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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第一章
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俺と常連の彼女4

 喫茶坂の上はオフィス街の側にある所為で、土日は客足が遠のく。だから定休日は日曜で、土曜は陣さんが一人で店を開ける。喫茶店を開けてるのが陣さんの趣味なんだって。俺は朝の開店までは手伝わせてもらえるけど、土曜は休みだ。休みをもらったってやる事なんてない。地元から遠いこの街で知り合いは陣さんと喫茶店の客くらい。暇だから働かせてくれって頼んだけど、休む時にはしっかり休めと怒られた。

 手持ち無沙汰の俺は、自分の部屋の窓を開けて冷たい空気を顔に感じながら煙草に火をつける。メンソールの煙を吸い込んで、外へ向かって吐き出した。

 ここに来てから親とは連絡を取っていない。陣さんが実家と折り合いが悪いってのもあるし、俺自身も何を話せば良いかがわからない。俺が輪っか掛けられて泣き崩れた母親。家に連れ戻された時、ゴルフクラブで殴りかかって来た父親。両親に従順で俺と違って真面目な弟。あそこには、随分前から俺の居場所なんてなかった。俺の事で親戚が集まって、みんなに罵られた。それだけの事をした自覚はあったから、俺は黙って受け止めた。そんな中何も言わないで、陣さんだけが優しい瞳で俺を見てた。陣さんも昔、俺みたいだったんだって。今はただの気のいいオヤジって感じなのにな。親戚の鼻つまみ者だった陣さんは実家を出てレストランで修行して、貯めた金で喫茶店を開いた。マンションも持ってて、家賃収入もあるらしい。

 しっかりと自分の足で立ってる陣さんみたいに、俺はなれるのかな。やりたい事なんてない。夢なんてない。毎日生きているだけで精一杯。ただ、喫茶店の仕事は楽しい。煙吸い込んで、冷たい空気を肌で感じて考えるのは、土曜も彼女は来るだろうかって事。いつも土曜は適当に街をぶらついたりスロットに行って暇を潰してる。今日は下に客として行ってみようかなって考えたら少しだけ、わくわくした。

 陣さんの本棚を覗いて適当に一冊選ぶ。陣さんが読むのはミステリーだとか、時代小説、あと金の運用方法とかの本。俺が手に取ったのはミステリー。確か、ちょっと前に映画化していた。


「春樹、珍しいな」

「うまい珈琲淹れてよ。あと腹減った」

「おー。オムライスでも食うか?」

「食う」


 昼時だけど店内に客はゼロ。開けてる意味あるのかなって思うけど、土曜だけの常連もいるらしい。

 カウンター席でオムライスを食ってから、陣さんに淹れてもらった珈琲を持って俺は窓際の席へ移動した。彼女がいつも座る席の隣。いつもと同じ場所へ座った彼女と向かい合う形になる席。そこなら入って来る客も見えるし、カウンターで新聞読んでる陣さんも横目で窺えるベストポジション。

 本を開く前に俺は珈琲を味わう。一口飲んで、長く息を吐き出した。ここ来るまでは缶とかインスタントしか飲んだ事なかったけど、こだわって淹れた珈琲ってこんなにうまいんだなって、初めて飲んだ時には感動した。豆の違いだけじゃなくて、焙煎の仕方、豆の挽き方、ドリップの仕方で味が変わる。喫茶坂の上のブレンドは、酸味が少なくて少し苦味があるマイルドな味。

 俺は珈琲を飲みながら、彼女がいつも見てる窓の外を眺めてみる。窓の向こうは小さな庭みたいになっている。これも陣さんの趣味で、陣さんが手入れしてて俺もたまにだけど手伝う。でも今の季節に咲く花は植えていない。何もない庭から空へと視線を移して、雪は降りそうにないなって考える。彼女は、どんな表情で新雪に足跡を残しに行くんだろう。無邪気な笑顔かな。それとも穏やかに微笑むのかな。

 珈琲が空になって、俺は本を手に取った。耳に届くのは控えめな音量で流れるジャズ。有線だ。一ページ目を開いて、こういう時間の過ごし方も悪くないなって、感じた。



 椅子を引く音で本の世界から現実へ戻された。面白くて、集中して読んでいた。


「こんにちは」


 声を掛けられ、顔上げた先には笑顔の彼女。コートを脱ぎながら俺に視線を向けていて、目が合ったら会釈してくれた。土曜も同じ時間なんだなって考えつつ、俺も挨拶を返す。


「店員さんはお休みですか?」

「休みです」

「髪を下ろしてると雰囲気が変わりますね。一瞬わからなかったです」

「あぁ。若返りますよね」

「そうですね。年相応です」


 童顔がコンプレックスらしい彼女。年相応って言葉、やけに強調した気がするのは気のせいじゃないと思う。


「いらっしゃいませ」

「ミックスサンドとブレンド、お願いします」


 おしぼりと水を持って来た陣さん。注文聞いて引き返す時、口角上げたからかいの笑みを浮かべながら俺に目線を寄越した。珍しく俺がここに来た不純な動機が見抜かれたんだって、理解した。


「ミックスサンド、好きなんですね」


 あんまり話し掛けるのは迷惑かなとも思ったけど、もう少し彼女の声を聞いていたい。


「ミックスサンドって、得した気分になりませんか?」

「得、ですか?」

「はい。色々入っててお得な気分です」


 無邪気な彼女の笑顔に反応して、俺の心臓が跳ね回る。この人、どうしてこんなに可愛いんだろう。


「その表情、また失礼な事を考えてますよね」


 緩んだ顔をしてる俺を見た彼女は不満顔。唇を尖らせてる。


「また、可愛いなと思っただけです」

「……店員さんは女たらしですか?」


 彼女は、悪い男には騙されないぞと言いたげな顔を俺へ向けてきた。頬杖をついてゆるゆるの笑顔になった俺は、彼女を見返す。


「あなたにだけです」

「ほ、ほら! 女たらしです! 危険です!」


 真っ赤な顔であわあわ狼狽えてる彼女の可愛いさが半端ない。握り拳で緩んだ口元を隠して笑っていたら、拗ねた彼女が頬を膨らませた。


「お待たせしました」

「あ、ありがとうございます」


 見計らっていたみたいなタイミングだ。陣さんは珈琲とミックスサンドを彼女の前に置いて、素早くカウンターへ戻って行く。でもその口元が、楽しげに歪んでいやがる。これは後でからかわれるなって考えたら少し、憂鬱になった。


「いただきます」


 彼女がミックスサンドを手に取ったから、会話はおしまい。俺はまた本へ視線を戻した。

 先が気になって小説にのめり込んでいたらいつの間にか日が暮れていた。彼女が椅子から立ち上がった音で気が付いて、びっくりした。


「また、来ます」

「……お待ちしています」


 待ってます。その言葉を口にしてみて、俺は彼女と会うのが楽しみになっているんだと自覚した。穏やかな笑顔で俺に会釈してから、彼女は会計を済ませて帰って行く。今日はあの寂しそうな顔をしたのかなって、見忘れた自分を残念なやつだなって、思った。

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