠ざかる音。
「あの二人こそ兄さんに謝るべきなのに」
忌々しそうに吐き捨てられた一葉の声を聞いて、俺は顔を上げた。
「詳しい事はまた会った時に話そうね。あの二人の事は僕に任せて」
俺の側に屈んだ一葉はにっこり邪悪な笑みを浮かべる。それを見て、俺は苦く笑った。
「報復とか謝罪とかは望んでない。俺は、あの人達が俺にした事以上の行動で仕返しをしちまってる」
「…うん。でも僕にとっては、兄さんが一番なんだ」
一葉は囁くように言って、目を伏せる。鼻から息を吸ってから視線を上げるとまた笑みを浮かべ、今度は婆さんを瞳に映した。
「お祖母様、今度僕もこっそり伺っても良いですか?」
「えぇ、でも…一葉ちゃんの立場が悪くならないかしら」
「大丈夫です。上手くやりますから」
食えない笑みを顔に浮かべた一葉はひらひら手を振って部屋を出て行った。
「あいつは本当、いい性格してるよな」
陣さんの呆れたような感心したような呟きに、俺は苦笑で答える。その様子を見ていた婆さんが、頬に手を当てて不思議そうに呟いた。
「一葉ちゃんと春樹ちゃんは、今でも仲良しなのかしら?」
「はい。お祖母様が願ってくれた通りに」
「そう。それは…とっても良い事だわ」
嬉しそうに笑った婆さんの顔は、陣さんの笑顔とそっくりだった。




