表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第三章
61/63

春に芽吹く4

 介護ベッドに横たわるのは痩せこけた老人。肺を悪くしているらしく、人口呼吸器を付けてる。

 爺さんには、小さい時にもあまり会った事がない。でも数少ない遭遇で、とっても怖い人っていう印象があった。昔は恰幅が良くていつも眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた気がする。


「あなた。春樹ちゃんと陣が、帰って来てくれましたよ」


 婆さんがベッドの脇で声を掛けると、閉じていた目が震えながら開かれた。その瞳がゆっくり動いて、順番に俺と陣さんを映す。


「春樹ちゃんは結婚するんですって。許嫁の女の子も一緒に連れて来てくれたんですよ」


 婆さんが爺さんの肩をとんとん叩きながら話して、爺さんの瞳はじっと、陣さんに向けられてる。だけど爺さんは何も言わずに俺に視線を移して手招きをした。

 躊躇いながらも近付いた俺の手を、爺さんの皺くちゃな手が掴む。何か言おうとしてるけど肺が悪い所為か、声が小さくて聞き取れない。口に耳をぐっと近付けたらやっと聞こえた。


(たかし)とその嫁が、すまない事をしたな。…あの馬鹿息子、俺と、同じ間違いを犯しやがった」


 (たかし)は俺の親父の事だ。でも同じ間違いってどれの事だろう。たくさん、思い付く。


「歳をとってから後悔するとも限らんが、今は聞く耳を持ちゃあしねぇ。あんたと一緒で…俺の二番目の息子は優しい子だったんだ。それを俺は…」

「…お爺様。俺、父とももう一度話をしに来たんです。見捨てられるようなどうしようもない事をした俺ですが、今は陣さんの所で頑張ってます。会ってもらえるかもわからないけど、謝りに来ました」


 俺の手を掴んでた皺くちゃの手。震えながら移動して俺の頭の上に置かれた。くしゃりと髪を撫でられて、俺は目を瞬く。これ、陣さんと同じ撫で方だ。


「陣は俺を、許してくれるだろうか」


 もう一度手招きされて爺さんの口元に寄せた耳が拾ったのは、不安そうな呟き。

 俺は顔を上げて、爺さんに笑って見せた。


「話してみて下さい。陣さんは、俺が一番尊敬してる人です」


 そうかって爺さんの唇が動いて、表情は微かにだけど嬉しそうに見える。

 俺は立ち上がって陣さんを呼んだ。

 陣さんの表情は硬い。でも迷わず立ち上がって、爺さんのいるベッド脇に膝を付いて座った。

 俺たちみんなが見守る先で、最初に動いたのは爺さんだった。皺くちゃの手が陣さんの肩を掴んで、みるみる爺さんの目には涙が溜まっていく。


「陣…すまなかったっ」


 振り絞るような声。俺の耳にも届いた。

 途端に陣さんの顔がくしゃりと歪んで、陣さんは泣きながら笑う。


「会いたかったです、お父さん。…俺、ずっとあなたと話をしたかった」


 陣さんは俺と同じだ。グレて、迷惑かけて、追い出された。

 レストランで修行して、シェフになって立派になってから謝りに来たけど爺さんは、陣さんに決して会おうとしなかった。俺の親父も、誰もだ。

 だけど今。陣さんに望んだ"いつか"がやって来た。

 俺の親父とはまだどうなるかはわからないけど、陣さんは両親とやっと話せるんだ。何十年越しの想いが届けば良いなって願いながら俺は、隣に座る唯さんと手を繋いで黙って見守ってた。



 陣さん達の涙と会話が一段楽してから唯さんを紹介したら、大喜びされた。

 本家の長男だけど勘当された身だし、爺さんも丸くなったのか嫌な反応は特にされなくてほっとした。きっと全盛期の爺さんだったら猛反対したんじゃないかなって、俺は思う。

 その夜の夕飯はご馳走だった。

 爺さんのベッドがある部屋に机を出して、婆さんと陣さんが一緒に台所に立って作った料理をみんなで食べた。婆さんは嬉しそうに陣さんが作った物を食って、陣さんは噛み締めるように婆さんの作った物を食ってた。

 食事の後片付けも風呂も終えて、並べて敷いた布団に俺は倒れ込む。


「お疲れ様でした」

「運転が?」

「他にも、色々」


 俺の横で正座して、唯さんが頭を撫でてくれる。俺はのそりと動いて彼女の膝に頭を乗せた。


「明日が俺にとってのメインイベント。…釣り、早くしてぇなぁ」

「そうですね」

「釣り針にエサを付けるのに四苦八苦する唯さんを、早く見たいです」

「もう、意地悪なんだから」


 見上げた唯さんの唇は微かに尖ってる。でも柔らかい表情で、俺の髪を撫で続けてくれる。


「ここに嵌める物用意する為に頑張るからさ、勇気を分けて」


 唯さんの左手握って薬指を撫でながら言ったら、顔を赤くした唯さんが額にキスをくれた。


「死なないように祈ってて下さい」

「死んだら困りますよ」

「昔殺されかけたからなぁ。でもまず会ってもらえるかが先か」

「…待ってるから、帰って来て下さいね?」


 俺が変な事言った所為で、唯さんの瞳が不安そうに揺れてる。

 手を伸ばして唯さんの頬に触れて、俺は彼女を安心させる為に笑った。


「ちゃんと帰って来るから、良い子で待ってて下さいね」

「…うん。待ってる」


 手を引くと唯さんは俺の隣で横になって、俺たちはお互いを抱き締めるようにして目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ