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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第三章
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握り飯の記憶3

 二つ下の弟は俺と違って優秀で、親の自慢、親戚の自慢、俺の自慢でもあって同時に、俺に劣等感を抱かせる越えられない大きな壁だった。


「大学、こっちに来たのか?」

「うん。父さん達を説得して、去年から一人暮らししてる」


 エスカレーターで大学行ける所に通ってたのにわざわざ受験し直したみたいだ。親父達、怒り狂わなかったのかな。まぁこいつの我儘は昔からなんでも聞き入れられてたなって、思い出した。


「飯は?自分でやってんの?」

「料理は出来ない」

「そっか。不健康そうな見た目。ひょろいな」

「兄さんは普通に、健康そうなまともな人になってる」

「昔と比べればどんなのだってまともに見える」


 昔の自分。自分でそんなのになったくせに見たくなくて、鏡が目に付く度殴って割りまくったな。とんだ馬鹿だ。恥ずかしすぎる過去。

 てか俺ら、何普通に世間話してるんだろ。


「兄さんに会いたくて探したんだ。場所がわかっても中々勇気出なくて、意を決して来たらいないし」


 不貞腐れてる。こいつのこんな顔、初めて見る。いつも一葉は俺を睨んでた。哀れむみたいに見てた。


「土日が休みなんだ。平日は毎日いる」


 無意識に手を伸ばして、くしゃりと一葉の頭を撫でてしまった。まずい…不快だよなって慌てて手を引っ込めたら、一葉がぽろぽろ泣き出した。


「おいどうした?そんなに嫌だったか?ごめん」

「違うよっ。兄さんの…ばか」


 どうしたら良いんだよって、おろおろする。


「なんで泣くんだよ?どうした?ごめんな?あ、チョコ食う?持って来てやろっか?」

「チョコ、食べる…」


 デカい子供だなって苦笑して立ち上がる。よくわからないけど、拒絶しにわざわざ会いに来た訳ではないらしい。そうだよな。大学生がそんなに暇な訳ない。


「どうしよ陣さん、泣かれた」


 チョコをもらうついでに相談する。


「頑張れよ、兄貴」

「俺、兄貴だけど兄貴じゃないからな」

「それはお前の見解。"兄さん"って、呼ばれてるじゃねぇか」

「そりゃだって、いきなり"春樹"だとかは呼べなくねぇか?」

「おら。チョコ持ってとっとと戻れ」

「うーっす」


 バレンタインの余りのチョコを袋ごと渡された。いくらなんでもこんなにいらねぇだろとは思ったけど、ありがたく受け取って戻る。そしたら何故かまた睨まれてた。


「あの人、父さんの弟でしょう?」

「あぁ、陣さん?俺はすげぇ世話になってる」

「ふーん…」


 今度はカウンターにいる陣さんを睨んでる。こいつが何をしたいのか、何を言いたいのか、俺には全くわからない。


「ほらチョコ。好きなだけ食え」

「こんなに食べたら鼻血出ちゃう」

「そういえばよく鼻血垂らしてたな。まだダメか?」

「まだダメ。…チョコ、剥いて」

「は?」

「剥いて」


 ペロンて、キャンディーみたいに剥くだけだろ。訳わかんないけど睨まれてるから言う事聞いて、摘まんで食べるだけの状態で渡してやる。

 一葉(かずは)は満足そうな顔して口に入れて、珈琲を飲んだ。

 俺もチョコ口に放り込んで珈琲を飲む。

 なんでまったりしてんの、俺ら。


「で?何か話があったんじゃないのか?」


 話を戻そうとしたら、一葉はまた不貞腐れる。


「…弟が兄に会いたくて来たらいけないの?」

「お前の立場、まずくなるだろ」

「バレなきゃ良い。バレないし」

「なら良いけど。…困った事とか、ないか?」


 チョコをまた一つ剥いて差し出したらそれを口に入れて噛み締めて、一葉はまた泣く。やっぱり何か、あったのかな。


「どうして、僕まで捨てたの?」


 震えた涙声で聞かれて、答えに困る。こいつだけ捨てた訳じゃない。俺は全部を捨てて、逃げ出したんだ。


「こんなろくでもない兄貴、いない方が平和だろ。お前も俺を嫌ってただろ?」

「嫌いだったよ!大っ嫌い!」


 そんな力強く言わなくても…。


「僕、勉強出来て褒められたけどそれだけで…誰も僕を見てくれなくて、兄さんしかいなかったのに。兄さんしかこうやって、僕に向き合ってくれなかったのにっ。変になって、逃げて、僕を置いていつも何処かにいなくて…寂しかった。大っ嫌い!兄さんなんて大っ嫌いだっ」


 こいつ、こんなに可愛いやつだったっけ。ぼろぼろ泣きながら俺を罵る弟を眺めて俺は、苦く笑う。


「ごめんな?逃げて、ごめん」

「ぼ、僕がっ、父さん達の言いなりになってれば兄さんは帰って来るって思ったのに…うまく、いかなかった…」


 俺って本当に、大馬鹿野郎なんだな。なんにも見えてなかったんだ。こいつの気持ちなんてなんにも考えなくて、自分の事ばかりだった。


「そんな風に、思ってたのか?」

「そ、そうだよ!たくさん考えたんだっ。だから僕、僕が兄さんの代わりになれれば兄さんは押し潰されなくなるって思って…一緒に、いてくれるって思ったのにいてくれないから、ムカついた!」

「…だからいつも俺の事睨んで、怒ってた?」

「そうだよ!怒ってたんだ!」

「なぁんだ。ごめんな?俺ずっと勘違いしてた」


 片手を伸ばしてぐしゃぐしゃに頭掻き回したら一葉は喉を引きつらせながら泣いて、袖で涙と鼻水を拭ってる。

 俺たちは会話が足りてなかったんだな。俺が最初に、拒絶なんてしちゃったから。


「きったねぇなぁ、鼻水。おら、拭け」


 テーブルにあった紙ナプキンを押し付けたら、一葉は一瞥して首を横に振る。


「こ、こんなんじゃ足りない…」

「我儘言ってんな。袖、鼻水でガビガビになるぞ」

「クリーニングに出す…」

「金持ちだな」


 様子を伺ってたらしい陣さんがタオルを持って来てくれて、俺はそれを一葉に渡した。そしたら一葉はまた陣さんを睨んでる。


「何睨んでんだよ」

「だってこの人、僕から兄さんを奪った」

「お前、ブラコンだったんだ?」

「う、うるさいなぁ!」


 ぶはって噴き出して笑ったら、一葉は赤くなってタオルで顔を拭った。


「あそこから逃げたのは全部俺の責任。陣さんがいなかったら多分、今こうしてお前とも、俺は話せてないよ」


 一葉は不満そうな顔で黙ってるだけだったけど、思うところがあったのか納得はしたみたいだ。

 あの時の俺を間近で見てたんだから、納得するだろうな。

 腐り落ちて行くだけだった俺は、自分だけじゃなくて周りの事も傷付けてたんだ。


「日曜、予定は?」

「ないよ。勉強するだけ」

「なら夕飯食ってく?で、泊まるか?もっとちゃんと、話そう」

「とま…泊まるっ」

「なんでまた泣くんだよ?」

「う、うぅっ…は、話す…」

「わかったから、泣くなって」

「に、兄さん…」

「なんだ?」

「会いたかった」

「うん。…ごめんな」


 俺はテーブルに頬杖つきながら手を伸ばして、タオルに顔を埋めて泣く一葉の頭を撫で続けた。

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