俺と常連の彼女5
定休日の日曜は、陣さんと豆の買い付けに行く。大量買いすると質が落ちるから最低限の量だけ買って、足りなくなったら買い足すようにしてるんだ。
車は国産のミニバン。陣さんは車種にこだわりがなくて、程良く大きくて便利だろって事らしい。俺は十八になってすぐ、陣さんの金で車の免許を取らせてもらった。喫茶店のバイト代もきちんとくれてて、マジで陣さんには頭が上がらない。働いて返すからバイト代もいらないって言ったけど、陣さんは笑って拒否をした。だから俺の恩返しは店の手伝いと家事。世話になってばかりでそれしか出来ない俺だけど、陣さんは何もいらないって言って笑うんだ。最初からこの人の息子に産まれていたら……なんて、くだらない事を考えたりもした。でもそうなっていたら多分、今のような関係にはなれていなかったのかもしれない。
「窓際の彼女」
車に乗り込んでエンジンを掛けた所で、助手席でシートベルトを締めた陣さんが呟いた。昨日はノータッチだったくせに今来たのかと、俺は身構える。
「いつも同じ注文なのなぁ」
「あぁ」
「ミックスサンド」
「あぁ」
「ブレンド」
「あぁ」
「ミックスサンド、好きなんだなぁ?」
「らしい。だからなんだ」
車を走らせながら横目で確認してみた陣さんの顔は途轍もなく楽しそうで、からかう気満々な雰囲気が漂いだした笑みを浮かべていた。
「何歳?」
「……二十六」
「おーおー。歳聞き出したのか! 仕事は?」
「知らねぇ」
「まだそこまでかぁ。年上ねぇ」
「なんだよ」
「名前は?」
「知らねぇ」
「奥手か? まさか春樹が奥手とはなぁ!」
「うるせぇ黙れッ! その顔やめろ!」
「どの顔だ?」
「その生あったけぇニヤニヤ笑いだ!」
「これは、生まれつきだ」
「嘘吐くな!」
「手元狂われて心中したくねぇし、今はこれでやめとくかぁ。今は」
「強調すんなっ!」
「ほれほれ、前見ろー」
深呼吸して、動揺は押し殺した。くそっ、なんだこの気恥ずかしさは。ただ常連の女の人と会話しただけ。それだけだ。
約三十分車を走らせて着いたのは珈琲豆の専門店。陣さんの古い友達だっていう人の店。二台分しかない駐車場に車を止めて、陣さんの後について店へ入る。
「義雄さん、こんにちは」
「よぉ春樹。今用意するから待ってろ」
義雄さんはなんだかんだと俺の事を可愛がってくれている。俺の事情も知ってるみたいだけど変な態度を取られた事は一度もない。そこはやっぱり、流石陣さんの友達だなと思う。
「ヨシよぉ春樹がさー、常連の女の子にアプローチしてんだぜぇ」
豆の用意をしている義雄さんの背中に、陣さんがバカな事を吹聴しはじめた。
「なんだ、春かぁ? 春樹も年頃だもんな。んで? 可愛いのか?」
振り返った義雄さんは楽しげに歪んだ笑顔を俺に向けた。こいつらに餌を与えると延々といじられる。だから俺は黙ったまま反応しないよう努める。
「結構可愛いんだよな? 清楚で可憐系。なぁ春樹?」
「なんだぁ、春樹は清楚で可憐が好みかぁ。俺も見に行こうかな」
「来るな。別に好みとかでもねぇし」
「おーおーツンツンしちゃってぇ。春樹かーわいー」
「おい春樹。顔赤くしてたら説得力皆無だぞ」
思わず反論した俺に、すかさず陣さんと義雄さんのツッコミが入った。やっぱりこの二人に敵う気なんかしなくて、俺は諦めの溜息を吐き出してから観念する。
「アプローチとかじゃなくて話しただけだ。あの人、店が暇な時間に来るからただの暇潰し」
からかいの笑みを優しい笑いに変えた陣さんがヘッドロックをキメてくる。おっさんのくせに力が強いから、結構痛い。
「陣さん! いてぇって!」
「お前はほんと、可愛いなぁ」
「……んだよそれ」
しみじみ呟くなよ、恥ずかしいだろうが。
「オヤジと若い男の戯れは好みじゃねぇな」
優しい表情で笑って、義雄さんもバカな事を言ってる。この人達は良い人だ。大人だけどガキっぽくて、こんな俺にも良くしてくれる。陣さんと陣さんの周りは、ダメな俺にも温かい。
*
義雄さんの店で買った豆を持って店へ戻った。休みの日でも、陣さんはデートとかには出掛けない。独身だけど、今はそういう相手もいないみたいだ。結婚を考えた人もいたらしいけどお互いの夢を取って別れたんだっていう話を前に聞いた。今の陣さんの恋人は喫茶坂の上で息子は俺なんだって、そんなバカみたいな事を言って、笑うんだ。
「お前さ、調理師免許取らねぇか?」
喫茶坂の上の裏手にある駐車場に車を停めて、トランクから豆の袋を出して担いだ俺に向かって陣さんがそんな言葉を掛けて来た。陣さんの役に立つ事ならなんでもやろうと思う。けど、今更学校は嫌だな。店に出られなくなるのは困る。
「それって、学校通うの?」
「いや。実地を二年してたら受けられる。実技は俺が教えてやるよ」
「……受けようかな。いくら?」
「金は気にするな。必要経費だ」
「んだよそれ。俺、バイト代貯めてるぜ?」
「それはお前の金だ」
「……陣さんってさ、お人好しだよな」
豆の袋を担いで俺の前を歩いている陣さんの背中に呟いた。親戚だけど、俺は陣さんの甥だけど、そこまで陣さんが俺にする義理はないと思うんだ。
「春樹だからだよ。昔の自分を見てるみたいだからな」
俺の両親や親戚達は、世間体とかちゃんとしてる事が大事。俺はちゃんとする事がどういうものかよくわからない。でも陣さんは、俺からするとちゃんとしてるって思う。誰も彼もが俺を冷たい瞳でゴミみたいに見てくる中で、陣さんだけが俺を引き上げようとした。
「出世払い、する」
「おぅ。期待してる」
俺に期待なんてするのはあんただけだよって、無性に泣きたくなった。