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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第三章
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握り飯の記憶2

 それぞれが満足の行く買い物が出来たらしい唯さんと歩は、帰りの車の中でうとうとしてて静かだった。まるで俺は休日のお父さんの気分だ。本当の家族とはこういう風に出掛けた事がないから知らなかったけど、これって幸福な疲れだと思う。


「歩、起きろ。着いたぞ」

「えー?なんでうち?唯さんとお泊まりしたいー」

「聞いてねぇし。そうするならこのままうちに帰るぞ?」

「唯さん、お泊まり良い?」


 寝起きの歩が唯さんに甘えてる。俺もだけど、こいつもまだ子供だ。


「マスターと春樹さんが良いなら、私は嬉しいよ」

「だってぇ春樹。良い?」

「仕方ねぇな。どうせここまで来たし、荷物置いて着替え取って来いよ」

「あーい。置いてかないでね」


 歩が不安そうに振り向いたから片手を振って答える。俺もそこまで酷いやつじゃねぇよ。


「唯さん、猿の子守り疲れません?大丈夫?」

「もう春樹さん。歩ちゃんは女の子なんだから、猿猿言わないで下さい」

「歪んだ愛情表現ってやつですよ。俺なりに可愛がってます」


 怒られたからくつくつ笑って答えたら、唯さんが優しい顔になった。


「仲良しで、時々妬けます」

「…やっぱり不安?」

「不安、というより羨ましいなぁって」

「唯さんも意地悪されたいんですか?」

「よく、意地悪されてます」


 唇が尖った。

 俺はこの人が可愛くて仕方ない。歩がいない間にと思って、シートベルトを外して助手席ににじり寄る。


「俺が触れたくなる相手は、唯さんだけです」

「私、春樹さんに敵う気がしません」

「お互い様ですよ」


 外出する時は、唯さんはピンクベージュの口紅を付けてる。色が移るけど気にしてたらキス出来ない。

 啄ばむキスをしながら右掌でふわふわのほっぺを堪能。

 貪るキスをしたい。でもそうすると歩にバレバレになるだろうな。

 でも、いいや。

 口紅を舐めとる勢いで唯さんの唇舐めて、舌を絡めた。肩に置かれた唯さんの手から軽い戸惑いを感じたけど、そんな思考、キスで溶かす。


「あーぁ。口紅剥げちゃった。…でも帰るだけだし、良いよな?」

「事後承諾…」

「だって、帰っても歩に唯さん取られるんだから、許してよ」

「もう!口紅移っちゃってます」


 ポケットティッシュで唇拭われて、感触消えたのが不満だったからもう一度触れるだけのキスしてから運転席に戻った。

 真っ赤な顔で潤んだ瞳。唇はリップを塗ってごまかしてるけど、ピンクベージュは完璧に落ちゃってる。

 唯さんの姿はバレバレであからさまだ。


「キスの所為で口紅が落ちた唇って、色っぽい」

「みっともないの間違いです」

「怒るなよ」

「い、いつも敬語なのに狙ってタメ語、ずるい!」

「たくさんドキドキしてよ。俺に」

「し、してるもん。いつも」

「やばっ、唯さん可愛い」

「意地悪!これ意地悪でしょう!赤い顔、おさまらないようにしてる!」

「バレました?」


 喉の奥で笑ったら、赤い顔の唯さんに睨まれた。でもその顔は逆効果。


「かぁわいい」


 俺の顔はとろっとろだ。

 真っ赤な顔の唯さんは狼狽えて俯いちゃった。そんなタイミングで歩が元気一杯に戻って来て、俺は車を出す。

 後部座席で歩がベラベラ喋ってる。

 唯さんは助手席で前を向いてれば見えないって事に気付いたみたいで、顔の赤みが引くまで前を向いたままで答えてた。

 俺はそれを見て、ニヤニヤ笑いがおさまらない。

 スーパー寄って夕飯の買い物してから家に帰った。歩はまた唯さんと酒を飲む気らしい。女子トークをするんだと。

 荷物片付けてから、陣さんに帰った事と車の礼を言いに店に下りたら客が来てた。店の客じゃなくて、多分俺の客。


一葉(かずは)…何、してんだ?」


 カウンター席で、陣さんと話もせずに珈琲飲みながら本を読んでる男がいた。実家出て以来会ってない、俺の弟だ。


「…兄さん、まともになったんだね」


 記憶の中の一葉(かずは)より声が低い。見た目もデカくなって大人になってる。あの時はまだ、こいつも俺もガキだった。


「ここ、誰に聞いた?誰も教えてくれなかっただろ」


 俺が陣さんの所に引き取られたのは親戚も両親も知ってる。でも俺は、自分の携帯の番号を親に知らせてない。勘当同然で出て来たからきっと向こうも知りたくないだろうし、陣さんと俺は坂上家の鼻つまみ者だ。跡継ぎになる一葉にはここの場所を教えたくない上に、俺らの存在も忘れさせたいはずだと思う。


「教えてもらえなかったよ。だから、探った。正月におじさん達酔わせて聞き出したんだ」

「なんでそんな、面倒な事したんだ?」


 理解出来なくて首を傾げたら睨まれた。だってこいつも、俺を嫌ってた。蔑んでた。会いたい理由がわからない。

 …何かの、復讐かな。


「会いたかったからに決まってるだろ?なんでっ、なんで僕まで捨てるんだ!兄さんのろくでなしっ」


 涙目で罵られた。

 ろくでなしはその通りだ。でも理解が追いつかない。陣さんを見るといつもの優しい苦笑を浮かべてる。


「俺には話したくねぇって。唯ちゃん達は?」

「上に、いる。歩がまた泊まるって」

「声掛けて来いよ。そんで、珈琲淹れてやるから二人で話せ」


 俺は頷いて、一葉に少し待つよう告げてから二階に戻る。

 心臓がバクバクしてる。ビビってんのかな。

 何を話せば良いんだ?なんで、あいつは俺に会いたかった?なんで…泣きそうになってたんだ?わからない。わからなくて、気付いたら手が震えてた。


「春樹さん?どうしました?」

「唯さん…すみません。ちょっと用事出来て、歩と適当にしてて下さい。台所も適当に」

「顔真っ青。どうしたの?」


 唯さんの両手に頬を包まれて、下から顔を覗き込まれた。そんなに顔に出る程動揺してるのかって、苦笑が漏れる。


「弟が、下にいたんです。話して来ます。どれだけ時間が掛かるかわからないから、夕飯、適当にやってもらって良いですか?」

「弟さん?どうして?」

「それを聞きに。何か話があるみたいで」


 唐突に抱き締められた。

 背中を撫でられて、力が抜ける。


「私はここにいるから。夕飯、おいしいの作って待ってます」


 柔らかい声。優しい体温。緊張が溶けて、安心した。


「うん。いってきます」

「いってらっしゃい」


 情けない顔で笑う俺を、唯さんが笑顔で見上げてる。手を握って勇気もらって、俺は過去と対峙する為に一階へ下りた。

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