握り飯の記憶4
閉店作業を手伝う間一葉は店内で待たせて、終わったら三人で二階に上がった。
階段の途中で漂って来た良い匂いに腹が鳴る。唯さん、何作ってるのかな。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
「おっかえりぃ!腹減ったぁ!…誰?」
台所から出て来た歩が一葉を見て首を傾げた。唯さんは俺の弟だと察したのか、ただ微笑んでる。陣さんはマイペースに風呂に向かって、一葉は何故だか威嚇してる。
「猫じゃねぇんだから。実家でいつもニコニコしてたじゃねぇか、どうした?」
「それこそ猫を被ってたんだよ。新たな敵は威嚇する」
「敵ってなんだよ」
「良いの。兄さんは気にしないで」
俺の弟だって二人に紹介したら唯さんは大人な対応。歩は目を丸くして、泣き腫らした一葉の顔についてつっこんだ。
「俺が泣かせた」
「何?兄弟喧嘩?わっるい兄貴ー」
「うるせぇ、猿」
「そういえば最近子猿じゃなくない?子猿の方がまだマシなんだけど」
「あー…うるせぇうるせぇ。一葉、このちまいのは歩」
「こんばんは、お猿さん」
「えぇ?!春樹の弟笑顔で酷い!あんた絶対性格悪いでしょ」
歩が一葉に絡み出したから俺は唯さんに近付いた。唯さんは微笑んで、首を傾ける。
「和解、ですか?」
「はい。色々行き違いがあったみたいで…今日泊まらせて、もっと話そうかなと思ってます」
「そうですか。お夕飯、たくさん作りました。お酒はどうしますか?」
聞かれて俺は、はたと気付く。
「一葉お前、何歳だっけ?」
計算するのが面倒で振り向いて聞いたらショックを受けた顔された。まずい質問だったかな。
「十九。今年、二十歳」
「誕生日は覚えてる。不貞腐れんなよ」
「…何月?」
「五月」
「何日?」
「二十三」
ぱあって機嫌が直った。
こんなやつだったっけって考えてみるけどすぐには思い出せなくて、まぁいいかって思う。
「ではお酒はダメですね。すぐお夕飯、用意します」
「手伝いますよ」
「ダメです。春樹さんはビールで良いですか?」
「はい。でも陣さんが来てからにします」
「わかりました」
にっこり笑った唯さんが台所に向かうと、歩も追い掛けて行った。
弟を一人にするなっていう唯さんの気遣いを受け取って、俺は一葉をソファに促す。けど結局ソファには座らずに、少し距離を開けて床に座った。
「兄さん」
「どうした?」
「結婚、してるの?」
結婚してるか聞くのに、どうしてこいつはこんな茫然自失な表情をしてるんだろうか。
「唯さんは俺の恋人。ここで一緒に住んでるけど結婚はまだ」
「結婚するの?」
「いや、まだ」
「ふーん」
弟が怖い。
「あの子猿よりはマシかな…」
ぼそりと、どうやら値踏みしてる。
「歩はお前の一個上。あんまり失礼な態度取るなよ」
「あの子はもしかして、僕達の従姉妹?」
「違う。陣さんは結婚してない。陣さんの友達の子供」
「ふーん。兄さんは坂上の家を出てから楽しく過ごしてたんだ」
体育座りで前後に揺れてる一葉にじと目で睨まれた。恨みがましい視線だ。
「お前は?辛かった?」
「別に。兄さんと違って僕、あの人達に媚び売るの上手いから。問題無くやってた」
言いながら一葉は目を伏せる。上手くやってたけど、何かありそうだ。
「…でも、寂しかった」
「全部、お前に押し付けちまったな」
「それは良いんだ。僕は上手く出来るし。でも兄さんと絶縁状態なのが辛かった」
「…親父達は?」
一葉は顔を膝に伏せた。それでなんとなくわかった。やっぱり俺は、あの家の汚物。いらないんだ。
「家事出来ないのに、なんでこっちの大学に来て一人暮らしなんてしてるんだ?」
今度は膝から顔が上げられて、チラチラ俺を見てる。こいつ、観察してると面白い。
「こっちに来たら、バレずに兄さんに会えるかなって…」
ほんのり頬を染めて可愛い事を言った。俺は思わず噴き出して、拳で口元隠してくくくっと笑う。
「笑わないでよ。僕にとって兄さんの存在は大きいんだよ」
「へぇ、そうなんだ?知らなかった」
「…だって、僕が兄さんに近付くと兄さんがすごく怒られて殴られてたから。近付けなくなった」
そんな事あったっけなって記憶を探る。
一葉の事で一番印象が強烈なのは、腐った俺を見てた鋭い瞳。あんまり会話もしなかった気がするけど…小さい時は、どうだったかな。
「兄さんはノイローゼみたいになってたし、覚えてないか。色々思い出、あるよ」
「…どんな?」
「色々だよ!」
へへって照れたように、嬉しそうに一葉が笑った。こいつの笑顔なんて初めてみた。…いや、覚えてないだけかな。何か記憶に引っかかる気がするけど…出そうで出ない。どれだけ俺は自分の事で手一杯だったんだろう。
「一葉くん、嫌いな物はありますか?」
唯さんに話し掛けられると一葉から笑顔が消えた。実はこいつ、激しい人見知りなのかな。
「肉、魚、人参、ピーマン、玉ねぎ、キュウリーー」
「待て。お前、何食って生きてんの?」
「おにぎり」
なんでキョトンとしてるんだよ。こっちがキョトンだ。
「おにぎり、覚えてない?」
俺の表情から覚えてない事を読み取った一葉は、寂しそうに笑う。
「兄さんがね、よく僕に作ってくれたの。塩のやつ」
「それ、母さんじゃねぇか?」
「あの人はそんな事しない」
吐き捨てられた言葉に首を傾げる。記憶の相違があるみたいだ。俺も塩むすびの記憶があるけど、あれは確か母さんが作ってくれた気がするんだけど…自信がなくなって来た。
一葉に会って話してみて気付いたけど俺、子供の時の事を思い出せない?部屋に篭っていつも勉強してた記憶はある。楽しい記憶は存在しなかったからだって思ってたけど、一葉の子供の頃ってどんなだったっけ?
…あれ?
「春樹さん?頭、痛いですか?」
額おさえて俯いてたからか、心配した唯さんに顔を覗き込まれてた。俺は大丈夫って示す為に微笑む。
「頭、撫でて下さい」
不思議そうにしながらも唯さんは頭を撫でてくれた。このまま抱き付きたいなと思って、実行する。膝立ちの唯さんの腰に腕回して、胸元に耳を寄せると心臓の音が聞こえた。この音、好きだ。
「春樹さん?運転で疲れてしまいましたか?」
「そうですね。腹が減りました」
「マスターもお風呂上がりましたし、もう並べるだけです。具合悪いならお酒はよしましょうか?」
「飲みます」
「では、放して下さい」
「…はい」
唯さんから離れたらブラコンの弟に睨まれてた。
陣さんが一人でビール飲みながらソファに座るから、俺も飲みたくてビールを取りに向かう。
夕飯は、歩と一葉が言い合いして騒がしくて、唯さんと陣さんはずっとにこにこ笑ってた。一葉があれは食えないこれは無理ってうるさいから口に突っ込んでやったら結局食えて、ただの食わず嫌いだったみたいだ。
「料理の腕は中々だと認めてやらない事もないです」
偉そうに唯さんに言い放ったうちの弟は多分、友達いない奴だと思う。




