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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第一章
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縮まる距離1

 外はザーザー冷たい雨。こんな日でも彼女はやって来る。柔らかな鈴の音が来客を告げ、冬の外気と共にドアをくぐって来た彼女の片手には鮮やかな緑の傘。それを入口脇の傘立てに置いてから、彼女は鞄の中を探りだす。肩が少し濡れているからハンカチを探しているのだろうと察した俺は、迷わず彼女へ近付いた。


「いらっしゃいませ。良かったらタオル、使って下さい」

「こんにちは。ありがとうございます」


 朝から降り続けている雨対策だろう濃紺の長靴姿の彼女へ、俺はタオルを差し出した。雨の日のサービスで、こんな日でも足を運んでくれるお客さんにお礼を込めてタオルを用意してあるんだ。


「えっと……いつもの、お願いします」


 席に着いた彼女は俺を見上げて照れ笑い。土曜、陣さんには普通に注文していた。俺への注文は「いつもの」。なんだか特別な暗号みたいだ。


「雨、すごいですね」

「そうですね。とっても寒いです」


 寒そうに両手をこすり合わせた彼女はカップを両手で包んで一口飲むと、寒さで強張っていた頬をほっと緩めた。


「こういう日は、店員さんは困りますか?」

「そうですね。昼時のピークでも客足が伸びなかったですし」

「店員さんは働き者ですね。偉いです」

「そんな事ないですよ」


 穏やかな笑顔で褒められ、じんわり胸が温かくなる。


「雪じゃなくて残念ですね」

「本当残念です。あと一歩だと思うんですけどね」

「気温が、ですか?」

「はい。あと一歩寒かったら、この雨は雪だったと思うんです」

「雪が降ったらお客さん、ここに来られなくなりますね」

「近所なので問題ないです。新雪を踏みしめながら来ますよ」

「転んで怪我しそうですね」

「そんなドジじゃ、ないですよ……多分」


 自信無さそうに視線を彷徨わせている。この人、抜けてる所がありそうだもんな。肩を震わせて笑っている俺を不満そうな表情の彼女が見上げて来たから、怒られる前に話を続けた。


「もし困ったらここに来たら良いですよ。俺は毎日いますから、助けます」


 目を見開いて固まった彼女を置いて、なんとか平静を装いながらもカウンターへ逃げ込んだ。

――何言ってんだ俺! 頭わいてんじゃねぇよ!

 自分が口にした言葉に動揺して狼狽えながらも盗み見てみた彼女は、微笑みを浮かべてミックスサンドへ手を伸ばしていた。あれはいつもの笑顔だ。お得気分でミックスサンドを頬張る、いつもの笑顔。だけど頬がほんのり赤く見えるのは、俺の願望の幻影かな。


「お、来てるな」


 彼女を盗み見ていた俺の背後へ陣さんが忍び寄り、呟いた。驚いた所為で俺の肩が大きく跳ねる。


「どうして忍び寄るんだよ」

「普通だよ。お前がぼーっとしてるからだろ?」


 一理あるから言い返せない。そんな俺に、陣さんはからかいの笑みを向けて来る。


「その顔やめろ」

「生まれつきだって」

「そんな顔で産まれて来たらビビる。怖ぇよ」

「失礼だなぁ。こーんな男前捕まえて」

「男前ねぇ?」


 陣さんは中年太りもしていないし引き締まった身体をしている。顔も悪くないけど……自分で言うのかと思って俺は苦笑した。


「春樹。彼女、お前を見てるぜ」


 突然声を落とした陣さんがそんな事を言い出して、俺は彼女へ視線を向けた。陣さんの言葉通り彼女は俺を見ていて、目が合うとふんわり笑う。あまりの可愛さに思考が沸騰しかけた。だけど追加注文かもしれないと思い至り、俺は彼女のもとへ向かう。


「仲良しですね」

「まぁそうですね。仲良し、です」


 それが言いたかったのかなって首を傾げる俺を見上げた彼女は、穏やかに笑っている。


「あのですね、今日は甘い物が食べたくて……フォンダンショコラみたいなお勧め、ありますか?」


 やっぱり追加注文かと納得をして、俺は考える。今日用意しているケーキを思い浮かべ、ぴったりの物を思い出した。


「寒いので、ジンジャーケーキなんてどうですか? 生姜、苦手じゃなければですけど」

「生姜好きです。ならそれと、珈琲のおかわりも下さい」

「畏まりました」


 すぐに用意しようと思って振り向いたら、笑みを浮かべてこっちを窺っていた陣さんと視線がぶつかった。見るなという思いを込め顔を顰めて見せた俺へ肩を竦めてから、陣さんは新聞を開く。新聞に視線をやりながらも俺の動きを気にしているらしき陣さんに内心で溜息を吐いて、俺はジンジャーケーキを皿に盛る。


「これも、店員さん作ですか?」


 珈琲と一緒に運んだら彼女が大きな瞳で俺を見上げて来た。異様に照れ臭くて、俺は視線を逸らして頷く。


「まぁ、そうです」

「美味しそうです」


 味見はしたし、陣さんの指示の下で作った。陣さんにもお墨付きをもらえたから店に出しているんだけどなんだかとても緊張して、カウンターへは戻らず彼女が食べる姿を見守る。

 彼女の細い指がフォークを持ち上げ、皿の上のケーキを一口サイズに切ってから添えられた生クリームを付け口に運ぶ。ゆっくり咀嚼して味わった彼女は俺の目の前で、口の中で溶け出す綿菓子のような笑みを浮かべた。


「とっても美味しいです。生姜のケーキ、初めて食べました」

「良かった、です」

「店員さんは、若いのに偉くてすごいです」


 俺の事、なんにも知らない彼女は手放しで俺を褒めてくれた。それはこそばゆくて嬉しくて……本当の俺を、彼女には知られたくないなと思った。

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