大人で子供の俺たち10
まるで気分は探偵だ。
後部座席に不機嫌な唯さん。助手席に無言の傍観者オヤジを乗せて車走らせて、唯さんのアパートから少し離れた所にハザード付けて車を停めた。
「…いるな。突撃するか?」
二人に確認したら頷きが返って来た。このまま諦めるまで待つのも良いけど、それじゃあこっちのストレスが溜まる一方だ。智則の目的を明確にする為にも一度話すべきだろうって事で、スマホの録音アプリを起動させた状態で俺と唯さんで智則が待ち構えるアパートに向かう。
陣さんは駐禁対策の為に車待機で、何かあった時に出て来る事にした。
何かは、俺が智則に殴りかかったりとか、そんなん。殴ったら不利になるから絶対やるなよって言い含められた。わかってる。そんな短気じゃないはずだ。…多分。
「唯さん、まだ怒ってます?」
「…別に。怒られるような事をしたんですか?」
唇尖ってるけどシラを切るつもりらしい。俺が歩にキスされかけてからずっと不機嫌なくせして…可愛いなぁ。
「唯さん?」
「…なんでしょう」
「そんな口してるとここでキスします。濃いの。して欲しい?」
「ここは嫌」
「ならうちでゆっくり。だから機嫌直して下さい」
とりあえず唇は引っ込んで通常に戻った。でも不満そうなのは変わらない。
腰を抱き寄せようとしたら拒否された。顔が赤いから、何を想像したのかな。
「ここではしないですってば。可愛いなぁ」
「もう!からかわないで!」
緊張感が飛んでしまいますって、ぼそり。その緊張を飛ばそうとしてるんだよ、唯さん。わかってないみたいだな。
「唯、怒んないで」
耳にキスしたら唯さんの身体ががくりと落ちた。危なっ!ここ階段!
「も、もう!色気をおさえて!無理!恥ずかしい!」
「わかった、ごめ…階段で暴れないでっ」
落ちかけた身体を俺が抱きとめた状態で唯さんが暴れる。真っ赤な顔は可愛いけど、場所が危ない。
もうもう牛になった唯さんと階段を上り切ったら、智則と目が合った。
「唯…?」
あからさまに彼氏とイチャイチャしてる元カノに声を掛けるんだな。まぁ逃げ道側に俺らがいるし、唯さんの部屋のドアに背中付けて立ってたし、声掛けるしかねぇのか。
「唯さん、彼がそう?」
固まっちゃった唯さんを抱き寄せて、俺は穏やかな声と表情を意識して確認する。頷きが返って来たから、やっぱり目の前のスーツにコートの男は智則だ。二十代後半から三十代前半ってとこかな。優男って言葉がよく似合う。
「俺の女の部屋に何か用か?」
にっこり笑ってドスの利いた声を出してみた。そしたら智則の顔が引きつる。でも今の俺の見た目って、どう頑張っても爽やか好青年だからそんなに効果は無いかも。
「少し彼女と…話がしたいんだ」
やっぱり効果無し。しかも年下だって舐められてるみたいだ。前髪上げて来たら良かったかなぁ。
「私はあなたに話はありません。メールも手紙も迷惑です。帰って下さい」
キッと、唯さんは智則を睨んだ。
やばっ…怒った顔も可愛い。
思わずまじまじと唯さんを見た俺には緊張感が無いと思う。内心軽い気持ちでいないと智則に殴り掛かりそうで危ない。
「そんな…結婚まで約束した仲じゃないか!」
大きな声。近所迷惑。もし俺が話を聞いてなかったら喧嘩の原因になるこの発言は、わざとだなこいつ。チラリと俺の顔を窺いやがった。
「重婚は出来ないわ。奥さんとお子さんはどうしたの?何がしたいの?」
「俺はただ、君が好きなんだ。やり直したい」
「迷惑です。もう来ないで下さい」
「唯!」
智則が近付いて来ようとしたから睨んで止める。殺すぞって気持ちを込めて睨んだら、智則は青い顔で動きを止めた。
「新しく若い男が出来たから、俺を捨てるのか?」
「なっ!人聞きの悪い事言わないで!私を騙してたのはあなたじゃないっ」
「騙してなんかいない!気持ちは本物だ!」
「はぁ?!奥さんと子供がいるでしょう!私と結婚の話をしておいて、自分の既にあった家庭はどうするつもりだったのよ!」
「それはっ…だって、君も好きなんだ!」
うっわー…うっわー…言葉が出ねぇ。
唯さんも絶句してる。それをどう受け取ったのか、智則は畳み掛けるみたいに言葉を続けた。
「君も俺を愛してくれたじゃないか。だから、な?愛する者同士が離れるのって不自然だと思わないか?たまたま俺には運命の人が二人いたんだ!愛してる、唯っ」
両手広げてさぁ来いポーズしてるけど…こいつ頭イカレてる。
「だって唯さん。どうします?」
「どうするって…頭おかしいでしょう。春樹さんもそう思いますよね?」
「思いますね。独特な価値観ですね」
「本当…過去の自分を全力で止めたいです」
固まって、智則は唯さんを見つめ続けてる。このまま放置してたらずっとあのポーズなのかなって、俺はくだらない事を考えた。
「智則さん。私はもうあなたをなんとも思っていません。むしろ記憶から抹消したいので二度と、手紙もメールも電話も、こうして会いに来る事もやめて下さい。どうぞご自分のご家庭を大切になさって下さい」
にっこり微笑んだ唯さんの言葉に智則はぽかんとしてる。まるでそんな答えが来るなんて想像もしてなかったって顔だ。すげぇ自信家だな。
「なぁあんた、聞こえなかった?消えろって」
笑顔消して射殺す勢いで睨んだら、智則が突進して来た。俺らの後ろは階段。智則の表情が危ない気がしてたから、唯さんを壁側に押して俺もギリギリで体当たりを躱す。なんにも考えて無かったのか智則が階段から落ちそうになりやがるから、襟首掴んで止めてやった。
「おいおいおい智則さんよぉ?殺人犯になりたかったのか?それとも自殺願望でもあんの?どっちにしろさぁ…迷惑なんだよ。唯にその間抜け面二度と見せるな」
俺が手を放したら智則は転げ落ちる。その状態で静止して吐いた俺の言葉は、脳みそに届いたかな。
「聞こえてます?今あんた、俺らを階段から突き落とそうとしたよな?なぁ、答えろって」
ぐっと引き寄せてから手を離すと智則はへたり込んだ。
「お…」
「お?」
へたり込んだ智則の前に屈んだ俺を、奴は睨み付ける。でも眼光が足りなくて残念。
「お前みたいなガキ!唯には釣り合わない!死んじまえッ」
唯さんがカッとして言い返そうとするから片手を上げて止めておく。録音してるの、忘れてそうだ。
「やっぱ今、あんたは俺を階段から突き落とそうとしたんだ?」
わざとゆっくり、強調して話す。
「そうだ!殺してやるッ」
「マジで?俺、殺されんの?」
ニタニタバカにする笑いを浮かべて、俺は頬杖をついた。
こいつ多分、何か持ってる。右手がコートのポケットを探ってるんだよな。どうするか。
「なぁ、その右手のもん出す前に取引しようぜ?」
口元だけを笑みの形にして、俺の背後にいる唯さんに聞こえないように小声で話し掛けた。
智則はギクリと固まる。
「俺さぁ、あんたに不利な証拠いっぱい持ってんだよねぇ」
俺は屈んで頬杖ついたまま、口だけでニタニタ笑う。不気味に見えるように意識して。
「運命の人二人共と家庭失う上に社会的に抹殺されるのと、唯を諦めて今後一切手を出さねぇ顔も見せねぇって誓うの、どっちが良い?俺優しいからさ、選ばせてやるよ」
「そ、そんな事…ガキのお前がどうやってやるんだ」
怯えてる。強がるならもっと頑張れよ。
「どうとだって出来るさ。唯の事綺麗さっぱり忘れて、唯との共通の友人にも変な噂流すなよ?お前が唯に近付けばすぐわかる」
「ど、どうやって…」
「想像してみろよ、どうやんのか…。わかるだろ、智則さんよ?」
にじり寄って、智則の右手をコートの上から掴む。やっぱり折り畳みナイフだ。
「物騒なもん持ってんなぁ?こんなもん持ってたら不味いの、わかってるから汗掻いてんだろ?俺ぁ、さみぃんだよ。唯も風邪引かせたくねぇ。早く決めろ」
動こうとする手をぐっと押さえつける。唯さんには見えない位置。でもこいつにはわかる。力で勝てないって思い知るくらいの力を込めた。
「美織ちゃん…可愛いよな」
「ひぃっ、む、むす」
「でけぇ声出すなよ。てめぇが誓って実行すりゃなんも起こらねぇよ。…な?唯の事、忘れるよな?近付かねぇよな?唯に関わる全てに余計な事…しねぇよなぁ」
耳元で誓えって凄みきかせた声で呟けば、智則は折れた。
「誓い、ます…」
「話がわかる人で良かったわ。紙切れは無駄だって、てめぇもわかっててのこの行動だろうから口で言うな?破ったらどうなるか、想像力働かせて生活しろよ」
「…はい…すみませんでした」
よたよた立ち上がって、智則は帰って行く。振り返ったら睨み付けるつもりで見下ろしてたんだけど、そんな気力も無くなったみたいでとぼとぼ去って行った。
「…春樹さん、一体何をお話してたんですか?」
背中に冷たい視線が突き刺さる。雰囲気を察して黙ってくれてた唯さん。すげぇ小声でぼそぼそ話してたから聞き取れてなかったみたいだ。
俺はコートのポケットからスマホを出して録音止めて、にっこり笑う。
「ま、寒いし陣さん待たせてるんで、帰りましょうか」
智則が残した手紙の証拠を回収してから、不満そうな唯さんと一緒に車に戻った。




