大人で子供の俺たち6
欠伸を噛み殺しながら洗面所に行ったら唯さんがいて、ビビった。そうだ、昨日から同居してたんだって思い出して目が覚める。
「…お髭」
朝の挨拶して近寄って来た唯さんに顎を撫でられた。物珍しそうに見てるのはなんでだろう。
「そりゃ生えますよ。でも俺、あんまり濃く無くて格好良い生え方しないんですよね」
へぇって呟きながら掌で感触を楽しんでる。男の寝起きの髭、そんなに珍しいのかと思ったら悪戯心が湧く。だから腰を抱き寄せて頬ずりしてみた。
「ショリショリします。春樹さんはお髭無しが素敵です」
「顔赤いのはなんでですか?」
「頬ずりなんてするからです。顔、近い…」
「キスの方が顔近いですよ」
触れるだけのキスして微笑んだら真っ赤になった唯さんが悔しそうな顔をしてる。唇尖らせてるのが可愛くて、俺は喉の奥でくつくつ笑った。
「髭、不評なんで剃って来ます」
「…珈琲、淹れますね。朝ご飯はどうしますか?」
聞かれて、どうしようか考える。俺と陣さんはいつも仕込みついでに飯を作って、休憩がてら食ってる。
「もし待てるなら、仕込みの後の休憩で一緒に下で食べますか?」
「一人は寂しいので、そうしても良いでしょうか」
「どうぞご遠慮なく」
大体の時間を伝えてから俺は洗面所に。唯さんは珈琲を淹れる為に台所に向かった。
洗面所では洗濯機が回ってる。いつもどっさり溜まってから毎週日曜にやってる洗濯。これからは溜まる事がなくなるのかなって考えたらなんだか笑みが零れた。唯さんは、俺たちが仕込みしてる間に洗濯と掃除をしてくれるらしい。
「朝起きて女の子がいる生活、良いな」
階段を降りながら呟いた陣さんの声がニマニマしてそうだったから振り向いた。そしたら正しくな表情してる。
「変態オヤジ」
「んだよぅ、春樹ちゃんだってご機嫌のくせにぃ」
「うっせ、黙れ。抱きつくなっ」
「照れちゃってぇ、かぁわいいー」
「声がキモい」
「ひっどぉい!陣ちゃん泣いちゃう!」
「泣けるもんなら泣いてみろッ」
本気で泣き真似始めやがったから肩に回ってた陣さんの腕を振り払って厨房に入る。朝からテンション高いの、気持ちはわかる。俺だって、気合い入れておかないと顔がにやける。
寝起きですっぴんの唯さん、めちゃくちゃ可愛かった。ほっぺ齧りたいとか思う俺こそ変態だ。
*
「いらっしゃいませ」
唯さんの声で、手を止めて顔を上げた。入って来たのは常連のお婆さん。作ってたモーニングプレートを手早く仕上げてから唯さんに運ぶのを頼んで、俺はおしぼりと水を用意する。
「キヨさん、お久しぶりですね」
上品で物静かなキヨさんは長い事ここの常連。週二、三度来てくれてたけど、最近は見なかった。
「お久しぶりねぇ。春樹ちゃんは相変わらず、主人の若い頃にそっくり」
キヨさんはいつも、俺の手を握って話す。外が寒かったからか、皺の寄った手がひんやりしてる。温めるように握り返して、俺は会話を続けた。
「キヨさんは何かありました?最近寒いし雪も降りましたから、大丈夫でしたか?」
「それがねぇ、転んでしまったの」
「えぇっ?だから最近いらっしゃらなかったんですか?」
「大した事は無かったんだけれどね、腰を痛めてしまって…息子にじっとしていなさいって怒られてしまったのよ」
「キヨさんは散歩が好きだから、辛かったんじゃないですか?」
「そうなのよ。やっとお許しが出て、春樹ちゃんに会いに来られたわ」
「俺も、キヨさんに会えないの寂しかったです。アメリカンで良いですか?今日、キヨさんの好きなプリンもありますよ」
「あら。陣ちゃんのプリン、いただこうかしら」
「ご用意しますね」
「えぇ、お願いね」
ぽんぽんって、握られてた手を軽く叩かれて俺はにっこり笑う。にこにこ笑うキヨさんに見送られながら注文の用意をする為にその場を離れた。
「唯さん、運ぶ時にご紹介しますね」
カウンターにいた唯さんに、キヨさんの好みを説明する。キヨさんはいつもアメリカン。プリンがある時はそれがある事を伝える。食べない時もあるから確認が必要なんだ。
手を動かしながら教えて、俺は唯さんを連れてキヨさんの所に戻った。
「キヨさん、新しいバイトの人です」
「はじめまして。有馬と申します」
「あらあら、可愛らしい子ねぇ」
挨拶だけしてすぐにその場を離れる。話し込んで珈琲が冷めたら勿体無い。
「キヨさんは用がある時はニコニコこっちを見て手招きするんで、そしたら行って下さい。雑談が長くなっても俺がフォロー入れます」
「わかりました。よくいらっしゃるんですか?」
「週に二、三度。大体この時間に散歩がてら寄ってくれるんです」
常連さんにもいろんな人がいる。毎回同じ注文の人もいれば毎回違う物を頼む人も。雑談が好きな人もいれば、珈琲を黙って楽しみたいって人もいる。お客さんに気持ち良く過ごしてもらえるように、ホールが主になる唯さんには覚えてもらう事がたくさんあって申し訳ない。
「ゆっくり覚えてくれたら良いです」
「はい。春樹さんをお手本に頑張ります」
「手本になれたら良いですけど…」
「なります。常連の方皆さん、春樹さんを好きみたいです」
「それはきっと、社交辞令です」
照れた。にこにこ微笑んでる唯さんに見つめられて、余計に恥ずかしい。
キヨさんの会計は陣さんが出て来てやった。俺はドアを開けて、外までお見送りする。
「気を付けて。またお待ちしてますね」
「えぇ、えぇ。また来ますよ。春樹ちゃんに会いに」
ゆっくり去って行く曲がった背中を見送って、俺の胸は温かい。
ここの常連の爺さん婆さんは、俺をまるで自分の孫みたいに可愛がってくれる。だから俺も、感謝の気持ちで接客する。この仕事は、かなり楽しい。




