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いつもの席で珈琲を  作者: よろず
第二章
32/63

甘い感謝の日3

 唯さんの出勤時間は開店の九時。だけど早めに来て開店準備を手伝ってくれる。有難いけど申し訳無くて、無理しないで下さいって伝えたらいつも夕飯をご馳走になるお礼だって言って彼女は笑った。

 最近は、仕事の後で毎日うちで夕飯を食べて行く唯さん。夕飯の後は少しのんびりしてから帰る。毎回俺は送っていく。少しでも長く一緒にいたいから。

 バレンタインデートをどうするか相談したら俺は家での待機を命じられた。だから溜まってる洗濯物を片付けて、現在掃除中。

 今日は唯さんがデートプランを考えてくれるんだって。すげぇ楽しみ。


「その荷物はなんですか?」


 現れた唯さんは、大荷物だった。


「今日はですね、家事にお勉強にお仕事にと毎日頑張っている春樹さんを、私がもてなすのです!」

「あなたのその笑顔だけでもう、俺には十分ですよ」


 微笑んで本心を伝えたら唯さんが真っ赤になった。照れて唇を尖らせてるから、尖った唇にキスして荷物を受け取る。


「食材ですか?何を作ってくれるんです?」

「春樹さんやマスターのようには出来ませんが、素朴なおふくろの味が得意です」

「それは良いですね。おふくろの味は食べた事がありませんから」


 ウキウキして言ったんだけど、悲しそうな顔をさせてしまった。

 実家は家政婦さんがいたから飯はその人が作ってた。だから本当の"おふくろの味"ってやつを俺は知らない。


「あぁでもおにぎり。へったくそなおにぎりなら食べたな」

「お母様が作ってくれたんですか?」

「小さい時に。丸にすらなってない塩むすび」


 勉強してた時に持って来てくれたって思い出を話したら唯さんの表情がほわりと優しくなって、俺はほっとする。


「我が家にご招待も考えたんですけど、そうするとマスターが仲間外れになっちゃいます。バレンタインデーはお世話になっている人に感謝する日ですから」


 独自の解釈を持っているみたいだ。でも恋人達のイベントってだけで考えるよりは、俺もその考え方は好きだなって思った。

 俺も唯さんを連れて行きたい場所がある。だけどそれは、彼女のプランを聞いてからでも間に合う。


「マスターって、お昼はいつもどうしているのでしょう?」

「土曜は一人なんで、暇な時間に食べているみたいですよ」

「んー…では食べ易い物の方が良いでしょうか?」

「そうですね」

「わかりました!申し訳ないですが、台所をお借りします」

「どうぞ。好きに使って下さい」


 俺は手伝ったらいけないみたいだ。テレビでも観てろって言われたから、勉強道具を持って来てリビングで勉強する事にした。陣さんとはいつも隣にいて料理を教えてもらってるから背中に聞こえる台所の音が新鮮で、ほっこり胸が温かい。

 集中して勉強してたら味噌の良い匂いが漂って来た。何を作ってるんだろう。俺の腹がぐうと鳴って、空腹を主張し始める。


「唯さん。陣さんに昼飯待つように声掛けて来ます」

「すみません。お願いします」


 花柄のエプロンしてる。可愛い。

 緩んだ顔のままで店に降りて、陣さんに声を掛ける。店内にはカップルが一組。デート途中の休憩かな。


「昼飯、唯さんが作ってくれてるんだ。後でまた来るから俺と交代で飯休憩入れば?」

「折角のバレンタインだろ。おっさんは若者の邪魔はしねぇよ」

「唯さんのバレンタインはお世話になってる人に感謝する日なんだって。陣さんも対象」

「そうかい。なら、お言葉に甘えるかね」

「おぅ。もうしばらく待ってろ」

「へいへい」


 二階に上がって唯さんにもその事を伝えた。けど焦り始める。それなら自分が店番するって言い掛けて、まだまだ出来ない事の方が多いって思い出してしょんぼりしてる。


「俺からの陣さんへのバレンタインって事で。どうせなら唯さんが作ってくれた飯、陣さんにもゆっくり温かい物を食ってもらいたいです」

「では…お言葉に甘えます。春樹さんにはご飯の後も色々ご奉仕しますね!」

「楽しみです」


 具沢山の味噌汁に鯖の味噌煮、ひじきの煮物と小松菜と油揚げの炒め物。家庭料理だ。陣さんと俺は普段、和食より洋食が多い。和食も作るけど、食後は珈琲が飲みたいから自然と珈琲に合う飯になる。


「すげぇうまいです」


 夢中で食った。

 好きな人の手料理ってだけでも嬉しいのに、めちゃくちゃうまい。唯さんは料理上手だ。


「良い食べっぷりですね。男性にご飯を作るのなんて初めてです」


 はにかんだ笑い。

 どうやら例の彼とは会う時間が限られていたらしい。唯さんの家には母親がいたし、そんなチャンスはなかったみたいだ。


「唯さんの"初めて"をもらえて嬉しいです」


 心からの言葉。

 すぐ赤くなる彼女は本当に可愛くて、俺の顔はゆるゆるに緩みっぱなしだ。

 飯が出来る前に着替えておいたから、唯さんに飯のお礼を言ってから陣さんと交代。

 さっきいたカップルはもういない。代わりに女性客が三人連れでいる。

 土曜は平日と客層が変わるんだな。


「お呼びですか?」


 チラチラチラチラ、ずっと見られてた。だから注文かなと思って近寄ったんだけど…謎の反応をされている。

 肘でお互いを突つき合って、注文ではないみたいだ。でも用はあるのかな。


「私達この側の会社で働いてるんです。店員さん、毎日いますね?」

「毎日来て下さってるんですか?」

「ランチによく来るんですよ。ここ、おいしいですから」

「ありがとうございます。珈琲、おかわりはいかがですか?」


 世間話がしたかったらしい。

 カップが三人とも空になってたからおかわりを勧めてみたら、チョコレートケーキも追加注文してくれた。バレンタインだからな。チョコ、食べたくなるよな。

 ラズベリーソースでハートの模様を皿に描いてみた。ちょっとサービス。


「ここ珈琲もおいしくて、お気に入りなんです」

「有難いお言葉です。ごゆっくり、召し上がって下さい」

「あ、待って」


 なんだろう。世間話をする常連さんって大抵一人で来てる。こんな風に連れがいる人に話し掛けられるのはあまりない。

 首を傾げて言葉を待ってたらまた突つき合いをしてる。何か言いにくい事なのかな。


「何か、不手際でもあったでしょうか?」

「違います!あの…この後お暇ですかっ?」

「いえ。用事があります」

「そう、ですよね。デートですか?」

「はい」


 意図がわからない。だけど接客スマイルは崩さないでいたんだけど、何故か落ち込まれた。話は終わったみたいだからごゆっくりって告げてカウンターに戻る。…ニヤニヤ笑いの陣さんと、その背後に隠れたじと目の唯さんがこっちを見てた。


「おかえり」

「モテるねぇ?喫茶坂の上のイケメン店員くん」

「は?なんだよそれ?」

「まぁいいや。お前はほれ、唯ちゃんのフォロー」


 陣さんに促されて唯さんを見たら、ふいっと顔を逸らされた。そのまま二階に上がって行っちゃった。


「行けって。女の機嫌はさっさと直さねぇと厄介だぞ」

「わかった。…飯、うまかったな?」

「だな。夕飯も作ってくれるらしいぞ」

「すっげぇ楽しみだ」


 陣さんに休憩中の引き継ぎをして、俺は二階に上がる。

 台所では、膨れっ面の唯さんが洗い物してた。

 黒いエプロンを外して、俺は唯さんの背後に近付く。


「どうしたんですか?」


 触れる許可はもらえそうにない雰囲気だから、ギリギリの距離で彼女の身体を囲い込む。両手をシンクに置いて、耳元で囁いてみたら唯さんの耳が赤く染まった。


「…よく、ナンパされるんですか?」

「ナンパ?」

「さっきのです」

「向こうから話し掛けて来たんですよ」

「デートのお誘いだったじゃないですか」


 あぁ、そういう意図があったのか。遠回しだったな。


「お断りしましたよ。唯さんがご奉仕してくれるんでしょう?」

「っ、もう!離れて下さい!手が滑りそう!お皿割っちゃいます!」

「じゃあ、着替えて来ますね?」


 怒られたから、耳にキスしてから離れた。

 ヤキモチか。可愛いな。

 自分の部屋で制服から私服に着替えて戻ると唯さんはソファに座ってまだ剥れてる。


「唯さん?」


 隣に座ると身体ごと顔を逸らされた。拗ね方が幼い。可愛すぎて顔がにやける。


「甘いチョコレートドリンクはいかがですか?」

「…飲みます」


 返事をもらって、俺は立ち上がる。でもその前に…


「唯さん」

「…なんですか?」

「俺がナンパするのは、あなただけです」


 甘い甘いチョコレートじゃなくて、俺の甘ったるいキスで機嫌を直してよ。

 後ろから抱き締めて、首筋にキス。

 びくりと身体揺らして驚いてる彼女がこっちを向いたから、ゆっくり唇を重ねた。

 逃げても良いよ。でも出来れば逃げないで。

 唯さんは自主的に、こっちを振り向いたままでいてくれる。だから俺はキスを続ける。

 甘く甘く…不機嫌なあなたの心を溶かすキス。


「機嫌、直りました?」

「…チョコももらえたら完璧です」

「なら、甘くて濃いの、作ります」

「私もチョコ、あります。でも夜に、マスターも一緒にが良いです」

「俺も、その方が嬉しさ倍増です」


 ほわり笑った唯さん。

 可愛くて、ほっとする。

 唯さんに手元を覗かれながら、少しだけ珈琲を混ぜたチョコレートドリンクを作る。

 バレンタインってやつは、甘くて甘くて、とろけそうな程に甘い日みたいだ。

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