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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第三章
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握り飯の記憶1

 梅が香る季節が来て、唯さんは正式にうちの同居人になった。

 智則は脅しがきいたのか音沙汰なくなって、だけど同じ部屋に住み続けるのは怖い上に母親との思い出も色濃くて辛い。だから引っ越そうと考えてるって言った唯さんを、陣さんが笑顔で説得した。

 もし"坂の上"以外で働くようになっても構わないし、家事が家賃代わり。唯さんがいる事で客の回りが良くなって、売上もちょっと増えた。俺も家事の負担が分散されるから、勉強に時間が割けるようになって助かってる。デメリット無しでメリットだらけなんだっていう説得だったみたいだ。


「唯さーん!来たよー」


 最近やたらと歩がうちに来るようになった事以外は至って平和。


「何?また出掛けんの?」


 土曜の朝。唯さんが用事あるって言ってたのは歩とだったらしい。


「今日は買い物。春樹も暇なら運転手で連れて行ってやる。陣さんの許可は取った」

「まず俺の了承取れや、猿」


 デコピンしてやったらキィキィ子猿がうるさくなった。


「ごめんね、歩ちゃん。もう少し待ってー」


 バタバタガタガタ、唯さんの部屋から音がする。さっきまで掃除と洗濯を一緒に片付けてたから、まだ支度が整ってないみたいだ。


「お前さ、車は良いけど土曜だし、行く場所によっちゃ今から行って駐車場入れるかわかんねぇよ」

「えー?そうなの?」

「どこ行くんだよ」


 歩が言った場所は都心から少し離れた隣の県のアウトレットモールだった。電車でも行けるけど、車の方が便利だ。


「最初から運転手させるつもりだったなら事前に言え」

「今朝思い付いたんだもん。親父がそこなら車の方が楽だろって言うから、春樹がいるかーって」

「俺は便利屋か。たく…」


 デッカい溜息吐き出して、俺は唯さんに声を掛けに行く。俺も今から支度するから焦らなくても良いって伝えて着替える為に部屋に引っ込んだ。歩はリビングで適当に何かしてる。


「歩が運転しても良いんだぞ?」

「しねぇよ。唯さんは運転出来るの?」

「私、免許を取ってから数回乗ったぐらいで…もう怖いかなぁ」

「運転楽しいよ!今度練習しようよ」


 陣さんに車を借りる許可の確認をしてから俺らは車に乗り込んだ。どうやら俺は完璧運転手で、行きも帰りも一人で運転させられるらしい。勉強しかする事ないから構わないけど、歩に足扱いされてるのが気に食わない。

 助手席に唯さん、後部座席に歩が座って、二人は楽しそうに話してる。俺は黙って運転手。


「春樹さん、お休みなのにすみません」

「運転代わります?」

「いえ、それはきっと…死にます」


 チラッと見た唯さんが心底困ったって顔してるから、俺は噴き出して笑う。


「気にしないで下さい。運転好きだし、唯さんに構ってもらえなくて暇でしたから、お供が出来て光栄です」

「似非紳士」

「子猿がキィキィ騒いでんなぁ?」

「嘘っこ紳士ー」

「黙れ猿。降ろすぞ」


 赤くなって照れた唯さんを堪能しようとしたのに邪魔が入った。こいつがいると唯さんにまで乱暴な口調が出るようになるから困る。気を付けないと。

 目的地に着いて、唯さんの手は歩に取られた。まぁ俺はただのお供だし、我慢して二人の後ろを歩く。


「あ!このワンピ唯さんに似合いそう」

「可愛いね。…でも値段が可愛くない」

「うっわ、マジだ」

「歩ちゃん、こういう元気系好きでしょう?」

「好き好きー!でもそろそろ大人路線も狙おうかなって」

「こんなセクシーな感じ?」

「おぉ!意外と好き!」


 女の買い物は…長い。

 行ったり来たりして結局買わないとか…なんだろ、眠くなる。

 煙草吸いてぇな。珈琲飲みたい。


「春樹さん、顔がうんざりしてます。飴食べますか?」

「食います」


 苦笑した唯さんから飴をゲットして口に入れる。オレンジ味だ。

 俺はただのお供。気配を消そうと決めて、飴をカラカラ口の中で鳴らしながら楽しそうな二人の後をついて歩く。唯さんがチラチラ気にしてくれるけど、気にしないでって微笑んで前を向かせた。


「春樹さ、顔は良いし若いんだからもう少しオシャレしたら?」

「オシャレなー、怠い」

「春樹さんは今の服でも十分素敵です」


 俺はシンプルが好き。シンプルが楽。金が勿体無いから服は必要最低限しか買わない。


「でもさ、ジーンズとかよく高そうなの履いてるよな?」

「それは陣さんの。体型変わって履けなくなったのとか、色々もらった」

「陣さんオシャレオヤジだもんな。春樹がダサ男にならないのは陣さんのお陰かぁ?」

「子猿がファッションを語るか」


 イラッとしたから歩に脳天チョップしておいた。


「マスターのお古だから、味のある大人の服装なんですね」


 なるほどって唯さんが納得してる。


「あなたに、釣り合いますか?」


 退屈だったから唯さん成分の補給。

 にっこり微笑んで指先で頬を撫でる。面白い程赤くなって照れる唯さんが最高だ。ずっと眺めていたい。


「唯さんといるお前は一体誰だ?」


 子猿が本気で邪魔だ。


「俺は俺だ、猿」

「なんで私には不機嫌なんだ!その爽やか似非紳士要素の欠片くらい向けてみろってんだ!」

「無理。うぜぇ。騒ぐな」

「なんでだよぉ!優しくしやがれッ」

「誰にでも優しくてどうする?好きな女限定だ、バカ猿」


 子猿が腕にぶら下がって来てウザい。でも何故か、唯さんは赤くなって照れ続けてる。彼氏に猿が巻き付いてるのは気にならないらしい。


「可愛いですね、どうしたんですか?」

「いえ、あの…お気になさらず」

「あまーい!春樹があめぇっ!甘ったるい!やめてくれぇ!珈琲飲みたいぃ」

「猿。自由だよな、お前は」

「まぁな!珈琲飲もうぜ!小腹も減った」

「へいへい。唯さん、行きましょう」

「はい!」


 両手に花…というより、右手に花束、左手に子猿のぬいぐるみがぶら下がってるって感じか。


「おい歩。重い。歩きづれぇから離れろ」

「だってぇ、歩き疲れたー。引きずってー」

「捨てるぞッ」

「春樹さん、どーどー」

「俺は馬ですか?」

「暴れ馬、的な感じですかね?」

「唯さん…余裕ですね?」


 子猿でも歩は俺を好きだった女だ。気になったり嫌な気分になったりしないのかなって心配したんだけど…唯さんはほわりと微笑んだ。


「春樹さんがきっぱりした態度をとってくれているので意外と平気です。むしろ微笑ましいです」

「唯さんは大人なんだよ!見習え似非紳士」

「てめぇはそれに甘えてばっかいねぇで遠慮を覚えろっ」

「遠慮してるもーん。気も使ってるもーん。あんまり意地悪だとチュウすんぞ!」

「すんなバカ猿ッ」

「チュウは流石に、大人の仮面も剥がれます」

「冗談!唯さん冗談!怒んないでぇ、大好きー」


 俺から離れた歩は今度は唯さんに抱き付く。騒々しくて忙しいやつだ。


「私も歩ちゃん、大好き」


 唯さんが可愛い可愛いって歩の頭を撫でて、二人はまた手を繋いで歩いてる。まるで姉妹だ。

 女ってやつは本当に謎。でも唯さんが俺を信じて、歩の事も信じてくれてるからこそ今の三人の関係が許されるんだと思うんだ。歩も唯さんを本当に好きみたいだし、俺がしっかりきっぱり、ブレずに唯さんを不安にさせないようにすれば良い話なんだろう。


「帰ったら俺に、たくさん構って下さいね」


 空いてる方の手をするりと繋いで囁いたら唯さんの耳が赤くなる。家に帰れば俺は唯さんを独り占め出来るんだ。今は歩に譲ってやろう。

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