握り飯の記憶6
一葉が昨日着てた服は洗濯中だったから俺の服を貸した。一葉の方が背も低くて身体も小さい。だから少しだぼだぼで、ちゃんと飯食ってないんだろうなって心配になる。昨夜と今朝はがっつり食べてたけど、普段は本当におにぎりばかりなのかな。
「お前、実家でもそんなに偏食だったのか?」
「うん。園宮さんのご飯、おにぎりだけ食べてたら僕には自動的におにぎりが出て来るようになった」
「家政婦さんはロボじゃねぇぞ?」
「でも会話しないし、配膳ロボみたいな存在だよ」
当たり前って顔してる。でも俺も、あそこにいた時の飯は腹を満たす為だけで、台所に置かれてる物を適当に食べてたな。陣さんや唯さんととる食事みたいな温かい団欒風景って記憶にない。
「昼飯、俺が作ってやる。何食いたい?」
「おにぎり!」
「他にねぇの?」
「ない。塩むすびが良い。海苔は無しね」
俺は一葉の食意識を改善しなくちゃいけない気がする。
義雄さんの店に行くの、俺は置いて行かれた。朝飯の後で歩がテレビゲームがしたいとか言い出して、ついでに取りに行くからそんなに人数いても邪魔だしって事で俺と一葉は留守番。途中だった洗濯物は俺が引き継いで、一葉は俺の後ろをにこにこしながらついて回ってる。
「お前、洗濯も自分でしねぇの?」
「しない。全部クリーニングだよ」
掃除も人を雇ってて週一で来るらしい。勉強に専念出来る環境って言えば聞こえは良いけど、こいつの今後が心配だ。
「干すの手伝え」
「うん!どうやるの?」
「…そういえば俺も、ここ来るまでなんにも出来なかったな」
一葉に洗濯物の干し方を教えながら思い出す。
俺は本当、何も出来ないガキだった。飯の作り方、洗濯の仕方、掃除の仕方、全部陣さんが一から教えてくれたんだ。
「なぁ、これからも会えるか?」
俺と陣さんがこいつと関わってるっていうのは、実家にバレるとまずい。一葉が親戚連中に攻撃される口実になる。でももし一葉が言うようにバレないんだったら、これからも会いたい。
「会ってくれるの?」
「お前が嫌じゃなくて時間があるなら…俺は会いたい」
「僕もっ、僕も兄さんともっと一緒にいたい!」
また泣き出した。
「泣き虫だなぁ…そんなにあそこ、辛いか?」
俺は辛かった。こいつはどうなんだろうって聞いたら、一葉は泣きながら首を横に振る。
「ある意味楽しいよ。辛いのは兄さんがいない事」
「なんでそんな…俺?」
こいつが慕ってくれる要素が俺には思い当たらない。最悪な兄貴だったと思う。眉間に皺を寄せて考えてる俺を、一葉は涙の残る顔で見上げて笑顔になった。
「あそこで温かかったの、兄さんだけだった」
別々の部屋で、別々の家庭教師。
俺はこっそり抜け出して、台所で塩むすびを作って一葉の所に忍び込んで一緒に食ってたらしい。大分小さい時の事らしくて俺は覚えてない。
「後はね、あの腐った連中との集まりの時にも兄さんは僕と手を繋いでてくれたんだ。嫌味なはとこ達をやっつけてくれたし、怖い夢見て一人で泣いてたら一緒に寝てくれたよ」
「よく覚えてるな?小さい時の事なんて俺、勉強してた記憶ぐらいしかねぇや」
へったくそな塩むすびの形は覚えてる。けど、それを誰と食べたのかは覚えてない。もしかしたら俺は、母さんに作ってもらいたいとか思ってた所為で、あれは母さんが作った物だって思い違いしたのかな。それを言ったら一葉が苦虫を噛み潰したような顔になった。
「あの女は子供が嫌いだし、綺麗な手が汚れるのも嫌がる。僕らはあの女の、あの家の道具だ」
思わず、一葉を片腕で抱き寄せた。
「大丈夫だよ兄さん。僕ってあの家にぴったりな性格だから上手くやってる。兄さんは優しいからあそこは無理だ。僕に任せてよ」
逃げて、独りにしてごめん。そんな事言う資格…俺にはない。
たくさんの握り飯を作った。
一葉のリクエストの海苔無し塩むすびだけじゃなくて、常連の婆さんからもらった梅干し入りとか、おかかとジャコ混ぜ込んだりとか、味付けた牛肉入りだとかいろんな味。
豚汁とかぼちゃの煮物も作った。
「おいおい、一体何人分だよ」
帰って来た陣さんのツッコミには苦笑するしかない。あまりにも一葉が楽しそうに作るから、俺も調子に乗った。
「余ったら一葉が持って帰る」
「いいの?やったぁ!コンビニの塩むすびってまずくはないけど何か違うんだよね」
一葉はにこにこしてるけど、俺は泣きそうだ。陣さんは優しく笑って一葉の頭を撫でてる。一葉は頭撫でられて、不満そうな振りして嬉しそう。
「春樹さん?」
泣きそうな俺は唯さんに気付かれた。右手で俺の頬を撫でて、彼女はほわりと笑う。それ見たら余計に泣きそうで、縋り付くみたいにして顔を隠す。
逃げ出した俺ばかりが救われてて、こんなの不公平だ。
「何か、ありましたか?」
包み込むように優しい声。
不公平だって思うけど俺は、唯さんも陣さんも手放せない。なら俺は、勇気を出して会いに来てくれた一葉に何が出来るんだろう。
「弟が可愛くて、おにぎり作り過ぎた」
「そのようですね。すごくたくさん。おにぎりパーティーですね?」
くすくす彼女は笑う。
涙は引っ込んで、身体から力が抜けて、俺はほっと息を吐く。
「豆の袋重かったでしょう?呼んでくれたら行ったのに」
「何をおっしゃいますか。歩ちゃんと二人がかりで頑張りました」
「…腹、減った?」
「はい!ぺこぺこです」
にこにこふわふわ温かくて優しくて…本当、ほっとする。
「猿子さん、それ何?」
「ゲーム。飯の後でやろう!ぼっこぼこに負かせてやるから」
「やった事ない。どうやるの?」
「はぁ?何それ?絶滅危惧種?」
「ごめんね。猿子さんの猿語って僕、理解出来ないみたい」
「お前ら兄弟似てないようでそっくり。ムカつくっ」
歩が真っ赤な顔で一葉に掴み掛かってる。それを楽しそうに笑ってあしらってる一葉はちょっと、性格悪そうな顔してる。俺も人の事言えないけどな。
「ゲームは飯の後。手伝え子猿ども」
「猿子さん、兄さんが呼んでるよ?」
「"ども"って言われたんだからお前もだよ、猿男!」
「僕には猿の要素は無いと思う。僕は血統書付きの猫かなぁ」
「犬じゃないの?春樹の犬」
「なら僕達犬猿の仲だね?」
「上手い事言ったと思うなよ?つまんねぇよ」
「猿子さんって意地悪」
「あんたの方が意地悪で性格悪いだろ」
喧嘩してるように見えて仲が良いみたいだ。二人が小走りで寄って来て、競うように皿を運んで行く。
「賑やかだなぁ。いきなり俺、孫が出来たみたいになってる」
「疲れねぇか?休みなのに悪いな」
陣さんと俺、二人の時の日曜はのんびり釣りに行ったりとか、本読んでたりとかで静かな休日だった。昨日からうちが騒がしくて休めないかなって心配したら、髪をぐしゃぐしゃにされる。
「愛してるぜ、俺の可愛い息子殿」
「ばっ、ばっかじゃねぇの?恥ずい事言ってんな!」
「すぐ照れるんだからなぁ、春樹は。な、唯ちゃん?」
「真っ赤で照れた春樹さんは可愛いです」
二人の優しい瞳に見守られて、なんだこの幸せな休日はって、感じになった。




